Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ライブドア事件報道をめぐる雑感

よく読んでいる404 Blog Not Found小飼弾さんが、テレビに出るということで、録画していたサンデー・ジャポン、サンデー・スクランブルの2つを見る。(もうひとつ出演していた「朝まで生テレビ」は録画できず)
ブログ上ではスーパースターに見える小飼さんも、テレビでは(飯島愛らに)「空気読め」的な扱いを受けていて、ちょっと悲しかった。テレビで発言する技術というのは、文章技術とは全く別物であるだけでなく、日常会話とも別の特殊な技術なんだろう。ただ、発言内容は、どれもテレビメディアでは出てこない視点のもので緊張感もあり興味深かった。一方で、『国家の罠』等の本のタイトルを、前置きなしで口に出してしまう小飼さんも、他の出演者への思いやりが欠けていたのかなあ、と思う。
ところで、普段は見ないこれらの番組を見てみると、やはりテレビメディアの「ダメさ」が目に付く。というか、サンデー・スクランブルなんかは、いわゆる「ワイドショー」という括りの番組だから仕方ないのかもしれないが、トップニュースが、例の「集団生活脅迫事件」で、相当長い時間取り上げられているんだから、やはり視聴者の頭を悪くしようとしてやっているのかなあ、と勘繰ってしまう。なお、このニュースについては、サンジャポの方で、小飼さんが指摘していたように、事件性そのものがよくわからない。テリー伊藤なんかは「洗脳」「マインドコントロール」という言葉で恐怖感を煽って、挙句の果てに「救出しなくてはならない」。疑いの無い「善意」は歯止めが利かない。そもそも何を持って「洗脳」なのだろうか?小飼さんの指摘していたように「成人女性が自分で決めたこと」であれば、何も問題がないだろう。問われるべきは「脅迫」かどうかで「洗脳」かどうかは無関係だ。
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こういったマスコミへの不信感は、今回のライブドア関連の事件については、特に強く覚えた。

そう、私たちは、情報を自分で判断することは「難しい」と教え込まれてきたのです。誰に? そう、情報格差を作りたがっている人たち、つまりマスメディアにです。マスメディは上記の通り、知の格差があってこそ商売が成り立ちます。その同じマスメディアが、
 「君たちは利口にならなくてもイイよ〜、情報は難しいからね〜、
  難しい判断はぜーんぶ、私たちがやってあげるからね〜」
というメッセージを大衆にじっくりと植えつけてきました。

ここでは、自ら判断せず、判断をごく一部のメディアに委ねてしまうリスクについて語られているが、正にその通りだと思う。メディアの意見を鵜呑みにして思考停止に陥るなんて何て馬鹿げたことだ。
一方で、ゴーログで取り上げられた以下のエントリなんかは、ベクトルが逆に行きすぎだろう、とも思う。

今回のライブドアショックなんて言われていますが、ただ単に東証ポンコツシステムを延々と延命しシステム更新をしなかった営業責任という大問題だったのにもかかわらず、簡単に問題をすり替えられているのです。
本来は東証のシステムや経営責任を追及すべきことなのです。

ライブドアの問題は、大きな問題として確かに存在するのであり、東証の問題とは全く別で、それぞれが糾されなければならない、という方が正確だろう。これを書いたくまさんは、マスコミとは逆方向で思考停止に陥っていないか?

ライブドアの件に限らず、こういった行き過ぎの意見が多いことを案じてか、ネット上では、「安直なマスコミ批判」批判の意見をよく見かけた。(引用した両者とも、ライブドア事件とは無関係な文脈で出ているものではあるが。)

教育レベルでのメディアリテラシーの誤った浸透もあるのかもしれない。声高にメディア批判をすることがメディアリテラシーだと勘違いされているのだろうか。僕には声高なメディア批判ほど、メディアリテラシーのきわめて重大な欠如が見えることのほうが多い。

メディアが「知の格差」を作り上げたのか、それとも視聴者が自ら思考停止を望んできたのか。多くの視聴者は自ら情報の判断を外注に出す選択をしているのに、なぜか高いプライドを持ち続けて自分の本当の姿に気付かない人も少なくないらしい。鏡を見せられてさえ、マスコミに責任転嫁して精神の安寧にしがみつく。

「マスコミ批判」(ゲーム脳脳)と「マスコミ批判批判」(いわばゲーム脳脳脳)のどちらが偉いか、みたいな話は馬鹿馬鹿しいけど、自分が考えていることを客観的に(批判的に)捉える癖はつけておかなければならないだろう。安易に「ゴール」を決めて思考停止に陥ってしまえば、どちらも大して変わらない。
しかし、そうすると、結局、「いくら考えてもよくわからない」→「そんなに考える暇ない」ということになり、何も結論が出なくなってしまうのだが、これについては最後に。
・・・・とまあ、いろいろ考えた上での、自分のライブドア事件報道への今の感想は、やはりマスメディア批判*1になってしまう。そもそも、事件本体については、内容が難しくて、理解に時間がかかるものが多いし。

私自身は、近代における裁判とは、実は被告人を裁いているのではなく、検察を裁いているのだとする考えかにより親近感を覚えています。より正確に言うと、検察の捜査にデュープロセス上の不備がなかったかどうか、検察が被告人を黒だと証明する上で、その手続きに問題がなかったかどうかを厳しくチェックするのが裁判であり、市民社会のより大きな責務だという考え方です。

つまり、第四の権力といわれるマスコミが、その力を注ぐべきは「統治権力の監視」の方であり、水に落ちた犬を叩くことではないだろう。「何をすべきか」について自らの言葉で責任を持った発言をする神保さんの意見は僕にとって信頼できるものだ。
いずれにしても自分で考えるにも限度があるし、いつでも批判的に自分を顧みることは出来ない。そういう意味では「自ら判断する」というのは不可能のことのように思えるが、事件と報道に客観的にコメント出来る信頼できる論者を多数知っておく、そういうソースを日常的に開拓し続ける、そういう姿勢が、「自ら判断する」ための情報コストを極力下げるために有力な方法ではないだろうか?
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なお、今回、たくさんのブログから引用させていただきました。あくまで抜粋のため、各ブロガーの意図したところを正確になぞっているとは限りません。興味をもたれた方は、是非、引用先のエントリもご覧ください。

*1:批判か賛成かの二分法になってしまっている時点で、自分が問題を単純化しすぎているきらいがあるよなあ・・・。