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誰がクリストファーを幸せにできるのか〜マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』

夜中に犬に起こった奇妙な事件

夜中に犬に起こった奇妙な事件

数学や物理では天才なのに、他人とうまくつきあえない自閉症の少年クリストファー。お母さんを心臓発作で亡くした彼は、お父さんとふたり暮らし。宇宙飛行 士が将来の夢だ。
ある夜、隣の家の飼い犬が殺された。シャーロック・ホームズが大好きなクリストファーは探偵となって犯人を捜し、その過程を一冊の本にま とめようと心に決める。お父さんは反対するし、人との会話もすごく苦手だし、外を出歩いた経験もほとんどない。でも、彼の決意はゆるがない。たぐいまれな 記憶力を使って、クリストファーは調査を進めるが、勇気ある彼がたどり着いたのはあまりに哀しい真実だった…。冒険を通じて成長する少年の心を鮮烈に描 き、ウィットブレッド賞ほか数々の文学賞を受賞した話題作。(Amazonあらすじ)

この本の特徴

夜中に隣の家の犬のウェリントンが死んでいた。農作業用のフォークが犬の体を貫いている。それを見つけた「ぼく」は犬の体からフォークを引きぬいてかかえあげ抱きしめているところで、家の中からミセス・シアーズが出てきた。
こんなシーンでこの一人称小説は始まる。
この小説の変わっている点として、主人公のクリストファー・ブーンという15歳の少年が初めて書いた「ミステリ小説」という形式を取っていることが、まず挙げられる。(事件は殺人事件ではなく殺犬事件だが。)
しかし何より特徴的なのは、クリストファーが、高機能自閉症、あるいはアスペルガー症候群というものの特性を具えているということ(作中で自閉症という言葉は出てこない)。
あとがきによれば、著者はインタビューなどで「わたしは自閉症について書いたのではありません。あるとき園芸用のフォークを突き刺されて死んでいる犬のイメージがうかび、そこからクリストファーの声が聞こえてきた、わたしはその彼が語るままに書いたのです」と答えているとのことだ。この言葉は、この本の出版目的が自閉症という「病気」の紹介にはなく、クリストファーという「人間」の考え方について紹介したかったことを意味しているのだろう。
実際、これまでに読んだ本で、この本に一番似ているのは東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』かもしれないが、この本を「クリストファー」が書いた目的が、まさに事件を解決することだったこともあり、自分の「自閉症」が理解されない苦悩や、バリアを乗り越えることについてはあまり書かれていない。
むしろ、思考が横道に逸れて、時に深く掘り下げて書かれる様子が徹底している。
特に面白かったのは、クリストファーが一番得意とする数学の上級試験について書かれたくだり。出題された図形の証明問題(ここでは省く)について、「好きな問題だった」として、クリストファーは次のように書く。

そしてぼくはこの問題にどう答えたかをこの本に書こうと思った、しかしシボーン先生はそれを書いてもあまりおもしろくないといったけれどもぼくはおもしろいといった。それから先生は、みんなは本に書いてある数学の問題の答えなんて読みたくないでしょうといった、そして先生は、付録にその答えを書きこめばいいですよといった、それは本のおわりにある特別の章で、読みたいと思ったひとだけがそれを読めばいいわ。それでぼくはそうした。

そして、この本には実際に、「付録」として、問題の回答が載っている。自分はそれを読んでいないが(笑)


上に挙げたのは特殊な例だが、こういった回り道が定期的に表れるので、むしろこの本は数学や雑学コラム集としても読めるかもしれない。例えば、コティングリー妖精事件とコナン・ドイルの話やカエルの個体数の年変動の話、サッカードと呼ばれる視点移動の話などその話題は多岐にわたる。
中でも自分の好きなのは、直感というものが当てにならないということを表すエピソードとして出てきたモンティ・ホール問題。これはとても分かり易い話で気に入っている。

「プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会者(モンティ)が残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」

主人公クリストファーの思考の特徴

一方、クリストファーの思考の特徴はいくつかあり、その一つが、言葉に対する変わった感性。

ぼくは嘘はつかない。それはぼくがいい人間だからだとお母さんがよくいっていた。でもぼくがいい人間だから嘘をつかないわけではない。ぼくは嘘をつくことができないのです。(略)
嘘をつくというのは、起こらなかったことが起こったというときだ。でもあるきまった時間にきまった場所で起こることといえばただ一つしかない。そしてあるきまった時間と場所で起こらなかったことというのは無限にある。そしてぼくはその起こらなかったことを考えようとすると、起こらなかったありとあらゆることを考えはじめてしまう。(略)
これはぼくがふつうの小説が好きではないもう一つの理由だ。なぜかというとふつうの小説は起こらなかったことについて書いてある嘘だから、ぼくは不安でこわくなる。
だからこの本に書いたのはぜんぶほんとうに起こったことである。
(p41)

この他のページでも語られるように、クリストファーは、言葉を使わないコミュニケーションが不得意で、表情やジェスチャーの意味するところを読み取れない。また、言葉を使うコミュニケーションでも「隠喩」は理解ができない。
一方で、自身の行動が他者に与える影響については自覚的で、両親が離婚するかもしれないのは「問題行動」起こす人間(自身)の世話をするストレスがその理由だ、として、具体的な「問題行動」について、以下のようにピックアップしている。

A 長いあいだひとと話さない。
B 長いあいだ何も食べたり飲んだりしない。
C さわられるのをいやがる。
D 怒ったり、頭が混乱したりすると悲鳴をあげる。
E とてもせまい場所にひとといっしょにいるのをいやがる。
F 怒ったり、頭が混乱したりするとものをこわす。
G うなり声をあげる。
H 黄色のものとか茶色のものとかが嫌いで、黄色のものや茶色のものに絶対さわらない。
I ひとがさわった歯ブラシはぜったい使わない。
J 種類のちがう食べ物がくっついたりすると、それは食べない。
K ひとがぼくに腹を立てても気がつかない。
L 笑わない。
M ほかのひとが無作法だと思うようなことをいう。
N ばかなことをする。
O ほかのひとをなぐる。
P お母さんの車を運転する。
Q だれかが家具を動かしてしまうと怒る。

こういった行動が両親を悩ませているということが分かっていて、それでも「問題行動」を起こさずにはいられないところは、とてもやるせない、生き辛さを感じてしまうところだ。


そして、いわゆるサヴァン症候群の人に見られるように、映像記憶の能力にも特徴がある。

ぼくの記憶は映画のようだ。ぼくがものをおぼえるのがうまいのはそれが理由だ、この本に書いてきた会話とか、ひとがなにを着ていたとか、ひとがどんなにおいをさせていたかというようなことだ。なぜかというとぼくの記憶には音声記録帯のような臭気記録帯もあるからだ。(p137)

だから、何かを思い出しなさいと言われると、DVDを操作するように、もしくは検索エンジンで検索するようにして自分の頭の中をサーチしてその映像を取り出すのだという。

ほかのひとたちも頭のなかに画像を持っている。しかしそれらはぼくのとはちがう、なぜかというとぼくの頭の画像はぜんぶじっさいに起こったことだ。しかしほかのひとたちの頭のなかにある画像のなかには、現実のことではなく、じっさいに起こったことではないものが多い。(p140)

例えば、お母さんの「もしあたしがあんたのお父さんと結婚していなかったら…」という話や、だれかが死んだときに「あの人がいまここにいたら何と言いたい?」とか「あの人だったらどう思うかしら」という質問に対しては答えられない。事実にないことを仮定して想像すること自体が苦手なのだ。


クリストファーの幸せ

物語の進み方としては、最初こそ「夜中に犬に起こった奇妙な事件」だが、途中で、事件の真犯人に関して思いもよらぬ事実が判明し、「犬に起こった事件」よりもクリストファーにとって大きな問題と直面することになる。それによって、いつも決まった行動を行うことでパニックを起こさずに済んでいる半径100mの世界(自分の家を中心とした半径100mの世界)から出て、自分の家から160キロも離れたロンドンにひとりで行くという冒険が始まる。


人が大勢いる場所でのクリストファーの狼狽ぶりは大変なものだが、クリストファーの一人称で出来事が語られるので、読者としては、物語の筋を追いながら、多様な人々の考え方について学ぶことができる。
そして、両親がどのような困難の中でクリストファーを育ててきたのが明らかになる。
(少しだけネタバレになってしまうが)それだけに、ラストのハッピーエンドがやや納得が行かないのも確かだ。ぼやかして書くが、ちょうど読んだばかりの(もやもやを残して終わる)コミックエッセイ『母親やめてもいいですか』と状況が重なるだけに、家族みんながもう一度協力してクリストファーを育てるようになれるとは考えにくい。しかし、非現実的なのかもしれないが、クリストファーにとっては最高のラストなので、両親の愛情を受けながら、これからの青春期を過ごしてほしいと願った。


ただ、クリストファーの家族の幸せは、彼ら自身にすべてを任せる類の問題だろうかとも思う。
途中でクリストファーが挙げている「問題行動」自体は、周囲にいる人、もしくは「場」が決める概念であり、家ではOKなことであっても、地下鉄の中ではNGなこともあるし、父親やシボーン先生にとってはOKでも、隣の家の人にはNGなこともある。そう考えると、クリストファーの生き辛さは、すべてを彼自身が背負うものではないし、両親がそれに苦しむものでもないように思う。
自分だって、何か障害を負うことになればもちろんのこと、電車内にベビーカーを持ち込むときなど、何か条件ひとつで、社会に対して「問題行動」になっていないか、と生き辛さを感じてしまうかもしれない。
周囲がすべてを受け入れる必要はない(たとえばクリストファーは常にナイフをポケットに忍ばせていて、これはとても危険だ)が、少しでも、受け入れる方向に向かう必要がある。
例えば自分はこの本を読むことで、自閉症に関する理解が深まり、受け入れるとまではいかないが、恐怖を感じることは減った。
よく宮台真司が(最近では菊池桃子が)、「社会的包摂」という言葉を使うが、誰もが生活しやすい社会には、そういった社会的包摂が必要で、それはいろいろな人の人生を、もしくは生き辛さを理解するところから始まるのだろうと思った。

参考(関連する日記)

 ⇒東田君の本は、テレビ番組を見たこともあって、やはり印象的。これも賛否あるみたいですが一読の価値ありの本だと思います。

 ⇒これも変わった小説。アスペルガー症候群高機能自閉症)を持つ妻を描く小説で、『夜中に犬に〜』に似ているのはこちらかも。

 ⇒生まれてきた娘が広汎性発達障害と診断されたことで悩みまくる母親の奔走と崩壊の物語。Amazon評がやや荒れている本です。