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「藪の中」から振り返る原発事故〜福山哲郎『原発危機 官邸からの証言』

原発危機 官邸からの証言 (ちくま新書)

原発危機 官邸からの証言 (ちくま新書)

事件と登場人物は同じでも視点が違えばドラマは異なる陰影で浮かび上がる。官邸はあたかも「藪の中」のようだ。

先週の日経新聞の読書欄で『証言 班目春樹』を紹介する文章にこう書かれていた。
少し前に読んだこの本も、そういった「異なる陰影」のうちのひとつ。当時、いろいろな思いで事故の経過を眺め、そして官邸の対応に怒っていた自分を思い出しながら読んでみた。

本当に官邸の原発事故対応は失敗だったのか? 当時の官房副長官が、自ら残したノートをもとに緊急事態への取組を徹底検証。知られざる危機の真相を明らかにする。

全体を通した感想としては、先日読んだ『巨大災害の世紀を生き抜く』で食い足りなかった部分をカバーする内容もあり、何より、当時の危機的状況における総理官邸の動きがよく分かるという意味で良い本だった。
この本で特に印象に残ったのは以下の二点。

  • 当時のリスクコミュニケーションにの振り返りと失敗の原因
  • 歯に衣着せぬ物言い

リスクコミュニケーションの失敗

原発事故対応では、さまざまな問題が指摘されたが、その一つに政府のリスク情報の出し方がある。これについては、当時の状況を説明する中で著者の意見が何度か述べられている。
例えば、ごく初期の時点でメルトダウンが生じていたにもかかわらず、政府の発表がより安全側の表現にとどまったことや、人体への影響についても「ただちに影響はない」をひたすら繰り返すのみだったことも含めリスクコミュニケーション全体への批判に対しては、以下のように説明している。

たとえば、こうした事故が発生した場合、「政府は考えられる最悪の事態を国民に告知すべきだ」と指摘する識者がいる。起こり得る最悪の事態に備えて、国民は自らの判断で対処することができるというのだ。告知しないのは「政府による情報の隠蔽だ」と批判する声さえあった。
しかし、これは極めて無責任な意見だと私は思う。(略)
政府が最優先すべきは、その最悪の事態を回避することだ。(略)p31

一部の識者が提案したように「科学的な学説の範囲を示し、政府の見解を示したうえで、あとの判断は国民に任せる」という選択肢もあるが、はたして現実的だろうか。政府が「自主避難」という方針を示したときは、「避難するかどうかの判断を国民にゆだねるのは無責任だ」という強い批判を受けた。p192

つまり、責任ある発言を求められる立場にあり、状況把握が不十分な中、不安を煽る発言を避けるためには仕方がなかったという説明だ。
ここで「一部の識者」の意見というのは、先日読んだ『巨大災害の世紀』の広瀬弘忠さんのように「一般住民がパニックを起こすことはない。十分な情報が与えられれば、合理的な判断ができる」という主旨だが、自分はこれには懐疑的だ。
昨年12月7日の津波警報が出された際も、車の渋滞が酷く、スムーズな避難はできなかったようだ。(下の記事参照)このことからも分かるように、個々の考え方は別としても集団として見た場合に合理的な判断を望むのは無理だと思う。また、あのとき話題になったNHKの放送は「不安を煽る」という点から非難されることが多かったことから考えても、不確実性の高い情報開示と注意喚起を望まない人が多数いることは確かだ。(あの放送に関しては、自分は賛成だが)

東北地方で1年8カ月ぶりに津波警報が出された7日夕の地震では車で避難する人が相次ぎ、各地で渋滞が発生した。避難の遅れや事故につながる恐れから、国は原則として徒歩の避難を求めてきたが、昨年の東日本大震災では車で避難途中に犠牲になったケースが多発。避難方法の見直しなどを進める自治体関係者は「教訓が生きていない」と衝撃を受けている。


SPEEDIに代表されるように、不安を煽るからという理由で情報を隠蔽するのは問題だが、かと言って全ての情報を出すべきとは思わない。どちらが明確に正しいということはできないが、本を読んでみて、官邸も難しい判断を強いられていたし、そのジレンマの中で、動いていたことが分かり、その点では、著者の意見を納得して読んだ。


なお、こうしたリスクコミュニケーションの失敗については以下のように理想を示した上で、何故それが上手く行かなかったのかを考察している。

まず、政府が情報を開示し、国民や専門家を巻き込んで議論する。合意形成のプロセスを経て、政治が意思決定する。原発問題に関しては、そんな合意形成の土俵がまったくできていなかった。推進派、反対派のレッテル貼りがなされ、二項対立の中で互いに批判し合っている状況が続いていたと思う。
リスクコミュニケーションは、0か100かという「二者択一の議論」ではない。どの程度ならそのリスクを許容できるかという「程度の議論」となる。(略)
しかし、その合意形成の仕組みが、とくに原子力の分野において日本にはないに等しかった。最大の原因はいわゆる原子力ムラだろう。専門家がリスクについて言及した瞬間に原子力ムラから排除されるような構造が戦後長らく続いてきた。p192-193

原子力ムラの作ってきた雰囲気が、リスクを議論することを拒否してきた。そのため、非常時に急に議論が必要になっても、0と100ではなく、その間の「程度の議論」に踏み込めなかったというのである。例えばダムなどの防災施設は、リスク評価を行いながらも、その効果が過大に評価されることが批判の対象となるが、原子力ムラでは、リスク評価を行うこと自体がタブー視されるという点が違うのだろう。現在行われている原発再稼働をめぐる活断層調査については、短期間の調査でこれまでの調査結果を覆すのはどうかという感想を持っていたのだが、原発建設当時と今では、「空気」自体が異なるのかもしれない。
とはいえ、こういった検証や評価が結論ありきで行われてきたのが日本の悪しき伝統でもあり、それが日本の「空気」を作ってきたともいえる。見て見ぬふりをするのではなく、そういった悪しき伝統は、自分たちの世代こそが改めて行く必要がある。

現場にいた人間の、中立性を意識しない生の声

この本の一番の面白いところは、中立性を意識しない生の声が出ていることである。
特に、東電と保安院に対する厳しい意見が多く見られ、菅首相が激怒した状況が分かってくる。

  • 自衛隊を動員して招集した電源車到着時の不手際(p37)
  • ベントが遅れた理由の釈明(p61)
  • 3/14の計画停電実施検討時、非常時にもかかわらず大口需要者を優遇する姿勢(p99)
  • 「撤退」の申し入れと、それについての釈明

など、細かい事例はたくさんあるが、驚いたのは、著者が、菅総理、海江田大臣、細野補佐官、寺田補佐官とともに3/15に東電本店に乗り込んだときの話だ。

私はそのときの対策本部における、あまりに緊張感の欠けた空気に唖然とした。「菅さんだ」とざわついて、総理を見に来たりのぞき込んだりする社員もいた。現地がまたいつ爆発するか分からない状況にあり、それを理由に現場からの「撤退」を申し入れてきた社内で、この空気のゆるさはなんだ、と思った。p111

東電本店は、現地の状況も逐一確認できる施設を持っていながら国には何も報告せず、そのために官邸は情報不足に3日間苦しみ、もはや不眠不休の体制だったというのだから、衝撃は大きかったのだろう。その後に出た吉田所長の本では、菅総理含め官邸側が強く非難されているようだが、本来なら官邸と現場の橋渡しをすべきだった東電本社、そして保安院の問題が大きいようだ。
福島の原発事故で明らかになったこれらの問題が、現在の新体制でどの程度解消されているのか。そういう視点を持って、原子力規制委員会の動きをよく見ていく必要があると感じた。

最後に

福島の原発事故は、津波被害の大きかった震災の中でも、やはり特別大きな衝撃があった。
今も、そのために故郷を離れて暮らさざるを得ない人たちがいることを想うと、本当は考えなくてはならないことなのに、むしろ距離を置いてしまうような気持ちもある。
しかし、同様の災害が起きる可能性もあり、今回の衆議院選挙がそうであったように、日本を支えている基本事項であるエネルギー政策や防衛については、ある程度、一人一人が知識を蓄えておく必要がある。
過去というよりは、日本の今後を考える上で、関連する本も読んでいきたい。

この本以降に出た本

2012/8

証言 細野豪志 「原発危機500日」の真実に鳥越俊太郎が迫る

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2012/10

東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと (幻冬舎新書)

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2012/11

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

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証言 班目春樹―原子力安全委員会は何を間違えたのか?

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『海江田ノート』原発との闘争176日の記録

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2012/12

検証 東電テレビ会議

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