Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

小2女児プール死亡事故について

鉄は熱いうちに打つべきなので、事故について思っていることを少し整理してみました。

違和感を覚えるコメント

今回の事故に関連して、いくつか見たニュース番組では、事故報道のあと「この死を無駄にしないためにも、関係各所は〜」というようなコメントが述べられる点が共通していた。
このコメントには少し違和感を覚える。
というのは、自分が小さい頃(だから、20年以上前)にも、こういう事故は起きており、「排水口の近くは危険だから近づかないようにしよう」と子どもながらに注意していた記憶があるからである。
実際、テレビ報道を見ると、毎年のように同様の事故で死者が出ているという。
それでは、これまで積み重ねられた多くの「死」は「無駄」にされてきてしまったのだろうか?
 
労働災害における経験則の一つにハインリッヒの法則というものがある。
1件の死亡、重傷災害事故の背後には、同様の原因による29件の軽傷災害と300件の無災害事故(いわゆるヒヤリハット*1)事例が存在する、というものだ。つまり、300件のヒヤリハット事例を丁寧に拾い上げて事故原因を潰していけば、1件の死亡事故が防げる、ということになる。
しかし、今回のプール事故は、過去何件もの死亡事故が発生しているにもかかわらず、いまだに事故防止への道筋が立てられていないように見える。
それでは、過去の事故を生かせないのは何故なのか?

過去の事故を生かせない理由 〜日本人の特質

少し話がずれるが、今回の事故も含めてテレビ番組の事件、事故の報道というのは、以下の4つの段階に分けることができると思う。
①社会の怒りを煽る
②責任の所在をはっきりして、気分的な落とし所をつける(やり場の無い怒りを収めることが目的)
③前進するために事件・事故の原因を明らかにする(その過程で責任の所在も明らかにする)
④事件・事故の再発防止のための対策を探る

人間の知恵というのは過去からの積み重ねである。個人としては、事故報道から、事故を予防するための知識を学ぶだろうし、社会としては、同様の事故を繰り返さないための知見を得る。したがって、テレビに限らず、情報を受け取る側としては④がもっとも重要な内容になるはずである。
しかし、テレビ番組は、時間が限られており、なお且つ世の中のスピードは速いため、ほとんどのトピックスについては、①⇒②でとどまり、⇒③⇒④まで行くことはあまり無い。
特に、ワイドショー的な番組では、(本来は不要であるように思われるのに)異常に①にこだわる。
朝、やじうまプラスを見たら*2、事故被害者の人物像についての報道(過去の故人の映像や知人のコメント)が、ほぼトップニュースの扱いで驚いた。
俗に言う被害者報道だが、未解決事件の場合は、目撃証言が得られたり、犯人検挙に役立つ可能性もあり、ある程度、報道する意味はあると思う。(プライバシーの問題はおいておく。)
しかし、今回の事故では、明らかに不要だろう。ただただ、社会の怒りを煽ることにしかつながらない。

また、②と③は似ているが異なる。②は、①の受け皿として必要で、特に①に偏った報道がされた場合、②でスケープゴートを作らないと収まりが悪い。したがって、①②はワンセットだといえる。
同じ責任追及でも、いわゆる「犯人探し」では無く、④「改善策」につなげるための「責任究明」というのが③である。③④はワンセットで、実際には①②は通らなくても直接こちらにアプローチできるはずなのだが、大きな事件ほど①②で終わってしまう。
最近の話でいえば、福井総裁の件は(①⇒)②⇒と来て、テポドンなどの騒動の余波で時間切れ。その後は、ニュースとしての鮮度が低くなったのでほとんど報道されない、というような状況にある。
藤里町の事件も②(犯人探し)に偏りすぎて、そもそも捜査や報道内容が適切であるようには思えない。
そういえば、以前も、こういった内容について触れられていた本があったことを思い出した。

「失敗」については、以下のような話題が取り上げられている。が中央公論の連載ものということで、これ以外にも科学技術に関する広い話題が取り上げられて、特に「科学技術をマスコミがどう伝えるか」「海外との競争にどう生き残っていくか」の観点から、日本の科学技術ビジョンについて持論を述べている。

  • 美浜原発の蒸気漏れ事故(2004年8月)
  • 高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故(1995年12月)
  • H-2ロケット8号機打ち上げ失敗(1999年11月)
  • H-2Aロケット2号機のDASH分離失敗(2002年2月※打ち上げは成功)
  • スペースシャトルコロンビア号の事故(2003年2月)

例えば、美浜原発の蒸気漏れ事故については、原発に特有の事故ではないのに、原発であることばかりを取り上げて、技術的な原因の追求については疎かになっている報道姿勢に疑問を呈している。同じように、H-2Aロケット2号機の実験についても「便乗衛星」の分離失敗についてのみ取り上げるマスコミを非難する。

さて、こういった日本で起こった事故を念頭に置きながら、アメリカのコロンビア号の事故調査の経過を見て、作者はこう感想を述べている。

そこでつくづく感じたのは「原因究明に重点が置かれている」「再発防止に集中している」ということである。当然と言えば当然かもしれない。
しかし、これが日本で起きた事故だったならばどうだろうか。「責任追及」が先行していたことは確実だろう。(P132)

先日の本で、高木仁三郎は事故調査を「自己検証型」(原因を徹底的に究明する調査)と「防衛型」(これ以上ひどいことにはならなかったということを立証したいがための調査)に分けているが、まさに、日本においては、「責任追及」が重視されるがために、事故調査も「責任回避」型になってしまうというところだろう。こういう点は、やはり日本人は合理的な国民ではないのだなあ、と思ってしまう。

どうも、マスコミだけではなく、事故調査委員会でも同様の状況があるようだ。
したがって、過去の事件・事故を生かせない理由は、日本人の特質から来る部分もあるのかもしれない。

だいぶ前のNHKスペシャル「子どもの事故を防ぐには」でも、同様のことが指摘されていた。*3
番組で取り上げられていた「子どもの事故予防センター」代表の山中龍宏さんの文章より、日本と欧米の「事故」に対する考え方の違いについて引用する。

成人の死亡原因の第1位は悪性腫瘍(癌)、第2位は心疾患、第3位は脳血管障害ですが、わが国では1960年(今から40数年前)から、子どもの死亡原因の第1位は「不慮の事故」です。0歳を除いた死因ですが、今年も、来年も10年後も、子どもの死因の第1位は不慮の事故であります。癌に対しては何百億円もかけて研究していますが、子どもの事故に関しては極端にいえば1円もかけていない、これがわが国の現状です。子どもの命にとって最大の敵は、病気ではなく不慮の事故なのです。
(略)
欧米では医療行為にも経済効率が考えられていて、起こってから治療するよりは起こる前に予防したほうがお金が安くすむという考えで、20年前から事故が起こる前の予防にお金をかけています。わが国では予防には一切お金はかけていません。わが国では子どもの事故が起こると、「親の不注意」、「親の責任」、あるいは遊び方が悪ければ「本人が悪い」と指摘しているわけです。ですから、ただ「気を付けて」「危ないですよ」「目を離さないで」と言っているだけです。あるいは、事故というとすぐに応急処置とか治療とかリハビリのほうに眼が向き、予防は全く考えられていません。ですから、事故の発生頻度は全く変わらないのです。

具体的な数値は失念したが、番組では、日本の「不慮の事故」による死亡者数が、欧米と比べてかなり多いことが示されていた。こういったところに目を向けずに、相対的にはリスクの小さいBSEなどにこだわりすぎるのは、日本の「安全文化」が欧米のそれとは大きく異なることの現れなのだろう。
また、「不慮の事故の責任は親が背負い込むのでなく、社会が受容して改善につなげるべき」という番組主旨が非常に印象に残った。

なお、上述の「子どもの事故予防センター」代表の山中龍宏さんは、プールの排水口の危険性についても、昭和60年に発生した事故を取り上げて文章を載せている。(H10頃の文章だと思われる。)

私は7〜8年前に、文部省の担当者に経験した事例を示し、プールの排水口の危険性について話したことがありますが、「そういう規制は文部省はできない」という返事でした。以後も、毎年同じ事故が数件起こっていましたが、溺死した子どもの父親が文部大臣に訴え、平成7年になってやっと実態調査が行われました。そして排水口の改善指導がなされました。いまだ改善が必要な学校が2,700校もあるのは心配ですが、指導によって危険性が大幅に減ったことはたいへん喜ばしいことです。現在、規制緩和が叫ばれていますが、こういうことに関しては、逆に規制が必要と思います。

ここでは、そのほかにも子どもの事故としてリスクが高いものが数多く挙げられており、非常に有用な情報が得られる。

プールの事故を防ぐには

最後に、再度、今回の事故を振り返ってみたい。
今回の事件で、管理者の責任を問う声がある。
当然、責任追及はあってしかるべきだが、②の要素が強い報道を見聞きして溜飲を下げてはならないと思う。たとえば、自分も、ある記事を読んだあとで「そうか、丸投げした管理会社が悪いのか。」とスッキリした気持ちになりかけていたが、それだけでは何も改善されない。
個人的には、これだけ多くの事故が起きている問題であるからには、「厳重注意」とか「一斉点検」だとか、管理者のモラルを問う対策だけでは不足していると考える。結局は気が緩んだ数年後、悪くすれば一年後に、同様の事故を繰り返すだけだろう。
また、被害者のほとんどが子どもであり、悪ふざけで柵を外すなど、意図的な行動に出ることも考えると、構造的な対策を義務付けるべきだと思う。前述した「子どもの事故予防センター」の活動も、基本的には、具体的な解決策を提示することを目的としていた。
具体的には、これもテレビで報道されているように、単純に柵を二重にするやり方が、その一つだ。
また、排水口の吸引力を抑えるようなやり方もあるかもしれないし、吸い込まれそうになった子どもを感知したら排水ポンプが自動的に停止するようなセンサーを取り付ける、といったフェールセーフ的な方法もあるだろう。
今回、縦割り行政の管理上の問題なども指摘されているようだが、事故の予防ということを第一の目的とするならば、排水口の構造上の規制を厳しくするなどの対応が最もふさわしいように、今の自分は考えている。

*1:「ヒヤリ」「ハッと」というだじゃれなのだが、至ってまじめな内容の言葉

*2:新聞記事を映しながら説明を加える形式は好み。おはよう日本は7時から見るので、それまではテレ朝をつけていることが多い。

*3:内容は、基本的に「子どもの事故予防センター」の活動紹介(事故予防を目的とした公園遊具の改良)だった。