Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

秋田連続児童殺害事件について

先日のエントリは、定期的に発病する「マスコミ憎し」の気持ちが止められなくなり、プール事件にかこつけて、少しマスコミ批判を絡めて書いてやろうと画策した結果、内容がごちゃごちゃしてしまったと自己分析しています。
その後、よく考えてみると、マスコミ云々の話は除き、プール事故の話に特化した方がわかりやすかったと反省しています。
ところで、そのとき抱いていたマスコミに対する怒りは、実は、プール事故とは全く無関係な事件の報道からくるものでした。
それは、秋田連続児童殺害事件です。
〜〜〜〜〜〜
この前のエントリでも書いたように、事件・事故報道に対して、受け手の視聴者は、何らかの教訓を得るのが理想的だと思う。
例えば、プール事故であれば、「排水口付近は危険だから近づかないようにしよう」「柵が外れていたら一刻も早く監視員(管理者)に知らせよう」等、自分の身の安全についての教訓が得られる。また、「プール管理者は、しっかり責任を果たしているか」などという監視の目を持つことも同様に社会全体としてプラスに働くだろう。
もちろん、ニュース報道に、そういう教訓とは無縁のもの(たとえばタマちゃん)もあるが、犠牲者の出るような事件・事故では、(死を無駄にしないために)そこから何かを得たいと思う気持ちがある。

そこで、今回の事件(秋田連続児童殺害事件)から何を学ぶか、何に注目して報道を追うか、ということになるのだが、個人的には、以下の点に関心を持っている。

  1. (自分の身内が不幸にあった場合を考えて)警察がどの程度信用できるか?
  2. 自分が容疑者になったときに、どのような捜査を受けるか

おそらく、これとは異なる意見を持つ人も多いと思う。
1番目は、今回の事件では、豪憲君の父親の視点で事件を解釈することを意味する。
2番目については、「疑いをかけられた者」の視点で事件を見ることになるが、痴漢冤罪の事件を多く聞くので、女性よりも男性の方が、そういう視点に立ちやすいかもしれない。*1
これ以外では、例えば、以下のような話に注目して、ニュースを聞いている人も多いかもしれない。

  1. どのようなタイプ(性格・外見・生い立ち)の人が犯罪を犯すのか?
  2. 一見、平和に見える世の中には、どのような犯罪が潜んでいるのか?
  3. 犯罪者が、いかに正しく裁かれていくか?

1、2番目は、視点としてはありうるのかもしれないが、今回の事件についていえば、参考になることは皆無といえる。
3番目は、上に挙げた「容疑者になったとき」とは、逆の視点になる。この考え方の問題は、端的にいえば、誰が犯罪者か現時点では確定していないこと、である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
事件に対する自分のスタンスを大まかに説明したので、ここから、今回の事件報道に対するイライラの原因を、大きく3つに分けて書く。(勿体つけて書くほどの内容は無いのですが・・・)

(1)マスコミの取材の非対称性
今回逮捕された畠山容疑者への(怪しいと睨んでいた時期からの)加熱取材と比べ、あきらかに落ち度があるはずの秋田県警への突っ込みが少なすぎる。
ここに来て、豪憲君の父親が動いたことで、県警批判についても報道されるようになったが、マスコミは、誰かの口(豪憲君父、社会的な批判の高まり)を借りてでないと、警察の批判をしないようなので、イライラは高まるばかり。(警察が情報提供源としてお世話になっているお得意様だからということでしょう)


(2)たいした価値があるとは思えない「供述」ばかりの報道内容
この事件、あれだけ、容疑者は一貫性のない供述を続けているのに、一時期は、毎日のようにそれが追っかけで報道されていた。
下の記事なんかは、嘘しか言わないメラニ族の出てくる論理パズルかと思った。

 秋田県藤里町の小学4年畠山彩香さん(当時9歳)が殺害された事件で、殺人容疑で再逮捕された母親の畠山鈴香被告(33)が、「うちの子は川が嫌い」と能代署などに説明していたのは、うそだったことが22日わかった。能代署捜査本部は、彩香さんの水死について、事件に巻き込まれた可能性があると考えていた親族に合わせ、苦し紛れに言ったとみている。
 調べによると、畠山被告は当初、同署員に「彩香は河原の石を拾って集めていた」と話したが、彩香さんが遺体で発見されて以降、「川は嫌いで行くはずがない」と説明を翻し、第三者による事件の可能性をほのめかした。

このような中で出てきた「自白」もどの程度、意味があるのかわからない。
案の定、彩花ちゃん殺害については、殺害容疑を否認したことで、振り出しに戻ってしまった。

 秋田県藤里町の小学4年畠山彩香さん(当時9歳)殺害事件で、殺人容疑で再逮捕された母親の無職畠山鈴香被告(33)(米山豪憲君殺害事件で起訴)が、彩香さん殺害について、これまでの供述を一転させ、「何で私が犯人なの」と話すなど否認していることが7日、わかった。
 「彩香は、事件で殺(あや)められた」と、自分以外の犯人がいたことを主張しているという。畠山被告の拘置期限は9日で、秋田地検は、否認したままでも殺人罪で追起訴する方針だ。
(略)
秋田地検は、〈1〉殺害を認めた逮捕後の供述〈2〉事件直前に大沢橋で畠山被告と彩香さんの姿を見たという目撃情報〈3〉責任能力があるという簡易精神鑑定の結果――から、否認しても立証は可能とする。ただ、これまでの捜査で有力な物証は得られていない。


(3)畠山容疑者が二人を殺めた犯人だと確信できない
上の引用記事にもあるように、物証は皆無で、容疑者の供述のみ。殺害供述についても、相当長期にわたる取調べの中で出たものであることを考えると、むしろ、目撃証言に合うような内容を喋るよう強要されたと考える方が自然ではないかと思う。
そうではなく、マスコミが自信を持って、畠山容疑者=二人を殺害した犯人との確信に基づいて報道するところを見ると、一般の人には知ることのできない、畠山容疑者が犯人であると確信するに足る何かの情報を持っているのだとしか思えない。
松本サリン事件を通過した上での報道なんだから、相当慎重に吟味された内容がテレビや新聞記事となっているのだと信じたい。
ただ、そういう「隠された何か」を信じてしまうと、当然、別な見方も出てくる。

畠山鈴香容疑者・冤罪説

ここの頁では、「容疑者宅を度々訪れていた男性」が犯人で、畠山容疑者は死体遺棄のみ、という説をとっているが、それなりに筋は通っている。
自分は、冤罪説に賛成するわけでは全くない。何度も書くが、自白程度しか証拠がないことを考えれば、日々、テレビで報道される畠山容疑者が二人を殺害したという、エンタテインメント性の高い「ストーリー」も、冤罪説と同様に根拠が乏しいと言えると思う。
ただ、真犯人は誰か、ということは、自分の関心の中心ではない。
〜〜〜〜
一番初めに戻るが、自分が、この事件に関して興味を持っているのは以下の2点である。

  1. (自分の身内が不幸にあった場合を考えて)警察がどの程度信用できるか?
  2. 自分が容疑者になったときに、どのような捜査を受けるか

ジャーナリズムと、それらの情報の受け手の市民の役割は、落ちた犬を叩くことではない。
正しい手続き、納得できる手続き(デュープロセス*2)によって、捜査、裁判が進められているか、についてチェック(監視)するような見方の方が、より「明るい未来」に近づく考え方のように思える。

*1:ちなみに痴漢冤罪「対策」については、以下の頁が面白い。http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/e/17/

*2:ライブドア事件について述べた神保哲生さんのブログがわかりやすい ⇒http://www.jimbo.tv/commentary/000211.php