Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

曽我部恵一VS田島貴男

週末のオリジナル・ラヴのライヴ前に、ひとつ批判っぽいのを書かせてください。
ライヴが終われば、自分の「この気持ち」も消えてしまうかもしれないから。
〜〜〜
曽我部恵一の最新アルバム『ラブシティ』に関するインタビュー記事がweb上にあるのだが、これが、ものすごくいい内容なのだ。
このエントリの、タイトルを「曽我部恵一VS田島貴男」としているのは、(勿論、似ていない部分も多いのだが)二人にはいくつか共通点があることが頭にある。

  • 男性シンガーソングライターである(これは当たり前か)
  • グループで活動していた時期に人気が一度ピークを迎えて、その後ソロ活動を続けている。
  • ポップ/ロック両面での道を究めようとする求道者である。
  • 音楽性の幅が広く、アルバムによってカラーに差がある。
  • 根っこにパンクがある。

ということで、僕は、曽我部恵一のインタビューを読むとき、田島貴男を思い浮かべずにはいられない。
一個一個突っ込むと嫌味っぽくなるので、コメントは簡単に抑えながら、インタビューをダイジェスト的に引用する。

「自分じゃわからないわけ、いまいち(笑)。もちろん、自分でいいと思って作ったわけだけどね。自分としては、習作・小品と思って作ってるけど、それゆえの魅力ってあるんだろうなと考えて、入れることにしたの。そう思ってから、曲自体をビルドアップしていった感じはある」
──なるほどね。
「だから、わかんないもんなんだよね。『東京』のときもそうだよ。『真っ赤な太陽』はさ、自分の中では大した曲じゃないと本気で思ってて。でも、当時のディレクターの渡邊(文武)さん(※5)が、『曽我部、あれは人気曲になるから、絶対に入れておいたほうがいい』って言うの。で、渡邊さんがそう言うんだったら、入れとこうかなって思って入れた。そしたら、『真っ赤な太陽』が好きって言ってくれるファンも、結構いて。入れといて良かったのかなぁって。

田島貴男×渋谷陽一対談を思い出す。→HEIWA REAL BEAT12/16放送分

今回は、ソロになってからの自分の王道を作るっていう感じがあったのかもしれない。得意分野で、自分のやりたいことで、人をびっくりさせるための音楽じゃなくて、『あ、やっぱりこれだよね』『こういう音楽をやらしたら、曽我部の右に出るやついないよね』って言わせる作品っていうか」
(略)
たとえば、ハウスが好きだから、ハウスの要素を入れてみたいなとか思うじゃん? でも、プロデューサーとしての自分がさ、『そんなハウスの要素なんてどうでもいい。新しいと思われることをやっても無意味』って言うわけよ。じゃあ、自分が本当に欲してるもの、ナチュラルに出てくるものはなんだろうな? っていう問いかけがすごくあって。『等身大の音楽ってなんだろうな?』っていうことが、ここ何年かの自分にとってのテーマなんだよね。等身大の音楽をやる意味とか、そこにおける冒険とか、それこそが旅なんじゃないかとかさ。俺がかっこつけて、瞑想しにインドに行くことは、ホントは旅じゃなくって、子ども連れて幼稚園に行くことが俺にとっての旅なんじゃないのかなとかさ、そういうふうに思いはじめたんだよね。

ここでは、「子ども連れて幼稚園に行くことが俺にとっての旅」というのは大名言。前半部に出てくる「プロデューサーとしての自分」という部分が、田島貴男にとってはポイントのような気がする。

──ポップなアルバムっていうことを、別の言葉に置き換えるとどうなります?
「自分のお母さんが喜んでくれるような音楽。スライ(※8)みたいな、超バッキバキのファンキーな音楽を作っても、お母さんは喜んでくれないだろうな、みたいなさ。お母さんが聴いて、『あぁ、恵一はこういう子だよね』って言ってくれるような。別にお母さんに送ったりしてないけど(笑)」

『RAINBOW RACE』の頃の田島貴男はこういうことを言っていた。そして僕は、今でも『RAINBOW RACE』の延長上のアルバムを聴いてみたいと思っている。

「うん。論理的に考えたことは、全部失敗に終わっていく。だから、すごく難しいよ。頭で考えたことは、音楽にあまりうまく反映されなかったなぁ。特に今回は」
──にしても、みんなが好きって、やっぱりすごく高いハードルだよね?
「すごく高いハードルだったけど、『東京』や『MUGEN』と違うのは、鬼のようにライヴをやるっていう日々を経てるから、すごいフィジカルになれてたってこと。ビートの説得力が違う。それは、すごいうれしいよ。あんな大変な思いして、年に100本以上もライヴやってよかったなぁって思う」
──そこが当時との一番大きな違い?
「うん。ビートと、あとは言葉の説得力。人に向かって歌うべき、歌うための言葉で歌ってるからね。『東京』みたいに、コンセプチュアルに短編小説を書くように、机に向かって書いた言葉じゃないから。あれはあれで、世界観がすごく完結してていいんだけど」

「ジェンダー」について書いたエントリで、「頭でっかち」とか「フィジカルでない」という表現を使ったのは、このインタビューが念頭にあった。

いくらスタジオに入ってギターを弾いても、コンピュータを前にしてトラックを作っても、結局はなんにも体得できなくって。それだったら、自分の曲をDJでかけるとか、ライヴを一本やるとか、そういうほうが全然得るものが多いね。だってさ、マーヴィン・ゲイの曲をかけたあとに、自分の曲をかけたら、何が足りないかがわかるもん

これも、すごい名言。

サニーデイのときは、そういう作り方があんまり好きじゃなかったのよ。もっと文学的に完成されたものを求めてたから。文章だけで読んでもすっげえいいみたいな。今は、歌われてどんだけ爆発するかっていうことが重要になってきてる

先ほどの繰り返しになるが、やはりこの部分が、『東京 飛行』の一部の曲への懸念。おそらくid:originalovebeerさんの不満の一部もここにあると思う。

自分が培ってきたものを、忘れかけてたものも含めて、総動員した作品。
(略)
ビートルズも好きだし、『ペットサウンズ』も好きだし、ディスコっぽいのも好きだし、フェラ・クティも好きなんだから、そういう部分をちゃんとポップスの中に素直に入れられたかなって。自分がいろんな仕事をしていく中で覚えてきたテクニック、いろんな手品のやり方を全部やろうと思って。初期衝動だけで、ロックンロールをやるんだよっていうことも大事なんだけど、俺しかしらない魔法はいっぱい使っておきたいなって

曽我部恵一による、アルバム総括。
オリジナル・ラヴは新作が出ると「集大成的」と評されることが多いが、まだまだ全部を出し切っていない。「俺のオリジナル・ラヴはこんなもんじゃねえ」といつも思ってしまう。
だからこそ、真に集大成的な作品を今こそ見てみたい気がする。
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さて、まとめ。
以前、「人生は音楽だ」のhiroharuさんが、「ミュージシャンのファン・サービスについて」というエントリで、ファンを意識したPR戦略の必要性を説いていた。
自分は、オリジナル・ラヴの問題は、(それが魅力でもあるのだが)田島貴男が、わが道を行き過ぎるために、ファンのニーズと田島の嗜好に激しいズレが生じることなのでは・・・と思っていたので、「ミュージシャンとファンの架け橋が必要だ」というhiroharuさんのエントリを読んで「その通り」と膝をたたいたのだった。しかし、そのための、具体的な方法が「日記」の充実なのかなあ?という気はしていた。
そんなとき、曽我部恵一のインタビューを見て、答えは「ライヴ」なのではないかという思いを強くした。
上でも引用したように「論理的に考えたことは、全部失敗に終わっていく」というのは、特にミュージシャンとしては、大きい部分なんだと思う。ライヴで演奏すれば、どの曲が人気があって、どの曲が不人気かはたちどころにわかるはずだ。自分としては、ライヴ映えはしないが、CDで聴くと最高な「水の音楽」みたいな曲も大好きだが、やはり、フィジカルな曲がたくさんあるほうが楽しい。
あと、これが一番心配なのだが、頭でっかちな曲(フィジカルでない曲)については、田島貴男は歌詞を覚えられない可能性が高い。(笑)
先日、スカパーで放送された『街男 街女』ツアーのライヴの様子を見せていただく機会に恵まれたのだが、かなり驚いたことに、田島は「鍵、イリュージョン」の歌詞を間違えていた。しかも、一番と二番とかいう間違いではなく、ワンフレーズずれて間違う、という信じられない間違え方。
こういう間違え方は冷めます。
あれほどの名曲が、まだ、肉体化されていなかったことには驚くが、やっぱりライヴを増やしたことがいいということに尽きると思う。
ということで、長くなりましたが、結論は、ツアー開催地縮小にストップをかけ、来年は(といわず夏にでも)仙台でライヴをしてほしい、ということ。
田島さん、待ってます。