Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

食料自給率向上のための消費者の作法〜『無登録農薬はなぜつかわれた』

無登録農薬はなぜつかわれた―豊かさの死角

無登録農薬はなぜつかわれた―豊かさの死角

最近、また、中国産ウナギの産地偽装問題(ウナギロンダリング)や牛肉の表示偽装など、食品偽装の問題がよくニュースで取り上げられるようになった。(誰が悪いかが分かりやすいニュースだからなのだろうが)
丸明の社長などは確かに論外かもしれないが、消費者として、ただ、生産者・小売の非をあげつらうだけでいいのだろうか。食の安全・安心を低価格で提供することを望む自分たちが、全くその食べ物のことを知らない。そういった安全に対する欲求と知識のアンバランスに、偽装という甘い罠がつけ込むスキがあるのではないか。そういった知識を積極的に学んでいくことが消費者の作法なのではないか。
そんなことを考えさせる一冊だった。
〜〜〜
「無登録農薬」問題とは、平成14年7月に、山形県で無登録農薬(ダイホルタン及びプリクトラン)を販売していた2業者が、8月には、山形の業者に販売していた東京の業者が逮捕された。それを契機に調査が進み、ほ遁dのの県で無登録農薬が販売・使用されていたことが明らかになり農薬取締法の改正にまでつながった問題である。
河北新報の新聞記事が元になっているだけあって、現地のインタビューが多いが、その分、農家の方々の苦労が伝わってくる内容になっている。
減農薬に挑戦したが、病害虫に襲われ、隣の農家への迷惑を気にしながら、三割しか出荷できず、挫折したリンゴ農家。奥さんのやっているかみのやま競馬場(現在は廃止)での稼ぎの方がいいと言い切るらフランス農家。「(見た目の悪さを説明すれば買ってもらえるが)リンゴの木も見たことがない客に説明するのは骨が折れる。一人の客に五分間も説明するより、確実に売れるように着色した方が楽だ」との声。無登録だが効果の高い無登録農薬が魔法の薬として重宝されるのは非常に理解できる。
農薬を使わないことは困難であることを、消費者こそが理解しなくてはならないし、その説明を生産者だけでなく、流通・小売の段階でも逐次行うようにしなければ、なかなかに解決の難しい問題だ。


消費者としては、少なくとも、商品としての農産物ではなく、田畑にある実際のものを目にする機会を増やさなければならない。
そんな思い(嘘)で、先日行ったさくらんぼ狩りの農園のHPには、以下のような説明がある。(現地でもこのような説明を受けた。)*1

農薬を使わなければ・・・
大きく、美しく、甘いさくらんぼ作りには限界がございます
さくらんぼはデリケートな果物です。だから美味しいのです。
デリケートゆえに、無農薬では絶対にお客様から満足頂けるさくらんぼはお届できません。
そのために、樹木と葉に寄生する虫の防除と予防には殺虫剤、さくらんぼの致命的病気(灰星病)の予防の殺菌剤で防除しております。
その防除の方法は、農薬登録のある適法な農薬を適正(県市の関係機関)の薬剤量をほとんどのさくらんぼの生産者は使っております。

このように「無農薬では絶対にお届けできません」ということについて、消費者は理解すべきだし、生産者は説明すべきだろう。
勿論、その情報の正しさや、安全性の確からしさについては、生産者を信じるしかないのだが、今回のさくらんぼ狩りのように、直接生産者から説明を受けることが信頼の根拠になりうる。また、文字情報以外に、いろいろな判断基準を持っておくことが、消費者なりの防御手段であるし、国内農業を健全に育てるために、ひいては日本の食料自給率向上のために必要なことであると思う。
つまりは、消費者として、生産者(あるいは市場など上流側)に会う機会をなるべく増やすことが必要なのだと思う。
〜〜〜
ところで、こういった問題の延長として、キューピーのTSファーム白河という「野菜工場」についても触れられていた。(P115)
本の中では、紹介にとどまり、そこまで突っ込んだ価値判断は無かったが、「野菜工場」について環境リスクの専門家である中西準子教授の雑感が非常に興味深かった。

自然は安全という信仰から、自然は危険、だから隔離というこの変化について考えたいのである。

自然は安全ではない、明らかに危険であり、それを近代技術の力を借りて安全にしたのが、今の我々の生活である。それでも、もちろんある種の危険性は残っている。それを、自然からの隔離という手段で無くそうとする、その時、何を基準にそれが良いとか悪いとか言えるのか、そこが私の考えていることである。

その背景には、小さな危険性をなくすために、大量のエネルギーを消費する、そのことがいいのかという問題がある。これは、従来からの提起してきた問題である。

もう一つは、どんどん自然から隔離する生活をして行くとき、環境保護とは何だろうという疑問である。環境問題で、サミットまで開かれるが、実は、我々の生活は環境と全く関係ないものになりつつある。とすると、環境の議論は、ひどく空論に聞こえてくるのである。自然や環境から、どんどん逃げようとする人が、なぜ環境問題に熱心なのか、ひどく不思議な気がするのである。

ここでは、その他に、水耕栽培野菜工場)でのリスク削減の効果について注視すべき、という指摘があり、中西教授は野菜工場についてやや否定的に捉えているようだが、生産者側の苦労と、それゆえの農業従事者の減少を考えれば、自分なんかは、野菜工場大歓迎と思ってしまうのだ。

*1:一方で、この農園が「波動水」なるものを用いていたり、いちごでは「完全無農薬」栽培をうたっていたりするアンバランスには少し気になるが・・・。