- 作者: 山崎ナオコーラ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 130回
- この商品を含むブログ (306件) を見る
19歳のオレと39歳のユリ。恋とも愛ともつかぬいとしさが、オレを駆り立てた「思わず嫉妬したくなる程の才能」と選考委員に絶賛された、せつなさ100%の恋愛小説。第四一回文藝賞受賞作。 (Amazonあらすじ)
表題作は「オレ」による一人称小説で、彼女とのことを半ば客観的に、観察的に叙述する。
過剰に何かに喩えたり、論じたりはしない。あくまで、夢中になったり、怒ったり、反射的に思ったことをつらつらと述べただけ。だから読みやすい。
そもそも、20歳上の彼女(既婚)との恋愛というだけで、物語の駆動力としては十分なのだが、ところどころで、面白い視点が入ってくるので飽きない。
ユリと、代々木公園を、手を繋いで散歩した。
自然は美しいことがあるけれど、美しさには向かっていない。
見上げると、枝が伸び、葉っぱが重なり、見たことのない模様を作っている。
美しいと感じるけれど、枝は美しさに向かって伸びてはいない。
枝は偶然に向かって伸びている。
たまたまそういう形になっている。
偶然を作り出そうとしている。
偶然を多発している。(P93)
電話なんて温度だ。
言葉は何も伝えて来ない。
ただ温度だけは伝えられる。
オレは、ユリの温度の低いのを感じた。
必要とされていないことが、ひしひしと伝わってきた。(P111)
言われてみれば当たり前のような気もするが、発想が面白い。このあたりが、解説で高橋源一郎が絶賛するように、「センスがいい」とされる部分なのか。
電話や、夢についての話は、併録されている「虫歯と優しさ」も含めて、何回か出てくる。
コミュニケーションと、それについての自らの解釈が、人生の大きな部分を占めるものだ、と言いたいのかもしれない。
主人公がメソメソしない、逆に強がったりもしない(受容的な)ところは、小説全体をさっぱりしたものにしている。身の回りに起きている出来事に対して、焦ることなく、解釈をするだけだ。
寂しさというものは、ユリにも、他の女の子にも、埋めてもらうようなものじゃない。無理に解消しようとしないで、じっと抱きかかえて過ごしていこう。
この寂しさやストレスはかわいがってお供にする。一生ついてきたっていいよ。(P113)
そして、タイトルの意味。
これはズバリ本文中に書かれているので、そのまま引用する。
もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい。(P112)
例えば、成長という物差しで、もしくは愛情という物差しで、自らの行為を評価されることを拒む。まったくもって評価に値しない行為を、日々繰り返しているから。それは、自然が美しさに向かっていないのと同じことだ。
そういった物言いは、単なる甘えや逃げだと一蹴してもいいが、この小説の持っている、ほんわりとした幸せな感じを味わうと、何だか納得してしまうのだった。