Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「市民」について考える

昨日の文章は少しわかりにくいところがあるかもしれないけど、要は、論理の上に論理を組み立てて、高い所から、素朴な意見を「勉強して来い」と見下すようなことにならないようにしよう、ということです。言い換えれば、「グローバリゼーション」の問題も「3邦人への非難」の話も、全部フラットに考えていこうということです。

さて、下に引用するのは、唐沢俊一の裏モノ日記*1です。この人は、3邦人を完膚なきまでに非難している人で、その表現にはときに不快感を覚えますが、23日の日記には共感できる部分があったので引用します。

もう三十年もの昔、中山千夏が自分たちの市民活動団体の選挙での敗北に対し、テレビで
「なんで私たちがこんなに一生懸命に日本のことを考えているのに、誰も理解しようとしてくれないのか」
と言っていたのを見て、左翼高校生だった私は市民運動ってのはダメだなこりゃ、と見極めをつけ、その思想を捨てた。自分たちの意見に同調しない大衆を、愚かなもの、もしくは敵としてしか認識していない。これでは一〇〇年たったって、その運動の成果が広がりっこない、と思ったのだ。

この感覚に近いものが僕の中にもある。つまり、やはり市民運動へのマイナスのイメージはあるのだ。
動機も言動も一見正しいように見える、これらの市民運動、ボランティア運動に何の問題があるのだろうか?(その答えの一部は、上の引用に既に出ているのだが)また、それが日本特有の問題を含んでいるように見えるのは何故か?日本が「ボランティア後進国」と言われて、海外の事情を知らなくても納得してしまうのは何故か?などの部分をもう少し突っ込んで考えてみたい。

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と思って、家の本棚を見ていたら、喜国雅彦のマンガに紛れて、佐伯啓思『「市民」とは誰か』(もともとは、公共事業に関連して、環境団体への興味から辿り着いた本だったように思う)が入っているのを見つけた。、
一度読んだ本だし、新書なので比較的易しいはずだが、レベルが自分の読書能力の閾値ギリギリだったような気がする。何とか読み終えたら、またまとめを書いてみたい。