- アーティスト: ORIGINAL LOVE,田島貴男
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2006/12/06
- メディア: CD
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最後に二曲残したのは、自分としてのアルバムのクライマックス。
田島貴男さんの新作は疾走感あふれ、ドライヴにぴったりの快作です。しかも休日のファミリー・ドライブ、とかいうのどかなものでなく、土曜の夜、ひとりで高速をぶっ飛ばす『ルパン三世』エンディング・テーマの峰不二子。実際、田島さん自身、曲ができたら車で試聴してみるんだそう。
bridgeで田島貴男にインタビューした鈴木あかねは、編集後記で上のように述べている。
僕としては「疾走感」を強く感じるのは、「2度目のトリック」〜「13号室からの眺め」の4曲であり、特に、この「髑髏」が一番だと思う。
それは勿論、歌詞の影響も大きい。
はぐれてしまったおまえに会えそうな気がして
車を飛ばした
孤独がつけいる隙間を狙う夜
歌詞の中でも車をぶっ飛ばしているのだから、夜のドライヴに合わないはずがないのだ。
そして、「髑髏」の詞は、このアルバムの中でも最高だと感じる。
それは、この楽曲自体が、亡くなった友人のことを歌った歌であるというエピソード故ではなく、田島貴男のイメージが非常に具体的で、かなりの質量を持って聴き手に伝わってくるものがあるからだ。簡単に言えば、心に染みる。
当然のことだろうが、作詞という作業は、メロディーそのものが喚起するイメージやメッセージと分けることはできないものではないかと思う。つまり、曲と詞のベクトルが合っていなければ、「美味しんぼ」流に言えば、「素材を生かした料理」にならない。(たとえば最高のプリンを作るといっても、最高のイワシを用意したらその時点でアウト)
さらに詞の世界として具体的なものが無ければ(そもそもそこに伝えたい何かが無ければ)、当然、聴き手には何も伝わらない。
夏目漱石『夢十夜』では、護国寺で仁王を彫る運慶の話が出てくる。
「よくああ無造作(むぞうさ)に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
「髑髏」の歌詞も、あとからこねてつくったのではなく、もとから、そのままの形で埋まっていたものを掘り出してつくられた曲のように感じた。
〜〜〜〜
ところで、自分は、(テクノなどで多い)楽器や音が増えていくタイプの曲が好きなのだが、この曲はまさにツボ。
かなり勿体つけて助走をとった上で走り始めて(「憶えているかい〜」からドラムが入る)、さらにしばらく経ってからトップギアに入る(「はぐれてしまった〜」からハイハットが入る?)、この構成は最高すぎる。
惜しむらくは曲そのものが短いことだが、その余韻はしっかり「カフカの城」が引き継いでくれる。