Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「監禁もの」には規制が必要なのではないか?

会津若松の事件もショックだが、自分としては、さらにショックなニュースを目にした。
被害に遭った女性のことを思うとやりきれない。

大阪・ミナミのステーキチェーン店「ペッパーランチ」心斎橋店で、食事中の20歳代の女性客を拉致し、乱暴するなどしたとして、大阪府警南署が、同店店長北山大輔(25)(泉佐野市)、店員三宅正信(25)(大阪市西成区)の両容疑者を強盗強姦(ごうかん)と逮捕監禁致傷の疑いで逮捕していたことがわかった。
 2人は「女性を囲っておくつもりだった」と供述しているという。

この事件の第一報を受けて、天漢日乗さんは以下のような感想を述べている。

25歳にもなって、監禁ものAVと同じ展開になると信じ切っている想像力の欠如が恐ろしい。更に恐ろしいのは、そうした人間が、外食チェーン店の店長を務めているということだ。

自分が感じたのも、まさにその点。
この事件の背景にアダルトビデオやエロゲーがあるかどうかは分からないが、犯人たちは、自ら考えて事件を起こしたようには見えない。それどころか、自分の欲望がどこにあるか自覚せず「ビデオで見たことを再現したい」、ただ、それだけが彼らを犯罪に走らせたように思える。

この事件との直接的な関係については、勿論わかっていないが、これにかこつけて、ゲームやビデオについて普段から思っていることを書いてみたい。
結論から言うと、自分は、一部のゲームやアダルトビデオは規制をかけられて仕方がないと思っている。以下、行きつ戻りつしながら書くが、この結論については、かなり前から思っていることなので、今後もそう大きくはぶれないと思う。

欲望のレベルアップの高速化

先日再読したばかりの大槻ケンヂグミ・チョコレート・パイン グミ編』では、のちに主人公のバンドメンバーに加わる山之上の「犯罪」について、以下のような説明がある。

孫の異常を、肥大した自己愛によるものだと祖父は一瞬にして悟った。孫は何とか外世界とのつながりを求めようと内心猛烈に闘っているのだ。ただその手段が間違っている。多くの犯罪者がそうであるように、コミュニケーション不全症に陥った少年がやっと見つけた外世界との接触が、犯罪行為という歪んだかたちで出現してしまったのだ。孫の場合、それは、女生徒のブルマーを盗むことだった。
P252

オーケンの「酒鬼薔薇は僕の代わりにつかまった」発言も、この延長上にあるのだろう。自分としては、ここでいう「犯罪」と「殺人」との間には越えられない壁があると思うが、言いたいことはわかる。
「つながり」の手段が溢れるネット社会では、一見この考え方は通用しないように思える
しかし、「疎」なコミュニケーションの積み重ねは、過剰に「密」なコミュニケーションへの渇望につながる。結局、ネットがなかった時代より深刻なコミュニケーション不全症に陥ってしまうのではないか。そして、インターネット時代の「コミュニケーション不全症患者」は、すぐに外世界への影響行使(犯罪等)には向かわず、さらなる情報の洪水へと潜り込むことになる。(結果として、外世界とのギャップは大きくなり、重症化する)
一方、『ウェブ進化論*1でも「高速道路理論」という言い方で書かれているように、最近では、誰もが「超」短期間で専門家になれるほどの情報がネット上に集積されている。
インターネットがなければ、ブルマー盗難で済んでいたかもしれない「外世界との接触」は、web上に溢れるさまざまな情報を知ることによって、それでは満足ができずに「さらに上」を目指すことになる。
さて、少し考えてみると、こういった「高速化」は確かに問題であるが、英語が読めないと分からないとか、専門知識が不可欠などという高い「敷居」(情報コスト)がある場合、この状況は受容できるのではないかと思う。
つまり、ネット時代の、欲望のレベルアップが「高速かどうか」よりも、レベルアップまでに「どの程度の情報コストが必要か」の部分に、受け入れられるかどうかの境界があるように感じるのだ。

ショートカットとしてのビデオ、ゲーム

しかし、実際には、本来それなりの情報コストをかけて辿り着くべきはずだった内容のものが、すぐに入手可能な商品として販売されている。これは問題だと思う。
その典型として「監禁もの」というジャンル名があるほど、数多くのアダルトビデオやエロゲーがある。
繰り返し書くが、そういうジャンルの作品を見たいという自覚があって見る人については気にしない。そういう人は、どれだけ情報コストをかけても、例えば神田の数多くある古本屋のたった一軒にしかない本だって探し当ててみせるだろう。それは構わない。
問題にしたいのは、そこまでの覚悟なしに、これらの作品群を手に取る人たちをいたずらに増やしていいのか、ということである。無意味に欲望を肥大化*2させていいのか、ということである。
また、「監禁もの」を見たから「監禁事件」を起こす、と言っているのではない。通常は、エロゲーにより肥大化した欲望は、次のエロゲーに向かうのだろう。ほとんどの人がそうだと思う。*3
しかし、「そうではない人」、たとえば見なかったら下着泥棒をして、それで満足していただろう人の欲望を、それこそショートカット的に、監禁事件へと向かわせていいのか、ということが問題視したい部分だ。
いわゆるオタク趣味に造詣の深い友人が、以前、ゲームを擁護する立場から、欲望の「はけ口」としてのエロゲーの有効性を語っていたが、自分がエロゲーの氾濫を納得できないのは、上の理由による。

情報リテラシー獲得の必要性

もう少し別の言い方を試みる。
ある程度モラル的に問題のある内容であっても、そこに到達するまでに膨大な情報を入手するなど、情報コストが多ければ、大抵の人は、それなりの情報リテラシー(情報との付き合い方)を身につけていくと思う。
自分が、ゲームと殺人事件の相関関係などの話題に関して、オタク擁護の立場をとることが多いのは、彼らがオタクになるまでに獲得した高度な情報リテラシーゆえである。
しかし、それは裏を返せば高度な情報リテラシーなしにオタク商品に触れることは危険だということを意味する。
冒頭に述べたことを再度繰り返すと、この事件を知って一番驚いたのは、店長・店員らの、あまりの想像力の欠如ぶりである。事件の犯人たちに上記のような高度な情報リテラシーがあったとは到底思えない。それどころか、自分の欲望にすら無自覚で、ただ「ビデオの再現をしてみたい」、それだけが彼らを犯罪に走らせたように思える。
アダルトビデオやエロゲー規制反対の人たちは、こういった想像力の欠如した人たちの欲望が、そういったパッケージ商品によってショートカット的に重大犯罪に向かってしまう可能性をどう考えるのだろうか。
繰り返すが(線引きの問題はあるが)、やはり、こういったソフトには規制が必要だと思ってしまうのだ。マニアやオタクの人たちは、それくらいの犠牲を引き受けてもいいと思う。
・・・
と言い切ってしまったが、新聞報道の事実の切り取り方も、恣意的な部分があるのだろうし、自らがマスコミ報道に煽られていることは十分わかっている。
ただ、テレビやビデオの影響が直接的で、安易にそれについての報道合戦が始まるような事件よりも、今回のように、影響が見えにくい事件の方が、自分の考えをまとめるための題材として適しているように思ったので、今回のようなかたちをとってしまった。

*1:フューチャリスト宣言』が出た直後では、過去の本という扱いなのでしょうか?

*2:「欲望の肥大化」というのは、思考停止的な表現であることは自覚している。ただ、言い換えが思いつかないので、ちょっと勘弁してください。

*3:ちなみに自分は、こういうジャンルを理解できません。だからと言って、論じることができない、ということは無いと思っていますが・・・。