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最近の新書はレベルが下がったか?〜島内景二『読む技法・書く技法』を読んで

読む技法・書く技法 (講談社現代新書)

読む技法・書く技法 (講談社現代新書)

読書好きは、よく「最近の新書はレベルが下がった」などという。かくいう自分も、一部の本については、そういう評価も仕方ないと思っている。
その点でいえば、この本は1995年発売であり、新書ブーム以前の作品なので、内容については、一定レベル以上に違いないと安心していた。
しかし、読み進めてみると、構成から挿話まで、添削したくなるような点が数多く出てきた。実は、それらは、レベルが下がったといわれる最近の新書ではクリアされている部分である。

羊頭狗肉のタイトルと目次

最近の新書にこそ、よくあることであるが、本の内容が、タイトルから想起されるものとはズレている。
『読む技法 書く技法』というタイトルからは、書類処理に追われるビジネスマンが仕事のスキルを磨くためにこの本を手に取る、もしくは、「最近周りにブログを書いている人が増えてきたけど自分は文章に自信がない」という人が、ハウツー本として手に取る、というような状況が想定される。
しかし、そのようにしてこの本を読み始めた人には、とてもこの本は受け入れられない。
実は、この本には「主に歌集や評論を読む技法」と「その批評を文章として書く技法」が紹介されているのだ。しかも、独自の方法といえる「読書ノート」というデータベース作成は、作者の専門である源氏物語の知識体系ありきのもので、応用性が低い。
そんなことは、タイトルはおろか、目次を見てもわからないのだから、読書というのは、なかなか恐ろしいものだ。

使えないスキル

本書で紹介されている方法が、かなり作者の専門分野に偏っていることについて、「おわりに」の最後に、以下のような言い訳が書かれている。

本書で具体的に披露してきた「読む技法」と「書く技法」とは、何よりも筆者の個人的な読書スタイルであり、執筆スタイルである。それを、そのまま活用できる人もいるだろうし、自分なりに変形しなければ使えない人もいるだろうし、まったく参考にもならない人もいるだろう。
けれども、筆者個人も、他人の「文章読本」の類いを濫読し(略)何とか血肉化してきたのである。そのような創意工夫を、本書の読み手の方々には是非ともお願いしたい
(略)
拙いこの本が、愛読者による「一般化」の対象となることができるのであれば、望外の喜びである。

つまりは、読み手が工夫しないと使えないスキルですよ、ということだ。2007年に発売される類書では絶対にありえない。
こういう文章を見るにつけ、どうも、新書の扱いが、1995年と2007年のたった12年の間にも変化してきていることを感じる。

12年間の変化

この文章で詳しく紹介される、全く「一般化」されていない「技法」から考えると、この本の読者は、自分の大学のゼミの学生というかなり狭い範囲である。書店で平積みにされて数万部というレベルで一般人に読まれることが全く想定されていない。
逆に、最近発売される新書は、内容が薄くレベルが低くなった、といわれることもあるが、広い範囲の読者が想定されており、言葉遣いも構成も、かなり洗練されてきているといえる。
12年という時間は、新書というスタイルの本の書店内での位置づけを大きく変えたのが、こんなところからもわかる。

ハウツー本の「王道」

ちなみに、「文章読本」をはじめ、いわゆるハウツー本のたぐいの基本的な構成について、自分は以下のようなタイプが王道だと考える。

  1. 従来法の問題点
  2. この本で紹介されるスキルを習得する必要性
  3. スキルを習得後に得られるメリット(成功事例)
  4. 習得方法:初級編(やってみよう)
  5. 習得方法:中級編(場合に応じた方法の紹介)
  6. 習得方法:応用編(スキルの使い道を広げる⇒3と類似)
  7. 関連ソフトの紹介、セミナーの紹介(笑)

実は、この本は、1〜3がない。
それだけでもハウツー本として失格である。
さらに、この人が紹介した方法を用いて書いた文章も掲載されているが、自分は、この文章は嫌いだ。
〜〜〜
最後にもうひとつ、ハウツー本として重要なのは、作者の弱い部分の吐露である。

  • 自分は続けるのが苦手なタイプだったが、この方法なら続いた
  • 自分は始めたら常に結果が出るまで続けるタイプだ。あなたもこの方法を続けてほしい

上の二つのうち、信じてみたくなるのは明らかに前者だ。にもかかわらず、この本では、作者が学生時代に講義中に速記録をつくるように大量のメモを残し、帰ってからそれを別のノートに書き起こすというメモ魔だったエピソードが挟まれている。どこか誇らしげなこのエピソードが読者のやる気をそぐことが何故わからないのか?
結局、最後まで読んだのは、意地によるところが大きく、通常のハウツー本にある「最後まで読んでもらえる工夫」もあまり感じなかった。
つまり、タイトルから当然イメージされるハウツー本としての鉄則はことごとく破られている本とすらいえる。
ということで、自分にとっては、得るものが非常に少ない本だった。(笑)
しかし、こういう「引っかかり」のある本は、それをネタに文章を書くには面白いので、やはりスラッと読める新書というスタイルが、自分はとても好きなのだ。