- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 潮出版社
- 発売日: 1992/12/17
- メディア: 文庫
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- タッタとの出会い
- 女盗賊ミゲーラへの一目惚れと別れ
- ヤショダラ姫との結婚
- ヤショダラ姫の妊娠
- 出家
まさに波乱万丈。多くのことがシッダルタに降りかかる巻。
また、宗教的な課題も多く登場する。そのひとつに対して、サモン(沙門)のデーパは「人間はなぜ生きているのか?苦しむためなのだ!だれもかれも苦しむ!それでこそむくわれるのだぞ!」と答え、ミゲーラを諭すが、果たしてシッダルタの答えはどうなのだろうか。
シッダルタは、自分を、そして世界中の人間を救うために自ら苦行を始める。
しかし、ヤショダラ姫や自らの子どもへの冷たさについては疑問だ。
当初から、ヤショダラ姫との結婚は本当の愛ではないと本人に向かって説明し、
- こどもなんか生んだらもうおしまいだ。それが障碍(ラーフラ)になって…ぼくは一生しばられるんだ。
と言い続け、実際にヤショダラ姫が妊娠すると、雷に打たれるような衝撃を受けた後
といって、実際に、城の一郭で苦行を始める。
世界や自らの救済(悟り)を求めるのは、あくまで実生活の中での悩みを抱えているからこそであって、身の回りの問題(特に周囲の人々)から目を背けて、それを追求するのは、そもそも方法として誤っているような気がするが、これでいいのだろうか。
3巻までの『ブッダ』は、確実に、悩めるエリートたちが、かつてのオウム真理教へ入信することを後押しすることになってしまう。
さて、タッタは、悩むシッダルタと比べるとサッパリしているように見えるが、コーサラ国への怒りは未だに収まらない。コーサラを打ち負かし、社会を変えるために、シッダルタを後押ししているのだ。
コーサラ国はコーサラ国で、シャカ族の王族の娘と偽り嫁に出した侍女がパセーナティ大王の子を産む等、今後の展開にどうつながるのかは楽しみだ。