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猿田彦とナギ〜手塚治虫『火の鳥(1)黎明編』

火の鳥 1・黎明編

火の鳥 1・黎明編

火の鳥』を最後に一通り読んだのは、おそらく中学生の頃だから、20年以上ぶりだ。
当時は、図書館で借りることのできるものをバラバラに読んでいて、『鳳凰編』なんかは何度も読んだが、一度しか読んでいないものもあるはずだ。今回、改めて1巻から通して読むのはなかなか緊張する。
さて、読み進めている2009年から発売された朝日新聞出版のシリーズでは、見返し(表紙の裏)の部分に、手塚治虫本人による「まえがき」がある。
2巻では、そこに“「火の鳥」と私”というタイトルで1969年2月に書かれた文章に『火の鳥』の全体構想が語られていたのだが、これが自分がほとんど意識したことの無い内容だった。
これによると『火の鳥』は以下のような意図で描きはじめられたものだという。

  • 火の鳥を通じて、日本の歴史を語りたい
  • テーマは、いつの時代も変わらない人間の生への執着、欲の葛藤
  • 一本の長い物語を、はじめと終わりから描きはじめるというチャレンジ
  • 最後には未来と過去を結ぶ点、つまり現在を描くことで終わる

特に、「日本の歴史」を語りたいという意図は、今回初めて知り、また黎明編には、その意図は強く現れているように感じた。
また、一巻から順番に読むのが、当初の構想通りの読み方になるようで、今回のチャレンジは、その意味で「正しい」読み方のようだ。


さて、内容。
火の鳥』というと、自分は、史実からはかなり自由な物語というイメージがあったが、黎明編は、日本神話に関連するキャラクターが頻繁に登場する物語。
この辺りの話は諸星大二郎星野之宣(宗像教授シリーズ)そして、安彦良和『ナムジ』などで何度も読んでいるはずなのに、毎回忘れてしまうので悔しいのだが、黎明編で登場する地域は以下の通り。

  • クマソ:イザ・ナギそして姉のヒナクの出身国。火の鳥が棲む火山がある。ヤマタイ国に滅ぼされる。
  • ヤマタイ国:ヒナクの夫になるグズリ、そして猿田彦の出身国で、女王ヒミコが治める国。
  • 高天原:ニニギら騎馬民族の住む国。
  • ヨマ国:ヒミコに雇われた天弓彦、猿田彦の妻になったウズメの出身国。高天原族に滅ぼされる。

なお、ナムジでもそうだったようだが、この話でもヒミコは天照大神と同一人物として扱われており、天岩戸のエピソードも登場する。
火の鳥を求めるのは、大きく以下の3人。

  • 亡き兄(ウラジ)の追い求めたものを求めるナギ(主人公)
  • 永遠の若さを求めるヒミコの命を受けた天弓彦
  • 1000人の子どもを産んで村の再興を望むヒナクの願いを叶えたいグズリ

この中で火の鳥を仕留めたのは天弓彦。届けたヒミコは直前に病死したため、猿田彦との約束通りに、火の鳥はナギに渡る。
しかし、その死体から血は一滴も出ることがなく、猿田彦、天弓彦と同様、ナギもまた、ニニギ達との戦に敗れて死んでしまうのだった。
一方で、戦いからは遠く離れ、火の鳥の住む火山近くに閉じ込められて暮らしていたグズリとヒナクは生き残り、その子らのうちの一人、タケルが外の世界に脱出することができたところで話は終わる。


黎明編では、物語のテーマがかなり明確な言葉、それも火の鳥のセリフとして語られる部分がある。それは、物語の中で、何度も登場するアリの群れと関連付けられる。

ナギ 足もとをごらん
虫がいるわね
それも生きてるわ
たった半年ぐらいしか生きていないのよ


カゲロウはもっと短いわ
親になっても たった3日のいのちよ
それでも不平はいいませんよ


虫たちは自然がきめた一生のあいだ
ちゃんとそだち、食べ、恋をし、卵をうんで、満足して死んでいくのよ
人間は 虫よりも魚よりも 犬や猿よりも 長生きだわ
その一生のあいだに・・・


生きているよろこびをみつけられれば それが幸福じゃないの?


ナギ どうしてもわからなければ あなたは死ななければならないわ
P149


そういった火の鳥からのメッセージとは別に、黎明編の一番の見どころは、元は敵同士だった猿田彦とナギの相思相愛。
ナギがヒミコの命を奪おうとしたことへの罰として、まだらバチの穴蔵に押し込められた猿田彦
ハチに刺されて膨れ上がった猿田彦の鼻を、ナギが口に含んで治そうとするシーンは黎明編のベストシーン。(p129)
そして、ナギが言った「すき」という言葉を何度も繰り返させて猿田彦がナギを抱きしめるシーン。(p173)
ウズメという伴侶を得ながらも、ナギを思い続ける猿田彦を見ていると、クマソの村からナギを連れ帰ったのは、一目ぼれだったのだろうと思ってしまう。70年代少女漫画に始まるとされるボーイズラブだが1960年代の漫画でもそのエッセンスは十分に出ているような気がする。そして、『火の鳥』のサブテーマは、こういった猿田彦が求める愛なのだろう。2巻以降でも、この部分の扱いに注目したい。
なお、先日の眉村卓なぞの転校生』評でも触れた「1960年代のセンス」だが、黎明編の序盤は、手塚流のギャグがかなり頻繁に入り、流れが悪くなっている。漫画というメディアで「日本の歴史」を大真面目に語る、ということが難しかった時代なのかもしれない、と、その部分はかなり古臭く感じた。
とはいえ、日本神話の物語の復習をすることもでき、誰にも読みやすい一冊だった。