当初は日程的に諦めていた弾き語りツアーですが、仕事の用事が回避できることになり、かつ、親切な方よりチケットを譲っていただき、何とか参戦してきました。
この「参戦」という言葉、今回、ファンの間では話題になりました。というのも、この発言があったからです。
僕のライブを観にきてくださっている方々、ありがとうございます。僕のライブを「観に行く」ことを、時々、ライブに「参戦する」という方がいらっしゃいますが、戦争ではないので、普通に「ライブを観に行く」にして下さいねー。
— 田島貴男 オリジナル・ラブ (@tajima_takao) 2017年4月2日
いやあ、自分は気にせずに使っていたし、指摘されれば、その違和感は理解できますが、悪意を持って使っている言葉ではなく、むしろワクワク感が伝わる良い言葉だと思います。
調べてみると、この言葉に対する違和感は、これまで何度も質問サイトなどで取り上げられています。
- 2016年 なぜライブを参戦と言うのですか?(LINE Q)
- 2012年 なぜライブに参加するをファンは、「参戦」と言うんですか?(Yahoo!知恵袋)
- 2010年 ライブに『参戦』するという言い方(発言小町)
- 2007年 「ライブに参戦」するという表現について(OK WAVE)
読んでみると、2010年の発言小町が情報量が多く、色々な意見が挙げられています。
この中では、夏フェスとネットが一般的になった2000年頃から使われるようになった、という話や、ジャニーズファンが昔から使っていた、という話は、複数の人から挙げられており、この言葉の起源として信頼できそうです。
さらにさかのぼると、T.M.Rファンの間では、1997年頃から既に使われていた言葉のようです。
私は13年T.M.Revolutionのファンをやってますが、当時からファンの間ではライブに行くことを「参戦」すると言っていましたねぇ。
当時テレビで聞いたことがあるであろうことを改めて説明させてください(笑)
T.M.Revolutionというのは西川貴教1人のことではなく、関わるスタッフやファンを含めみんながメンバーということを売りにしてデビューしました。この理由から、ファンならライブを見に行くという表現ですが、T.M.Revolutionのファンはメンバーなのでライブに参戦するという言い方をしているのだと解釈してました。
(2010年の発言小町より)
他の記事を読んでも、T.M.Rのライブは「参戦」という意識がミュージシャン公認で醸成されていることが読み取れます。(西川貴教「アンコールじゃなくて延長戦ってこと」と持論。ファンも「戦います」と納得。)
自分個人の意見としては、ファンの楽しみ方は人それぞれで、言葉の使い方までミュージシャン側が口に出さなくてもいいような気がしていました。
しかし、今回、わざわざツイートしているのは、田島自身の違和感が強かったのでしょう。自分は下手すると、ディズニーランドに行くときも「参戦」という言葉を使っているような気がしますが、少し考えておきたいと思います。
なお、自分の心に一番響いた回答はこちらでした。
Q:なぜライブを参戦と言うのですか?(嵐ファン)
A:ライブが終わった後の現実と戦うため
なぜライブを参戦と言うのですか?(LINE Q)
さて、そんなことはさておき、今回のライブの感想を。
なお、セットリストは、もはやほとんど忘れてしまったので割愛させていただきます。(笑)*1
本人もMCで説明していましたが、フェスなどを除くと、現在定期的に行われる田島貴男のライブは大きく分けて3つの形態があります。ひとつは、オリジナル・ラブとしてのバンド演奏形式のもの。残りの2つが、ソロで演奏する「ひとりソウルショー」と「弾き語りツアー」。どちらも田島貴男一人でのライブになりますが、田島MCによれば、「立って聴くのがひとりソウル/座って聴くのが弾き語り」とのことです。
どちらの形式も2011年から始めて既に6年目だそうで、ライブに通う中で、ファンとしては6年間の音楽の進化(深化)を感じてなりません。(一方で、進化しない自分を振り返ってみてしまうわけですが…)
「弾き語り」も「ひとりソウル」も、一人で演奏するからこそ、新たなことに挑戦し続ける田島貴男を目の当たりに出来る素晴らしい機会です。
中でも、「弾き語りツアー」は、客に座らせるという形態も「学校」的で、「ひとりソウル」よりも、研究発表の場であり、田島貴男音楽塾だと思っています。
今回のツアーで言うと、12弦ギターのコーナーが、最も「研究発表」的で「音楽塾」的な位置づけだったと思います。
しかし、自分にとって、この日のライブは「鍵、イリュージョン」「GOOD MORNING GOOD MORNING」「青空のむこうから」の3曲に尽きます。
後光が射す、という言葉がありますが、それは「視覚的なイメージ」のみを喩えた表現であって、その言葉では、あの3曲を表現できません。勿論、後光は射していました。でも、それだけでなく、耳に伝わるものも、いつもとは違っているように聴こえました。
そして、何より、あのときの田島貴男の存在感は「巨大」でした。この表現は、知らない人には全く伝わらないかもしれませんが、『魁!男塾』の大豪院邪鬼(身長2m強)が、その迫力と威圧感で大仏くらいの大きさに見えてしまうのと似ています。
もはや演奏というよりは、「魂に直接響く音」をかき鳴らす「巨大な何か」がそこにはあったのでした。
理由を少し考えてみると、3曲と「接吻」の前に演奏した「やつらの足音のバラード」*2の影響も大きかったのではないかという考えに至りました。
いわゆる「鉄板」と呼ばれるような、ライブでの「いつもの流れ」は、安心して盛り上がれるから、嫌いではないですが、少し退屈に感じてしまうときもあります。
それに対して、カバー曲、特に普段演奏することのないカバー曲は、安心感よりも緊張感を生みます。そして、曲によっては単なる箸休め的な役割を超え、ライブの流れをぶった切り、場をリセットするような働きがあるのです。
今回、「やつらの足音のバラード」によって、自分の魂はツアー会場を離れ、異空間に迷い込み、いつの間にか、大豪院邪鬼的な、鎌倉大仏的な田島貴男が、その場に鎮座していたのだと、そのように感じました。
「やつらの足音のバラード」は、長島有の短編小説「エロマンガ島の3人」にも登場します。エロマンガ島での生活に愛着を覚えつつあった3人の日本人編集者が帰国する直前の場面です。
川で遊んだ帰り道に、仲良くなった現地の子どもたちから「Please teach me Japanese song!」とせがまれる場面で、主人公の佐藤は、ここで歌うのに「もっともふさわしい歌」として「やつらの足音のバラード」を子どもたちに教え「ナンニモナイ、ナンニモナイ」と、ともに歌うのです。
森の道を縦一列になって歩いたりしたからか、佐藤は一瞬だが、自分が横スクロールする世界の中の一人のような気がした。『ルパン三世』のエンディングの峰不二子がバイクで走りつづけるように、サザエさん一家が歩くように、佐藤の想像の中で全員が黒いシルエットになった。
ここでいう、「自分が横スクロールする世界の中の一人のような気がした」「全員が黒いシルエットになった」という感覚が、まさに、あの「場」の空気と重なります。
それは「やつらの足音のバラード」の持つ曲の力だけでなく、原始時代に戻るほど根源的(オリジナル)なラブにこだわり続けた田島貴男が歌ったからこそ、ということも大きいと思います。「ホモ・エレクトス」は、そのままギャートルズですし、代表曲『Let's Go』での「今が変わるなら遥か古代から続く終わりの始まりを共に始めよう 」というあたりなど、文明以前をイメージさせる歌詞は、意外と多いように思うのです。*3
ということで、色々と理屈をこねてみましたが、とにかく凄いに尽きる3曲、そしてその場をつくった「やつらの足音のバラード」が特に印象に残るライブでした。
好きな曲も演奏されたライブでしたが、3曲以外のことは、とにかくあまり覚えていません(笑)
ただ、その後、知った情報によれば、ここまで持ち上げた「やつらの足音のバラード」は、会場によってはキリンジ「エイリアンズ」のカバーだったとか…。これは聴きたかった…(笑)
上に挙げたような理由から、「定番」化すると、カバー曲の威力は減ってしまうけれど、「エイリアンズ」や「やつらの足音のバラード」は、何とか音源化して欲しいです。すぐそこに迫った*4バンドツアーが本当に楽しみですが、カバー曲も少し期待しちゃいますね。
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参考(過去日記)
- 旅行記と小説の境界〜長嶋有『エロマンガ島の三人』
- 田島貴男 弾き語りツアー2016(3/11(金)渋谷さくらホール)
- オリジナル・ラブ11/5発売『FREE SOUL』、11/19発売『Light Mellow』について
⇒珍しく、キリンジとオリジナル・ラブの両方を取り上げています。最近、田島貴男が、CDはオリジナルアルバムを聴いてほしい/ベスト盤はほとんどが非公認、という話をしていたのですが、近年の田島貴男公認ベスト『ボラーレ』が納得行かな過ぎる自分としては、こういうCDも良いと思います。