- 作者: 竹宮惠子
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6巻まで読み終えたところで、改めて1巻からの構成を確認する。
自分の読んでいるのは全10巻の白泉社文庫版だが、小学館文庫版は全9巻、元の単行本は全17巻と、バージョン毎に巻の区切りが異なり、白泉社文庫版は非常に区切れ方が悪い(笑)。せめて第4章(ジルベール)は、最初か最後のどちらかで切れた方が良かったのでは…?
さて、4巻以降では、「第4章 ジルベール」で、学院に入る前のジルベール(+オーギュスト)が描かれ、「第5章 セルジュ」では、セルジュが生まれる前の時代にさかのぼり、父アスランの青春から、母パイヴァとの出会い、そして、セルジュ誕生からラコンブラード学院に入るまでが描かれる。
そして、やっと「第6章 陽炎」で、「第3章 SANCTUS −聖なるかな−」(2巻)以来、途絶えていた、現在進行形のジルベールとセルジュの話が再開する。
第4章 ジルベール
4巻に入った話では、予想に反して、ジルベールがボナールと良い仲になる。全体のトーンも、ボナールのことを、犯罪的行為を行った者ではなく、情熱的な芸術家として持ち上げるように話は進んでいく。
ジルベールがボナールの家に飛び込まざるを得なかった経緯を知ると、オーギュストの酷い仕打ちとの比較から、読者もボナールを好きになってしまうほどだ。(むしろ可愛い)
そして、実際、ボナールはジルベールの良さをよく理解し、オーギュストをこう叱責する。
愛されて…
自信に満ちたジルベールが好きだった
あの南国のバラのようなあでやかさが…
…常に生きる意欲に満ち…自分を恥じず…
人を思いやることより自分を大事にするジルベールがだ
…本来 そうでなければ人間は良い意味で才能を発揮できない
おまえのようにうしろむきで生きてはいけないんだ!
(略)
…そうまで言うなら なぜもっと大事にしてやらない!
なぜ少しも愛してないようなふりをする!?
嫉妬だ!あの子の才能をなんだと思う
”自由”さ
おまえにはないものだよ
聖人きどりのいばらのきみ!
それを嫉妬してがんじがらめにしばりつける!
分かったかい!
おまえってやつは自分の愛情も
嫉妬に変えてしまうようなバカやろうだ!
4巻p159
胸のすく思い!
オーギュスト自身も辛い生い立ちがあるのだろうけれど、だからと言って、ジルベールを虐待していい理由にはならない。ボナールは、オーギュストへの愛情も籠めながら、しっかりと彼の欠点を指摘してあげているという点でも優しさに満ちている。
しかし、決闘後、ボナールが作品の舞台を降りたあと、オーギュストの兄との話が出てくると、途端にゲス過ぎる兄との対比からオーギュストの味方をしたくなる。
自分が読者として単純なのか、話の見せ方が上手いのかわからないが、登場人物のうち特にオーギュストへの評価は絶対的ではなく相対的に動く。それはジルベール評にも似たところがある。
ただ、ここでアルル(ラコンブラード学院)に送られるジルベールのオーギュストへの依存度の高さは病的で、ボナールの指摘するような「自由」というジルベール本来の良さが殺されてしまっている。これこそが学院内でのジルベールの不安定さに繋がるのだろうが、そういった点を考えると、やはりオーギュスト許すまじ!!という気になってしまう。
第5章 セルジュ(アスラン)
ジルベールの章をリセットするような爽やかな物語!
第3章までのセルジュのパートと似ているのだが、セルジュの父アスランの話は、成長・恋愛・友情が混然一体となって、アスラン本人も何度もその言葉を使うように、いわゆる「青春」をテーマとした内容となっている。
そして、その青春は、アスランにとって、一度失って取り戻したものである。
バカロレア合格以降アスランが付けていた日記帳は、父の言うことに従って一度閉じ込めていた自分の想いを再び開き、ここから「青春」を過ごすという決意が表れたものだった。
この物語のメインテーマは、間違いなく「青春」であり、アスランにとって、「青春」とは、学友に恵まれたラコンブラード学院での生活に加えて、家族3人で過ごしたチロルでの暮らしを意味する。そして、セルジュにとっても、父と暮らしたかけがえのない日々、「風と木」を意識して暮らすチロルでの日々が、一番の心の支えとなっていた。ジルベールに会う前は。
それ以外に繰り返し使われるキーワードとして「誇り」がある。
アスランが結核でチロルに静養しているときにこんなエピソードがある。
散歩から歩いて帰る際に出会った荷馬車の人に「療養所の人だろ」と声をかけてもらう。
「すみません。申し訳ないけれどお願いします」と言ったあとで、アスランはこう思う。
みじめだ……
少しずつ少しずつ
被害者意識が
ぼくの自尊心を食い荒らす
4巻p274
セルジュのエピソードにも、同情と誇りを対比させた箇所がある。
好きだったアンジェリンを、自分の責任で傷つけてしまったあとで、「ぼくはきみの許嫁になる」と言い出したセルジュ。それに対して、目の部分を包帯で覆ったアンジェリンはこう言う。
恥知らず!
誇りを捨てた人間はきらい!
ふれるのもいや
そして…そして
あわれまれるのは死んでもいやよ!!
…家を出てって…
怨むわ…
わたしあなたと暮らしたら
この世のすべてを怨むと思うわ…
だからのこの家を出て行って!
二度と帰ってこないで!
わたしのまえに姿を見せないで!!
6巻p113
つまり、この物語の中では、何よりも「他人の同情を受けないこと」「他人にコントロールされず、自分の意志で発言し、行動すること」が、「誇り」に繋がる。セルジュもジルベールも、それを強く意識しており、そここそが互いに惹かれ合う大きな理由になっている。
そして、アスランが、パイヴァに出会ったことで、自分自身のために生きることが出来るようになった=青春の日々を過ごすことが出来るようになった、と言っていること(p258)と重ね合わせると、誇りを持つこと(自分を主張し、自分自身のために生きること)が、すなわち、青春の日々の必要条件なのだろう。
第6章 陽炎
久しぶりにアルルの話に戻ってみると、爽やかなアスラン〜セルジュパートから一転して、またもやジルベールのベッドシーンから始まる。
4章、5章で、それぞれの生い立ちを見てきたからこそ、この章の人物関係は納得して読める。
- ジルベールをいとおしいと思う気持ちが止まらないセルジュ
- セルジュのことを未だ信じ切れず、オーギュストを想い続けるジルベール
- ジルベールには素っ気なく接する一方で、セルジュにちょっかいを出すオーギュスト
この変わった三角関係で話が進んでいく中で、生徒総監ロスマリネのトラウマとなっている凌辱体験がオーギュストによるものであること、それをロスマリネの片腕であるジュール・ド・フェリィが見ていた事実が明かされる。
面白いのは、ロスマリネが、オーギュストとジルベールを毛嫌いし、セルジュに「オーギュスト・ボウという男には深入りしないことだ」(6巻p305)と忠告する一方で、ジュール・ドフェリィは「気をつけたまえ ジルベール。セルジュという人間は、きみにとってどれほど危険かわからない」(6巻p291)と、ジルベールに肩入れすること。
なお、オーギュストが、ジルベールについて「無垢」という言葉を使ったのを、ロスマリネが笑うと、オーギュストが、こう言って怒るシーンがある。
なにもおかしくなどない
だれもが無垢の意味を知らないだけだ…
そうして彼のせいで他人が己を省みてあぜんとすればそれでよい
そのためにならわたしはなんだってする!
つまり、オーギュストは、ジルべールを使って、世間全体に対して復讐をしている、ということなのだろう。その個人的な復讐計画の邪魔をするのがセルジュということで、オーギュストは、表向きの親切さとは裏腹に、セルジュをジルベールから引き剝がしにかかる。
6巻ラストは、セルジュにとって慌ただしく、また楽しくない出来事が続く。
- 騙されて赴いた美少年愛好クラブで暴行を受け、左肩を怪我した上に、レオに唇を奪われる。
- 自分がジルベールが好きなことが、アンジェリンには分かっていると言われ、かつ、アンジェリンはオーギュストと結婚する可能性を示唆し、「失恋」する。
- オーギュストが無理矢理招いた音楽院の教授の前で、左肩の怪我がたたって、ピアノ演奏の失敗をしてしまう。
レオンハルトは、現時点でのジルベールのお気に入りであり、かつ、セルジュの唇を奪った人間ということで、今後メインの話にも少し絡んでいくのだろうか。
とはいえ、何といってもオーギュストへの憎しみがどんどん募る6巻でした。アスランについては、オーギュストと会っていたとは言え、魔の手が及んでいないで本当に良かったと思います。
参考
- 花の24年組の漫画家たちの作品についての感想目次(『日出処の天子』『ポーの一族』の全巻感想など)