Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

宇多田ヒカル『Fantome』を楽しむためにオススメの3冊の本

Fantôme

Fantôme

宇多田ヒカルの8年ぶりのアルバム『Fantome(ファントーム)』が素晴らしくて何度も繰り返し聴いている。
春に出たシングル「花束を君に」「真夏の通り雨」も、シングル曲っぽさは最小限に抑えて、メジャーとマイナーの間の一番気持ちいいコースにバシッと決めてくるが、それ以外の曲も、工夫が凝らされていて楽しい。
特に、長く付き合った男女の内面に迫る「俺の彼女」や、スガシカオの名曲「はじめての気持ち」と同主旨だと知り驚いた「ともだち」、さらには椎名林檎とのデュエット曲「二時間だけのバカンス」などは、聴き込んでしまう。


そして、何よりアルバム一曲目を飾る「道」。
先行シングル2曲は、少し聴けば、母親(藤圭子)のことを歌っていることが分かる歌詞だったが、この「道」は、それにも増してダイレクトに「あなた=母親」という構造が露わ。しかし、先行2曲と比べて、とても明るく強い楽曲で、宇多田ヒカル自身の決意を感じさせる。
「人生の岐路に立つ標識は在りゃせぬ」という歌詞の力強さが、自分は大好きだ。


今回、出産後初めてのアルバムということで、それをイメージさせる曲がもっと多いかと思ったが、それはほとんど感じられなかった。それよりも、ここまで書いてきた通り最初の1曲とシングル2曲が、そうであるように、アルバムのテーマは「母(藤圭子)」とは切り離せないだろう。
インタビューでも語られるように、アルバムタイトルも母親を念頭に置いたもの。

今回のアルバムは亡くなった母に捧(ささ)げたいと思っていたので、輪廻(りんね)という視点から"気配"という言葉に向かいました。一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。でもこのアルバムを作る過程で、ぐちゃぐちゃだった気持ちがだんだんと整理されていって。「母の存在を気配として感じるのであれば、それでいいんだ。私という存在は母から始まったんだから」と。そうしてタイトルを考えていくうちに、今までのように英語というのはイヤで、かといって日本語で浮かぶ言葉はあまりに重過ぎて、「フランス語が合うね」という話になって。そこからいろいろと模索した末に、"幻"や"気配"を意味する"Fantome"という言葉に突き当たり「これだ!」と思いました。
「私という存在は母から始まったんだから」宇多田ヒカル、待望のニューアルバム『Fantome』をリリース(内田正樹さんによるインタビュー)


今回は、そんな宇多田ヒカル『Fantome』を、さらに深く楽しむための、オススメ本を3冊紹介する。

宇野維正『1998年の宇多田ヒカル

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

まずは昨年末出たこの本。
1998年という日本でこれまで一番CDが売れた年にデビューし、一番CDを売ったミュージシャン宇多田ヒカルについて書かれた本で、同じ年にデビューした椎名林檎aiko浜崎あゆみと彼女たちの関連性についても触れられている。aiko浜崎あゆみについては、やや内容は薄いが、むしろ、アルバム『Fantome』でデュエットしている椎名林檎との歴史を知るためにも、非常に読みやすい新書。
宇野維正さんは、先日のBLOGOSの記事で、このアルバムが「CDの時代に出す最後の宇多田ヒカルのアルバム」だという言い方をしている。記事を読むと、欧米の音楽シーンと日本で状況に乖離があり、日本でも、CDの時代の終わりがすぐそこに迫っているようで興味深い。

しかし、この本には、宇多田ヒカルについて、本来なら掘り下げたくなる部分が抜けているので、残り2冊の紹介と合わせて触れていく。

大下英治『悲しき歌姫 藤圭子宇多田ヒカルの宿痾』

悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾

悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾

宇多田ヒカルは1998年に15歳でデビュー、28歳で活動休止して、今回は5年間休んでの活動再開となる。
5年の間に再婚や出産などプライベートで色々なことがあった中で、非常に衝撃が大きかったのは2013年に、母親である藤圭子がマンションの高層階から飛び降りて亡くなったこと。
藤圭子は1969年に18歳でデビュー。本当に第一線で売れていた時期は数年間だが、レコード売り上げ枚数は数百万枚という大スターだった。
彼女の突然の死を受けて、2013年には藤圭子に関する本が何冊も発売されており、その一冊がこれ。
この本は藤圭子が貧乏生活からどんな風にスターになって廃れていったのか、その情熱を長女ヒカルに傾けたのか、という部分が書かれている。
藤圭子を見出し、意地で育て上げた作詞家兼マネージャーである石坂まさをは、まさに、矢吹丈(ジョー)を見出した丹下段平であり、北島マヤを見出した月影千草。ドサ回りからのし上がる藤圭子の物語は、リアル『あしたのジョー』、リアル『ガラスの仮面』でテンポよく読める。
また、引退後、母親として宇多田ヒカルを世に送り出そうと奔走した様子、そして宇多田ヒカルの今までが描かれている。表紙とタイトルから感じる印象通り、藤圭子の悲しい側面がよくわかる本と言えるかもしれない。

沢木耕太郎『流星ひとつ』

流星ひとつ (新潮文庫)

流星ひとつ (新潮文庫)

そして、宇多田ヒカル『Fantome』を楽しむための大本命が『流星ひとつ:』。
この本も『悲しき歌姫』と同じように飛び降り自殺直後に出たノンフィクションで、形式としてはインタビュー。
藤圭子が芸能界引退を決めた1979年、28歳の藤圭子に、当時31歳の沢木耕太郎が行ったインタビューで出来ている。
沢木耕太郎は『深夜特急』や『一瞬の夏』で知られるノンフィクションライターで、このインタビューの時期が、『深夜特急』の旅路を終えたあと、という部分も興味を惹かれる。


さて、先ほどの本と比べると、3つの点でかなり変わった本であると言える。


特徴の1つ目は、1979年に完成していてお蔵入りになっていた本が34年経ってから世に出たこと。
特徴の2つ目は、会話文のみで構成されて、地の文がない実験的なノンフィクションであること。
特徴の3つ目は、その独特のフォーマットが成功して、藤圭子が、とても前向きで明るく、けなげで可愛らしく描かれていること。


このうち「会話文のみで」と言うのは、音楽雑誌にあるような一問一答式のインタビュー記事のようなものではない。本当に、雑談も含めた、まさに「会話」で構成されている。
ホテル・ニューオータニの40階のバーでお酒を飲みながら語らいあった内容だけで300頁以上を一気読みさせる内容になっている。


「インタビューというのは退屈でつまらないんだ」という藤圭子に対して、最初に、沢木耕太郎は「相手の知っていることを喋らせるのではなく、相手さえ知らなかったことを引き出すのが本当のインタビューなんだ」という話をするが、まさにそれに成功していると言える。


沢木耕太郎が聞き出したい1番のテーマは、「何故、好きな歌をやめなくてはならないのか?」というもので、それが明らかにされていくところも読みどころだが、それ以外の部分も面白い。
貧乏時代の苦労、前川清との結婚と離婚、その後の恋愛話というかだめんず遍歴…など、プライベートな内容までかなり突っ込んで話す。
でも、週刊文春みたいな感じではない(笑)。
下世話な感じがしない。
本人から喋っているのもそうだが、会話の中の自然な流れでそういった話がでているからだろう。
ドサ廻り時代から栄光と没落、そして芸能界を引退するきっかけとなった絶望、暗い要素の沢山あるインタビューだが、それでも、藤圭子の前向きな感じ、まっすぐな感じ、そして可愛らしい感じがよく出ていてとても清々しい気持ちになれる本にまとまっている。


「引退して、これからどうするの?」という質問に対して藤圭子はこう答える。

笑わないでくれる?勉強したいんだ、あたし。

藤圭子は英語を勉強したいという。そして、実際、ニューヨークに渡って結婚して宇多田ヒカルが生まれることになるのだが、28歳の藤圭子は、人生への期待でいっぱいだ。


このときの藤圭子のことを、あとがきで沢木耕太郎は「輝くような精神、透明な精神」と言う。
藤圭子の自殺に対して、宇多田ヒカルが、「母はとても長い間精神を病んでいました」とコメントしているのを読んで、あの、藤圭子の、美しい瞬間を伝えなくちゃいけない、と沢木耕太郎は思ったらしい。
つまり、34年お蔵入りになっていた本を2013年にあえて発表した理由は、宇多田ヒカルに読ませたかったから、という理由だったというのだ。
だから、2016年、『Fantome』の発売と合わせるように文庫化されたのは当然ともいえる。
非常に長くなりましたが、アルバムと合わせて是非読んでほしい本です。

シェアラジオ・民放ラジオ特別番組『サントリー天然水 presents 宇多田ヒカルのファントーム・アワー』

先日、ラジオの新しい取り組み「シェア・ラジオ」をアピールする特別番組として。AM、FM、短波を含む民放ラジオ101局という規模でオンエアされた、「宇多田ヒカルのファントームアワー」。この感想を最後に少しだけ。

基本的には、アルバムの制作にまつわるエピソードを紹介しながらアルバムの曲をかけていく1時間番組で、冒頭曲は、当然のことながら、アルバム1曲目であり、番組スポンサーのサントリー天然水のCM曲でもある「道」。宇多田ヒカルがCMに出ているので、当然ともいえる。
番組のために作られた2パターンのジングルも、何だかすごく変で笑ってしまったが、番組も、宇多田ヒカルらしい、気の抜けた、というか「ヘラヘラした感じ」で進んでいく。
曲ごとの細かいエピソードについて触れながらも、自分が気になっていたアルバム全体のテーマについては触れられないまま、エンディングを迎えようとしていた。(なお、「ともだち」が、同性愛をテーマにしていると知ったのもこの番組で。)


しかし、そこで驚きの展開が…(CM前のテレビ番組みたいですが)


番組でかかった最後の曲は、驚いたことに、アルバム『Fantome』以外から、どころか、他の人の曲。
しかも、宇多田ヒカルの選んだ曲は、藤圭子『マイウェイ』
宇多田ヒカルのヘラヘラした雰囲気に油断していた自分は、かなり不意をつかれて、少し涙ぐんでしまった。
これを聴いてしまうと、宇多田ヒカルがこの番組の1曲目、どころか、アルバムの1曲目に「道」という曲を置いた理由は明らか。

私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった


藤圭子『マイウェイ』へのアンサーソングでもあった宇多田ヒカル「道」。
『流星ひとつ』で、沢木耕太郎宇多田ヒカルに送ろうとしたメッセージはどう届いたのかわからないが、母の死を経て、力強くなった宇多田ヒカルを、アルバム『Fantome』の中には感じることが出来ると思う。
是非、本とCDを合わせて、読み、聴いてみてください。