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知ってたつもりで全く知らなかった〜加藤直樹『九月、東京の路上で』

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響


話題になっていたので、この本のことは何年も前から知っていた。が、関東大震災時の朝鮮人虐殺という史実は知っているし、歴史資料的なものが不得意というそれだけで読むのを避けてきた。
実際、いざ、この本を前にして、パラパラと頁をめくってみて、目次の、多くの場所で起きた出来事の羅列を見るにつけ、あ、もしかしたら、読み切れないかも…と思ってしまった。
ところが、読み始めると、この本の持つ力に圧倒され、よく出来た構成にも助けられ、あっという間に読み終えてしまった。


まず、110頁にも書かれているように、「関東大震災時の朝鮮人虐殺は、東京東部のごく狭い地域で起こったことだと思っている人が多い」がそうではない。
自分がまさに「狭い地域」のことだと思い込んでいた典型で、そういった人たちに向けてこの本は書かれていると言える。
この本は1章、2章は9/1から1日、2日と経って状況が進む様子が時系列で書かれているが、そこが巧みなところで、時系列が進むことにより、被災地からの避難民が外側に移動するため、地理的な広がりを見せる。
1章では、焼失地域(浅草、日本橋、神田、京橋、本所、深川)から、江東区など東京都の東部の話が出てくる。このあたりまでは何となく聞いたことのある話だったが、2章で、虐殺が地方(熊谷、寄居、高円寺、小平)に広がるのを見ると、全く知らなかった「本当は恐ろしい」日本人の話が現れてくる。
自分の認識は、虐殺は、震災の惨状にパニック化した群衆が起こしてしまったというものだったが、読むにつれ、それは日本人に甘い、甘過ぎる認識であることを知ることになる。


例えば、虐殺のきっかけとなった、朝鮮人暴動、朝鮮人襲来のデマは、軍や警察がそれを広げるのにむしろ加担していたという事実(1章)を、自分は全く知らなかった。
また、地方の話は主に9/4以降の話となるが、震災から3日以上経って、直接被災していない場所、つまり地震によるパニックという要因が少ない場所でもこんな風になってしまうのかと唖然とした。
例えば、寄居の飴屋の男性朝鮮人・具さんのエピソードを読んでも、虐殺する側の論理が明らかに破綻しているし、理性的でない。そこには、まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」の精神、そして、「朝鮮人は殺してもいい」という狂気だけがある。


秩父に近い埼玉の寄居でも、東京からの避難民が持ち込んだ流言に、村の自警団は戦々恐々としている。

だが寄居の隣、用土村では、人々は「不逞鮮人」の襲撃に立ち向かう緊張と高揚に包まれていた。事件のきっかけをつくったのは、その日夜遅く、誰かが怪しい男を捕まえてきたことだった。自警団は男を村役場に連行する。ついに本物の「不逞鮮人」を捕らえた興奮に、100人以上が集まったが、取調べの結果、男は本庄署の警部補であることがわかった。

がっかりした人々に対して、芝崎庫之助という男が演説を始める。「寄居の真下屋には本物の朝鮮人がいる。殺してしまおう」。新しい敵をみつけた村人たちはこれに応え、手に手に日本刀、鳶口、棍棒をもって寄居町へと駆け出していった。p100
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/1923962.html?m=1

このような自警団の状況について、本書では、山岸透『関東大震災朝鮮人虐殺80年後の徹底検証』から、以下のような文章を引用している。

自警団、自警団員の中には、自警を超えて、虐殺、朝鮮人いじめを楽しむ者も出てきた。前述で見たような殺し方は、もはや自衛のためのものではなく、社会的に抑圧されていた者が、その屈折した心の発散を弱者に向けるようになったものである」「危険な朝鮮人ではないということを十分に知った上での暴虐であり、自分たちのストレスの発散を求めた、完全な弱い者いじめになっている」「対象は安全に攻撃できる、自分より弱いものであればいいということになる」
p90

これを読んで、「そうは言っても90年前のこと」と捨て置けない空気が2019年9月の日本には満ちている。
とはいえ、本書を読むと、このような、地方での不合理な虐殺は、さまざまな場所で起きていることを知り、何故?の気持ちが高まっていく。


次に強烈な印象を与えたのは習志野収容所に関するもの。
民衆による虐殺行為に、これはまずい、と感じた軍や警察は、自警団による虐殺をこれ以上拡大させないために、朝鮮人習志野収容所に収容し、集中隔離するような対策を取る。
…のだが…。

ところがその間、収容所では不可解なことが起きていた。船橋警察署巡査部長として、習志野収容所への護送者や収容人員について毎日、記録していた渡辺良雄さんは、「1日に2人か3人ぐらいづつ足りなくなる」ことに気がつく。収容所附近の駐在を問いただしたところ、どうも軍が地元の自警団に殺させているのではないかという。p140
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/75.html?m=1

リンク先を読んで頂くと分かる通り、刀の切れ味を確かめるために、収容所から朝鮮人を「貰ってくる」ようなことが行われたという。狂気の沙汰としか思えない。
また、習志野に護送された朝鮮人の中から、自警団のえじきに差し出された人たちがいたこともエピソードとして書かれている。(差し出された16人)

東日本大震災のときに、「暴動・略奪の起きない素晴らしい国」として持ち上げられたのと同じ国とは思えない。


さらに追い討ちをかけ、自分の弱った心にトドメを刺したのは、小・中学生による作文だ。

朝鮮人がころされているといふので私わ行ちゃんと二人で見にいった。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによってみた。すると頭わはれて血みどりになってしゃつわ血でそまっていた。皆んなわ竹の棒で頭をつついて『にくらしいやつだこいつがいうべあばれたやつだ』とさもにくにくしげにつばきをひきかけていってしまった」(横浜市高等小学校1年【現在の中学1年】女児)

「夜は又朝鮮人のさはぎなので驚ろきました私らは三尺余りの棒を持つて其の先へくぎを付けて居ました。それから方方へ行って見ますと鮮人の頭だけがころがって居ました」(同1年女児)p129
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/blog-post_1256.html?m=1

これほど気が重くなる作文もないだろう。
また、虐殺死体が転がっているのが「ありふれた」景色だったこともうかがえる。


しかし、それにしても何故?


本書では、別途章立てして、理由の考察を行なっている。すなわち8割程度は、基本的には事実に基づいた内容のみで話を進め、解釈は出来るだけ含まずに書くことで、資料的価値を高めている。
166頁を読み進めたところでやっと「虐殺は何故起こったのか」の考察が入る。

その背景には、植民地支配に由来する朝鮮人蔑視があり(上野公園の銀行員を想起してほしい)、4年前の三一独立運動以降の、いつか復讐されるではないかという恐怖心や罪悪感があった。そうした感情が差別意識を作り出し、目の前の朝鮮人を「非人間」化してしまう。過剰な防衛意識に発した暴力は、「非人間」に対するサディスティックな暴力へと肥大化していく。
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/10/blog-post.html?m=1


この土台があり、かつ、治安行政や軍が流言の拡大に加担したことが大きいのだという。


今でも、日本の植民地支配は、韓国にとっては良かったことだと考える日本人は多いと思うが、当時から朝鮮人からの怒りを感じつつも、その怒りを「無いもの」と抑え込んでいたらしいことが、4章のさらに突っ込んだ考察を読むと分かる。
それがかえって朝鮮人への恐怖心を増大させることになったのかもしれない。
1910年の韓国併合、1919年の三・一運動、1923年の関東大震災における朝鮮人虐殺はまっすぐに繋がっている。


治安行政については、『災害ユートピア』からエリートパニックという言葉を引いて、次のように説明されている。

災害時の公権力の無力化に対して、これを自分たちの支配の正統性への挑戦ととらえる行政エリートたちが起こす恐慌である。その中身として挙げられているのは「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、噂をもとに起こすアクション」だ。

ここから見えるのは、ある種の行政エリートの脳裏にある「治安」という概念が、必ずしも人々の生命と健康を守ることを意味しないということである。それどころか、マイノリティや移民の生命や健康など、最初から員数に入っていないということである。
p194


団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

ちょうど読んでいた安田浩一『団地と移民』でも、「治安」という言葉への違和感が語られていたが、移民が多い=治安が悪いと考えるのは、日本でもパリでも同じだという。
こうした偏見は、マスコミによって増幅されることも多く、そうなると、それをさらに視聴者がSNSで拡散させる偏見拡大フィードバックが働いてしまう。


そう考えれば、「拡散しない」ことは勿論、異議を表明してストップをかけるなど、SNSの一利用者として出来ることは、無数にある。理性を保って冷静に振る舞えれば…。


しかし、ここまでの話を読んでしまうと、自分が本当に「虐殺する側」「虐殺を黙って見過ごす側」に回らないとは言い切れないのではないかと不安になってくる。
本書では、最後に〈「非人間」化に抗する〉ことの必要性を訴える。

関東大震災はそんななかで起こった。朝鮮人を「非人間」化する「不逞鮮人」というイメージが増殖し、存在そのものの否定である虐殺に帰結したのは、論理としては当然だった。

いま、その歴史をなぞるかのように、メディアにもネットにも、「韓国」「朝鮮」と名がつくすべての人や要素の「非人間」化の嵐が吹き荒れている。そこでは、植民地支配に由来する差別感情にせっせと薪がくべられている。「中国」についても似たようなものだろう。
(略)
「非人間」化をすすめる勢力が恐れているのは、人々が相手を普通の人間と認めて、その声に耳を傾けることだ。そのとき、相手の「非人間」化によらなければ通用しない歴史観イデオロギーや妄執やナルシシズムは崩壊してしまう。だからこそ彼らは、「共感」というパイプを必死にふさごうとする。人間として受け止め、考えるべき史実を、無感情な数字論争(何人死んだか)に変えてしまうのも、耳をふさぎ、共感を防ぐための手段にすぎない。


『団地と移民』でも、やはり個人と向き合うことの重要性が説かれている。2章では、中国人住民が急増した芝園団地の「芝園かけはしプロジェクト」に取り組む岡崎広樹さんはイベントについて次のように語る。

どんな形であれ、人が集まるのは良いことだ。それは防災講習会で得た結論だった。講習そのものよりも、岡崎はそこで中国人ひとりひとりの顔に接したことが収穫だと感じていた。
顔は大事だ。
数字でも統計でもデータでもない。生身の、血の通った人間が、目の前にいる。それを感じたことが重要だった。

しかし、ただ、直接知り合えばいいかと言えば、そうとも言い切れないらしい。芝園かけはしプロジェクトについて書かれた別記事では、逆効果となる場合についても触れられている。

異なる集団同士で接触が増えると相手への偏見が減るという考え方は、社会心理学で「接触仮説」と呼ばれる。ただし、接触することで対立が激しくなる場合もあり、接触仮説が成り立つには、ともに活動することが双方の利益になるような関係にあるなど、いくつかの前提条件が必要とされる。
https://globe.asahi.com/article/11578981


このことも踏まえてか、安田浩一さんは『団地と移民』の中でこのように書いている。

相手の立場になりきって心情をすべて理解することが大事なのではない。ここに住んでいる。
同じ社会でともに生きている。
違いがあっても隣人として暮らしていける。
「つなぐ」ために奔走する人々を見てきたなかで、必要なのは、そうした意識だけでよいのだと、私は考えるようになった。

精神論ではあるが、「非人間」化を避けるためには、必要な考え方だとよく分かる。
すべてを理解し合う必要はない。
違いがあっても隣人として暮らしていけることを、共通認識として持つことが、日常生活の中では重要だ。


そしてもうひとつ重要なのは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という通り、歴史に学ぶことだろう。今回この本を読むことで知り得た史実を、繰り返し咀嚼し、流言に惑わされないことも、「非人間」化を避けるのには必須だ。
その意味では、今回興味を持った、韓国併合から三・一運動までの日韓の歴史について、もっと勉強しておきたい。
本書の副題は「ジェノサイドの残響」だが、90年前にジェノサイドが起きた東京に住む者としては、こういった歴史を学ぶことは必修科目に近いかもしれない。


最近は、最悪の日韓関係と言われながらも、「韓国人は理解できない」というトーンの記事にも共感を覚えることが多かったが、この本を読んで、「この時期の日本人こそよく分からない」と思うようになった。
日本人を知るためにこそ、日韓関係の歴史をもっと学んでいきたい。