Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

政治家・官僚批判について

先日見られなかった朝生の代わりに録画したサンデープロジェクトを見る。
一つ目の話題は年金法案。もう繰り返さないが、やっぱりひどい。直接は話題にならなかったが、民主党案が与党案に比べて貧弱なのは、厚生労働省によって、年金の前提となる数理条件が公開されていないからだ*1、ということも覚えておきたい。
二つ目の話題は民主党の「国連待機部隊」について。これまで、自衛隊とは完全に別なのかと思っていたが、自衛隊を中心として、警察、消防などを含めた部隊であり、従来行われてきたゴリ押しによる自衛隊の海外派遣が理屈に合わなくなってきているから必要とのこと。意味はある程度わかった。
三つ目は、「なぜ水は盗まれたか?」というタイトルの現地取材レポート。農業用水利権の転用が(農林水産省既得権益死守のために)「聖域」となっており、手をつけるのが非常に難しいことがよくわかった。広島県世羅郡山田川ダムの建設経緯などを聞くと、一般常識とかけ離れすぎていて理解しがたい。すなわち、農業用ダムの余剰分の転用案と治水・利水用ダム建設案とを比較した場合に、自治体の出費が、ダム建設案の方が安く済む、というのだが、これは結局、省庁毎の補助金つまり縦割り行政が原因で、とても非効率的な方法だ。最悪の事例だが、これは農水省以外の省庁でも似たことがあるのだろう。
一つ目と三つ目は、番組(と田原総一郎)の傾向もあるのだろうが、結局は官僚批判の内容。これらに対して、国民には何が出来るのだろうか?

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ところで、佐伯啓思『「市民」とは誰か』を読んでわかったことで重要な点は以下の2点。

  • 日本の歴史には、明治維新と第二次大戦後の2回、大きな歴史的断絶がある。
  • 日本においては、お上意識に基づく政治権力VS国民という対立が根強い。

前者は、欧米諸国には見られないことで、歴史的断絶の影響は街の風景にも現れている。2回という回数については、適当かどうかわからないが、僕の現在の認識では2回。
後者については、僕は「国民」であり、政治権力の側にないので、感覚的なことを言おうとすると、散々揶揄されているサヨク的な、理想主義的な物言いになってしまう。その原因のひとつとして、官僚と政治家の関係をよく認識していない、というところがある。その点、id:flapjackさんやid:kanryoさんのところ(主にid:flapjack:20040428からの河野太郎の国会日記についての議論)では、具体的な事例について議論が戦わされていてとても興味深い。
さて、宮台真司(またか)は、『絶望から出発しよう』(またか)の中で、今後、分権化・民権化が進む世の中で、それが上手くいくかどうかは民度による、とし、"市民エリート"の必要性を説きます。既得権益の「こちら側」だけでなく「向こう側」に官僚エリートと同じくらい頭のいい市民エリートがいなければチェック・アンド・バランスがうまく機能しないということです。宮台真司自身のロビー活動の経験から、比較的短いスパンで実効性のある方法と確信しているようです。いわく、デモやシュプレヒコールなどの運動は、気分がすっきりする「表出」であっても、実効性のある「表現」になっていない、とのこと。
やっぱり、とりあえずは僕ら自身が勉強して民度を上げなければならないということなのかな?

*1:ゴーログで繰り返し主張。4/29など。http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/04/__1.html