Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

タイトルがすべて〜長山靖生『子供をふつうに育てたい』

子供をふつうに育てたい (ちくま新書)

子供をふつうに育てたい (ちくま新書)

ブログみたいな内容で、専門的な考察を期待するとガッカリする。*1
だが、そこがいいところでもある。
子どもを持つ親の当事者としての視点を貫くことに重きを置き、社会問題を扱った新書のように、上から目線で客観的な分析を加え、スパッと断言したりはしない。自分なんかは、「断言する」態度に常に憧れているので、そういう文章を読めばカタルシスを得られるが、実際にはそう簡単に割り切れるものでもないから何も解決しない。
だからこそ、この、悩み尽くした(むしろイライラが募る)文章には、とても共感できる。
秋葉原無差別殺人や、秋田連続児童殺害事件、お受験殺人など、親子の問題から生じた事件を自分にも起きうるものとして扱いながら、虐待(1章)、学校における個性化と集団化(2章)、格差拡大(3章)、子どもの自立(4章)について語った末に登場する最後の文が全てを物語る

親も子も、自分の行為が招いた結果については、たとえそれが不本意なものだったとしても、見から出た錆としてこれを受け止めるようにしたい。少なくとも「こんなはずではなかった」と悩むよりは、「こうなる理由はどこにあったのか」と悩みたい。やり直しがきかない人生であり、また取替え不可能な関係だからこそ、結論を出すのではなく、悩み続けることを選びたい。親の子供に対する最良の愛情は、自分の空想の中にしかない子供像や親像によって自分自身や自分の子供を否定することではなく、今ここにいる自分たちに、しっかりと目を配る勇気の中にいる。

そういった内容なので、諸問題の解決策として出されるものは殆どないのだが、いくつか挙げられるものも、当事者(教師も含む)での解決が困難ということを前提としている点で現実的だ。

  • 虐待は、関連機関の働きが重要で、周囲は異変を見落とさないようにし、早期に通報することが必要(1章)
  • 親と教師の対話だけでは解決しない問題が多数あることから、学校が地域住民や同窓生による提言機関を持ち、あるいはソーシャルワーカーを導入し、必要な援助へのアクセスをサポートする場になることが求められる(2章)

繰り返し、これからの日本社会が右肩下がりであることを強調するような内容であることもあって、非常に暗い気持ちになる本ではあるが、自分も根は悲観的なので、共感できる部分の多い本だった。ただし、当事者視点を貫いているが故に、母親が読むと、また異なる感想があるかもしれない。(「子育て」を父親側から語るのは、抜けがあって当たり前であるため)


あとがき部分は、主に家族問題を扱った小説の案内になっているので、これも今後、参考にしたい。

*1:子どもの教育に熱心なエリート層の一例として、「もともと援助交際を肯定的に評価してきたのに今は・・・」みたいな流れで、今は宮台真司の名前を挙げているところなど、やや視点がワイドショー的だし的外れだ。