Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

香山リカ『を愛するということ』*2★★★☆

<じぶん>を愛するということ (講談社現代新書)
90年代の短い期間に流行した言葉である「多重人格」「サイコパス」「性倒錯」「ストーカー」「アダルト・チルドレン」「癒し」等の背後に共通する、「ほんとうの私」さがしについて分析した本、ということになろうか。
自分にとって、この種のテーマは(大抵の人がそうであるように)大学時代に卒業したテーマ*1であり、少し冷めた視点で読んでいたこともあるが、それにしてもこの本は「まわりくどい」。
香山リカという書き手の問題なのだとは思うが、この人は、社会的に関心が高まっている現象、もしくは自分と感覚が違う問題について、その現象が起きる「過程」に興味の中心があるようだ。本書でも、「ほんとうの私」探しが行き過ぎて問題を引き起こしている過程に分析に多くの頁をさかれ、本来もっと書かれてもよい解決策の部分は、付け足し程度になっているように感じる。
また、特に、この本は、90年代の「私探し」ブームを「80年代のサブカルの負の結末」のひとつ(P105)として扱っているように、香山リカ自身の自分史とも重ねて書かれている部分があるので、興味のない人には読みづらい本だと思う。
ただ、そういった香山リカの文体〜常に自分自身の悩みを背後にちらつかせながら、意見を断定的に書かない文体は、作者の性格がよく出る文章であり、きっと好き嫌いがあると思うが自分としては結構好きだ。
 
さて、4章の部分が面白かった。読み返すとすればここだけ読み返そう。
フロイトの「自己愛」の考え方をさらに考察を進めたコフートの「誇大自己」について扱った部分だ。
ここでいう「誇大自己」とは、皆から愛されて「自分は世界の中心で何でも出来る」という赤ん坊時代の感覚のことを指す。人格形成には自己愛の克服が必要であり、その生成と克服が十分でないと、捨てきれない誇大自己にしがみつく、もしくは生成できなかった誇大自己を取り戻そうとやっきになる。それこそが「私探し」で泥沼にはまる人達というのが香山リカの指摘だ。なるほど。
コフートによれば、誇大自己の生成と克服のために必要な条件は以下の二つである。(P157)

  • 理想化された親のイメージがあること:親が万能である、というイメージを子どもに与える必要がある。(自分の誇大自己が崩れそうになった時に、それを親に投影してキープするため)
  • 「写し返し」の欲求に答えられること:褒めて欲しいときに子どもが行う行動(何度も同じ芸当をする、書いた絵を見せに来る)を、親は賞賛してあげなくてはならない。

こういったことに失敗し続けると、誇大自己の生成→克服がうまくいかずに、(通常は、この時期に通過しておくべき)「肥大化した自己愛」がいつまでも残る、というのだ。
確かにそうなんだろう。自分もようたと接する時には(今の赤ん坊の時期には)、少し気をつけてみようと思う。ただし、親の目から見た、「誇大自己の克服」の見極めの時期がよくわからなければ、ただ甘やかすだけになってしまう。その点については、本書の中では取り上げられていないのが残念。

*1:それじゃあ、何故読んだのかといわれれば、ブックオフで100円だったから・・・。恐るべしブックオフ