Yondaful Days!

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「南セントレア市」白紙撤回について

南セントレア市について少し書いたが、勝谷誠彦の日記を読んで、よく考えてみると、これは結構重要な問題を孕んでいるのではないか?と、思い始めた。

そもそも一度とはいえこういう命名案を出した合併協議会というもののアタマの内部を疑ってその人選からもう一度始めるべきだと人ごとながら思うのだが目の前の地方債というニンジンが欲しいばかりにそうはいかないのだろう。産経によると住民投票と同時にアンケートをしてその上位を市の名前とするそうだがこれもまた無責任極まる。

よく考えれば、名付けというのは、宗教的な意味付けさえ可能な、非常に重要な行為である。また、市町村名というのは、10年程度で変わるものではないだろう、長ければ100年は続く名になり、多くの人がそれに関わる。そう思えば、我が子に名付けるより慎重にことを進めるべき事項。
合併協議会も、「名付け」の重責については十分承知の上で議論したのだろう。それを、(そもそも「南セントレア市」が100年先を見越してつけた名前とはとても思えないが)一応は何らかの基準によって「合併協議会」が議論の結果、GOサインを出したのに、こう簡単に撤回してもいいのだろうか?議論した時間は全くの無駄になったわけだから、まず単純に合併協議会に要した人件費は、市町村に返した上で、代表者が責任をとって辞めるくらいでないと「名付け」に対する真剣さに欠けていたと思われても仕方がない。
と、ここまでは「南セントレア市」白紙撤回についての指摘。
 
もう一方の問題が、結構大きい。つまり、「住民投票」で決めるべき問題か?という話。

美浜町の女性は「住民にゲタを預けるのは責任逃れ。もっと真剣な議論をするべきだ」とあきれていた。

個人的には、住民投票というシステムにはマイナスのイメージがある。直接民主制に欠陥があるから、僕らは議員を選んで代わりに政治をやってもらっているわけだ。(だから衆議院議員のことを「代議士」と呼ぶのだろう。)それこそ、見識を持った人達に様々な観点から議論を重ねて決めてもらう方がよいと思う。(まあ、今回協議会メンバーに見識が欠けていたのかもしれないが)
勝谷氏が言うように宗教団体がどうこうとは言わないまでも、真剣に考える人とお遊びで投票する人*1とが同じ一票になってしまうのは、どれほど結果に影響するのかはわからないが違和感が残る。アンケートで決める、という決定がやはり単なる責任逃れに見えてしまうのは言い過ぎだろうか?
合併に伴って、決定が必要なのは市町村名だけではないはずだ。これから、住民から反発の出るような難しい件についての判断は全て住民に丸投げにならないか?また、住民側も反対すれば撤回してくれるという甘い考えを持つのではないか?と不安になってしまう。
実は、民主主義って何なの?ともう一度振り返って考えなくてはならないような大きな問題をそこに見ることもできるのではないか?と大げさに考えてみた。

*1:ネットで投票するわけではないからライブドアの球団名募集みたいにはならないのだが、あれをイメージするとわかりやすいと思う。