Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

手塚治虫『ぼくのマンガ人生』★★★

ぼくのマンガ人生 (岩波新書)
こちらは、先日、他の新書を買う際に衝動買いしてしまったもの。手塚治虫の死後8年経った1997年に、生前の講演記録等をまとめて出版された本。
そういった経緯があるだけに、一冊の本としてのまとまりに欠ける。しかし、手塚治虫という人間が何を思って漫画を描いていたのか、その一端は垣間見ることが出来た。
 
ところで、何故衝動買いしてしまったのか、よくよく考えると、先日深夜番組で、売り出し中の若手お笑い芸人が、手塚治虫火の鳥をつかまえるシーンの物真似をするというネタがあって、そのくだらなさがかなり印象に残っていたせいだろうと思う。*1はじめは、「僕は手塚治虫だよ!」という直球勝負でびっくりしたのだが、そもそも、顔が似ているのが強みだ。あのネタだけでは芸能界では生きていけないと思うが、頑張ってほしい。
 
閑話休題
いじめられていた子ども時代から、多額の借金でどうしようもない状態に陥っていたアニメ制作時代*2など、半生を振り返る内容となっているが、面白かったエピソードは、小学校時代の綴り方教育の話。一時間の授業で、内容は何でも良いから原稿用紙10枚書かせるという、かなり特殊なことが毎週行われていたようだ。子供たちは、まずあった出来事を書くが、それもすぐに尽きてしまい、ページを埋めるには、自分の考えを書くしかなくなる。そういったかたちで、書く内容にメッセージ性が出てくる、というのは、なかなか面白い教育方法だ。手塚治虫は、この授業をどうしのいだかといえば、フィクションを書く方法をとったようで、それが後年のマンガにつながったようだ。
さて、手塚治虫山藤章二、二人がともにテレビの悪影響について述べている部分があるのだが、よくあるテレビ批判とは少し違っているのでここに引用する。

・・・しかし最近は体制社会のなかで、ただ毎日を生きのびるという処世術が先行して、人生の喜びや未来への期待はしだいに失われてきています。ことに若者や子どもがそうです。
これはなぜかというと、やはりテレビの影響が非常に大きいと思うのです。ぼくはテレビの一番大きな欠点は、とくに民放で、場面がどんどん変わることだと思います。つまり、たいへん深刻でほんとうに深く考えなければならない、あるいはクライマックスで非常に感激しなければならない場面になって、こちらがグッと心を入れたとたんに、コマーシャルがポッと出る。そこで感情が消されてしまうのです。そこでまた別のドラマが始まるように、前のつづきが始まってしまう。つまり、そこでわれわれはいったん覚めてしまって、その覚めかげんで、ある世界を客観的にのぞいているという錯覚に陥ってしまうのです。子どもは生まれながらにしてテレビ世代ですから、つねにそれを体験しているのです。
『ぼくのマンガ人生』P135

それにしても、笑いの芸というものを、ほとんどの人はテレビを通してでしか見ていないというのは問題です。そのために、笑う、面白がるというリズムが、すべてテレビのリズムになってしまう。若い人をいきなり寄席につれていっても、退屈してしまうでしょう。
『似顔絵』P144(Ⅲ章〜テレビ時代の笑い〜)

『ケータイを持ったサル』じゃないが、自分たちが、身の回りのテクノロジーに日々、影響を受けていることをもっと自覚する必要がある。影響を受けているどころか、「喜び」や「笑い」などという、一人一人の感情までもが、テレビの侵食を受けているという指摘は、(それほど新しさはないにしても)改めて自分を振り返ってみると、気分の悪いものだ。柳田邦男のノーネットデー、ノーケータイデーではないが、僕もネットべったりの生活は少し改めた方がいいかもしれない。

*1:ネタの内容で検索したらガリットチュウという人達みたいです。

*2:それを救ったのが育児用品のアップリカの社長だという。