Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

(7・11追記)無期懲役について

無期懲役の「有名無実」化については、日垣隆の著作等の記憶から出てきた記述だ。また、今回の事件でも、加害者少年が友人に宛てた手紙の中で「どうせ無期(懲役)だったら、7年そこらでまた戻れる」と書かれているとの報道からも、自分の中の理解として「無期懲役といっても現実には「無期」ではない」という理解だった。
しかし、現実には、これと少し異なる議論もされているとのことなので、メモ程度に記しておく。

無期懲役受刑者処遇の問題点と
重無期刑(終身刑)の導入について
もう一つの絶望の刑を増やさないために

無期刑受刑者の仮釈放者の在所期間別人員は次の通りである。仮釈放者数が激減し、かつ在所期間自体も長期化の傾向が顕著である。
(表略)
確かに、1980年代半ばまでは毎年50 名程度の無期懲役受刑者が20年以内で仮釈放されていた。ところが、80年代の後半から仮釈放が減り始め(88年から90年は10名台)、90年代はじめに30人以上に回復するものの、その後も減り続け、96、99、2000年には遂に仮釈放者数は一桁となっており、最新の2000年のデータはわずか6人である。
(略)
最近のデータを見ると、無期確定者が激増しているのに対して、仮釈放者数は激減している。約1000人の無期刑受刑者がいるにも係わらず年間の仮釈放者が6名という実態を放置すれば、ほとんどの受刑者は実質的な終身刑を科され、獄内で一生を終えることとならざるをえない。

  • 終身刑の問題点と国際的な動向

終身刑は、それ自体がきわめて残酷な刑罰である。このような終身刑を大量に科しているのが世界有数の死刑大国アメリカであることに目をふさいではならない(死刑と終身刑の双方の制度を持つ州は32に及んでいる。死刑も終身刑もないのが10州、死刑がなく終身刑だけがある州はわずか6州に過ぎない)。
 終身刑のような刑罰を認めることによって自由刑の「社会復帰目的」という概念に、これと全く対極と言うべき「社会からの排除」「犯罪者の無力化」(incapacitate model)という概念を持ち込むこととなる。アメリカは、過剰拘禁と厳罰化がもたらす、刑罰制度の非人間的な姿の世界的な象徴である。終身刑の導入は、進み始めた過剰拘禁とセットで、日本の比較的安定していた刑罰制度を堀崩し、一気にアメリカ化していく突破口となるかもしれない。
 ドイツでは1949年に死刑を廃止し、終身刑を導入した。しかし、終身刑が「生きながらの埋葬」であると批判され、1981年終身刑を廃止した。

まず第一に強調しておきたいのは、無期懲役受刑者は社会に復帰できるし、復帰させることについて、市民社会も国家機関も一定のリスクを覚悟の上で決断しなければならないということである。ヨーロッパでは死刑を廃止しただけでなく、長期刑についても20年を最高とする国が増えている(ドイツ、スウェーデン等)。無期刑についても必要的な仮釈放制度を持つ国が増えている。これらの国々ではどのような凶悪犯罪を犯した犯罪者も必然的に社会に帰ってくるということを前提として、すべての刑罰制度を構想しなければならなくなっているのである。換言すればこのような国家は、このような受刑者を社会に危険をもたらさないように更生させた上で、社会に復帰させる=再社会化する責務を負っているといえる。

本村洋さんの観点は、被害者からの観点で「犯罪を起こさない」ことに重きがおかれる。
このペーパーでは、犯罪を起こした者の「社会復帰」に重きがおかれる。
大雑把に言えば、これらは、なかなか相容れない「応報刑」/「教育刑」という呼ばれ方をする考え方のようである。
死刑制度反対の観点からは大塚公子の著作が参考にされることも多いようである。この問題について、こういった本も読んでから、もう少し掘り下げたい。