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不安ばかりの「多文化共生」~安田峰俊『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』


安田峰俊さんは、Twitter上での、いわば「反」左翼的なスタンス(それは時に「右」的に映ることもある)に惹かれ、ずっと気になっていたが、最近のTwitter上でのお気に入りであるマライ・メントラインさんが、この本を薦めていたのを機に読んでみることにした。



「”低度”外国人材」とは

この本のタイトルは、日本政府が広く受け入れようとする「高度外国人材」を皮肉るようなイジワルな言葉としてつけられている。
それでは「高度外国人材」とは何か。
これについては「はじめに」で、2009年5月に開かれた高度人材受入推進会議の報告書での定義が 引用されている  。

我が国が積極的に受け入れるべき高度人材とは、「国内の資本・労働とは補完関係にあり、代替することが出来ない良質な人材」であり、「我が国の産業にイノベーションをもたらすとともに、日本人との切磋琢磨を通じて専門的・技術的な労働市場の発展を促し、我が国労働市場の効率性を高めることが期待される人材」と定義付けることができる。p15

これらの定義とは正反対の「”低度”外国人材」に依存しているのが、今の日本社会の実態である。その受け入れ制度としての技能実習制度が本書の中では多く取り上げられる。
その取り上げ方が本書のキモになる。

安田さんは、在日外国人問題に関連した報道や論考の多くが、以下の3つの傾向に集約され、紋切り型であることを指摘する。

① かわいそう型
主に外国人労働者のかわいそうな事例をたくさん集め、理想主義的なポジションに立って日本社会の問題点を断罪する。
②データ集積型
外国人労働者に関連する数字や固有名詞がびっしりと羅列されたレポート的な情報を提示する。結論は①に近いことが多い。
③叩き出せ型
外国人の増加に懸念を示して、読者の排外主義感情を情緒的に刺激する。商業的にはこちらのほうが「強い」。


優等生的なきれいごとのお叱りか、官僚的な数字の羅列か、人間の不信や憎悪や差別意識をむやみに煽る強い言葉か。
「かわいそう」なり「叩き出せ」 なりのステレオタイプの図式に落とし込んで作られたストーリーのなかで、 在日外国人という存在が著者の主張を補強するための記号のように用いられている例も少なくない。
p18-19

これに対して安田さんは「使い古された言葉」として、戦後、ドイツで移民問題を論じる際にしばしば引用されてきた一節(1965年のスイス人作家の言葉が元)を使う。

われわれは労働力を呼んだのに、来たのは人間だった。

つまり、この本では、「”低度”外国人材」という存在を記号のように用いるのではなく、「腹が立つ部分も気持ちが悪い部分もかわいそうな部分」も含めて、生身の人間として描こうとしている。


技能実習制度の問題

この本で出てくる外国人労働者のほとんどはベトナム人である。近年、日本に来る出稼ぎ外国人のメインは中国人からベトナム人に置き換わったという。中国の発展を考えれば納得だ。
例えば、小説『アンダークラス』がそうだったように、技能実習制度の「悪役」として描かれやすいのは「受け入れ先企業」だが、この制度は大きく3者によって成立している。それが、ベトナム国内の「送り出し機関」と、日本で斡旋を行う「監理団体」、そして「受け入れ先企業」で、制度的欠陥からこの3者いずれにも悪質な業者が入り込みやすい。
そこまでは何となく知っていたが、この本で指摘されている以下のような状況には驚かされた。

  • 送り出し機関は、技能実習生から高額の手数料を徴収する。悪質な業者の市場淘汰が働かないのには2つの理由がある。(p131-132)
    • (1)技能実習生になるベトナム人は、国の中でも貧しくて情報感度が低い人たち=論理的に思考する習慣が身につく教育を受けられなかった社会階層の人たちなので、他と比較をすることもなく、声をかけてきたブローカーの言うことにそのまましたがってしまう。
    • (2)賄賂社会であるベトナムでは、60万円と100万円の手数料を取る送り出し機関が並んでいた場合、後者の方が「いい仕事」を紹介できる能力を持っていると誤解してしまう。
  • 日本での「実習」を終えて帰国したベトナム人技能実習生たちは、帰国したあとに、その多くが送り出し機関に勤務する。(日本語研修の講師など)つまり、搾取される側だったベトナム人労働者は、その後、同胞を「喰う」側に回ってしまう。


この「情報感度が低い人たち」については、元技能実習生の取材がまた、驚きだった。
日本で痛い目をみたはずの彼女は、また日本で働きたいというが、その判断に論理性が見られず、「次は大丈夫」「次は頑張る」の一点張り。地元で勤務した場合や、中国に働きに行った場合との比較は全くしていないし、そもそも前回の2年2か月の実習期間を経ても日本語をほとんど話せない。
「とりあえず金がもらえる場所に」としか考えておらず、「かわいそうな外国人労働者」の枠に嵌めたい人から見れば必須の「勤勉」「真面目」という要素が無い。上に挙げた、容易に同胞を「喰う」側に回る人が多いのもそれが理由で、本書にはそういったタイプの人が複数登場する。


一方、第5章で登場する中国人の元実習生たちはタイプが異なる。彼らは、自国での労働と比べて、技能実習制度の「理不尽」を理解しており、問題があればスマホで弁護士を探したり、中国領事館や大手メディアにタレ込んだりする。
つまり、日本の技能実習制度は、発展途上国出身の「”低度”外国人材」である若者の判断力や論理的思考能力の低さや、権利意識の弱さに依存して構築されているシステム(p179)であり、現代中国の若者たちにフィットしなくなってきているのだ。

不良外国人でなくベトナム人夫婦に感じた不快感

本書では、技能実習から逃げ出したベトナム人たち(ボドイと呼ばれる)の話も多く登場するが、その中で必然的に「不良外国人問題」についても触れられる。

近年、 在日ベトナム人に関係する社会問題は、大きくふたつに分けられる。
ひとつは、彼らの多くが従事している労働環境の過酷さや構造的な中間搾取、低賃金、それらを苦にした逃亡などだ。これらは主に、技能実習制度や留学制度をはじめとした日本の外国人労働制度の欠陥や、日本社会の企業組織や労働現場のありかたに主たる原因がある。
いっぽう、もうひとつの問題は、不良化した留学生や逃亡した技能実習生らによる犯罪の増加だ。これらの「犯罪」には、偽造身分証や車両の入手、さらには自己消費目的での家畜の泥棒といった、 生きるうえでやむを得ず選択したと言えなくもない行為もあるが、なかには最初から盗品の転売を目的とした組織的な窃盗や、借金の督促のための同胞へのリンチなど、明白な違法行為を自身の積極的な意志によっておこなっている例もある。p80-81


この不良外国人問題に大きく焦点を当てたのが、第7章「「群馬の兄貴」の罪と罰――北関東家畜窃盗疑惑の黒い霧」であり、この内容は最近、安田峰俊さんが出した以下の本でさらに深く掘り下げられているのだろう。


ただ、このような不良外国人の事件について、安田さんは、長年取材を続けている在日中国人の実態から考えても、ごく一部の「悪いやつ」の行動と認識し、そのリスクを過剰に恐れたりはしていないようだ。
さらに、安田さんは、少子高齢化に苦しんでいる日本では、それ以外の選択肢がない、という意味でも、移民の受け入れには寛容だったという。


しかし、今回の取材の中で、その考え方にブレが生じたと書く。
ブレが生じるきっかけとして、いわゆる不良外国人でなく、もっと素朴な(何も考えていない)偽装留学生のベトナム人夫婦への取材を挙げているのが印象的だった。
その夫婦は、日本の社会に馴染もうとする気はおろか、日本語をまともに身につけようとしないまま「日本に住み続けたい。自分は話せなくても子どもが日本語を喋るようになればいい。」と言い切る。このような、怠惰で他人任せの態度を見るにつけ、安田さんは「こういう人たちが、これから日本で増えると嫌だな」と感じたという。(p254)
また、都心のように人口流動が激しい場所だけでなく、地方の歴史ある古い街に、日本社会への配慮に欠ける(関心がない)外国人労働者が増えていけば、同じように不快感を抱く人は増すばかりだろうと想像する。


まさにその通りで、このあたりの問題は、先日もニュースになっていた川口でのクルド人問題*1とも合わせて考えさせられた。映画『マイスモールランド』で取り上げられたのは、クルド人難民の問題の一部で、映画の中の彼らのように、日本社会に溶け込もうと努力する人たちばかりではない。
しかも、日本の外国人労働制度自体が、中国の次はベトナムベトナムの次はカンボジア、その次は…と、移民の焼き畑を繰り返しながら、より貧しく情報感度が低い「”低度”外国人材」が多い発展途上国から労働者を連れてくる仕組みになっている。(p257)
そこから考えれば、日本社会に馴染もうとせず、身内だけで自己流を貫く外国人は、これから増えるばかりで、「多文化共生」という理想社会はどんどん遠のいていく。


自分はこれまで、日本の外国人政策(入管制度や技能実習制度)の排外主義的な部分が嫌で、人権的な観点から考えても「在日外国人に対してもっと寛容に」という気持ちが強かった。
しかし、この本を読んで、実際に、今後、外国人居住者が増えていく中で、勤勉で善良ではない「色々なタイプ」を想像し、対策を取らなくてはならない、という風に考えを改めた。「寛容」というより「不寛容」ベースの観点から考えても、日本は「移民焼き畑国家」を脱する必要があり、やはり外国人労働制度や学生・児童への教育(ある程度「同化」(多文化とは反対だが)を求める必要もあるだろう)が必要となるだろう。
そのあたりも意識しながら、改めて色々な本を読んで勉強していきたいと思う。
特に技能実習制度については、新しい制度である特定技能制度も含めて改めて勉強したい。