Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ノルウェーの団地×少年少女×超能力~エスキル・フォクト監督『イノセンツ』

公開初日に観に行った!
大大大満足!
事前に予告編等は見ていなかったが、『わたしは最悪。』の脚本を手掛けたエスキル・フォクト監督の作品であることに加え、団地×超能力×少年少女というキーワードで既にノックアウト。さらには、「ある日本漫画」にインスピレーションを得た作品と知り、絶対に観に行かなくてはいけない映画となった。


僕自身、小学校時代に団地に囲まれた公園で遊ぶことが多く、自転車でどこかに出かけるときも団地の中を通り抜ける必要があるなど、(引越しも一度経験しているが)常に生活圏に団地があった。その中で読んだ大友克洋童夢』は、ストーリー以前に団地描写だけで、自分の心に強く残る作品となった。
勿論、超能力描写について書かれることの多い作品でもあるが、『AKIRA』映画化のタイミングでコミックス『AKIRA』を読み、そこからの派生で『童夢』に飛んだので、自分にとっては、圧倒的に、「超能力」よりも「団地」が勝る。

したがって、その団地がどう描かれているのか。そもそもノルウェーの団地はどんな感じなのか、というのが映画を観る、一つの大きな動機になっていた。

実際に観た感想(以下ネタバレあり)

映画の冒頭では、車の後部座席に座った少女が映し出される。
始終、声が聴こえてくるが、彼女の声ではない。隣に彼女の姉?が座っている姉から発せられているようだ。
そして少女イーダは、遠いところを見ている姉アナの太ももをつねる。


思えば、この不思議な(全然、つかみはOK的な場面ではない)シーンに、既に「イノセント」とその裏返しの「暴力」が出ていた。
自閉症の姉アナには言葉が通じない、どころか、つねってもリアクションがない。そして彼女のために、自分が享受できる自由を失っていると少女イーダは感じているようだ。その捌け口として「暴力」。イーダはミミズを踏みつぶし、姉アナのサンダルにガラスの破片を入れる。

「言い負かす」という言葉があるが、年長者に言葉で言い負かされてばかりの子ども達が、親から秘密の場所で、言葉以外の「力」を獲得し魅了されていく、というのはわかりやすい。アナは、言葉が出にくい分だけ、「力」が強く、その象徴のようなキャラクターだ。


主要キャラクターは、この姉妹2人以外に、ベンとアイシャ。

アイシャはキャラクターの中で最も信頼に足る少女。彼女も元々「力」を自覚しているが、それを使って相手を「負かす」ことに興味を持たず、大人びている。
2人暮らしの母親には甘え、アナが困っていると助けてくれる(言葉が出ないときに遠いところからテレパシーで発話を手伝ってくれる)優しい人物で、(イーダが信頼できないため)アイシャをずっと応援していた。


イーダは主人公の立ち位置だが、「力」を持っていない*1ので、事態を眺めることしかできない。
無邪気な子ども、という意味でも共感しやすい人物ではあるのだが、彼女もまた「暴力」に魅了されてしまっている人物なので、映画を観ながらも、まさに彼女の動きを監視する親の視点が入ってしまう。


上に書いた通り、アナは自閉症で言葉が出ない。

アイシャとの(心の中での)「会話」を通して、また、アイシャの助けによって、言葉が出るようになる。しかし、物語の後半で、彼女が「普通に会話」をするようなことはなく、時折、水面から顔を出したかように言葉を発したと思えば、しばらく湖中に深く潜り込んだまま、という状況が続く。
結局、一緒に住む人でもその心の内はわからないし、言葉が万能ということもない、子どもの心の中には表面からは見えない氷山の下の部分がたくさんあるということを示したかったのだろうか。
観客は、最後の望みを彼女に託すことになるが、彼女もベンとは別の意味で、1秒先の行動を予測できない人物であるところが大きな作品の魅力になっている。


そして、そのベン。
彼はイーダと最初に出会って「力」を披露するシーンから少し怪しかったが、決定的なのは猫「ヤバ」のシーン。彼が「ヤバ、ヤバ」と猫に呼び掛けるシーンが耳に残る。
直後のベンの行動はとにかく酷いので書かない。(ただし、イーダも片棒を担いでいる)

ただ、このシーンがあったので、突如暴力的な行動をしでかす人物であるとしてベンを警戒するようになった。作品としても、突然「辛い」場面が登場するタイプの映画なのだと認識し、このあと常に、1秒後に最悪のシーンが来ると怯えながら映画を観ることになった。
物語が進むと、ベンが童夢でいう「チョウさん」、つまり物語の「敵役」であることが分かって来るのだが、彼が「力」を強化していく過程が怖い。そして、「力」を発揮するときに、白目になるベンの表情が怖い。

  • キッチンで、最初は、実験的に、お湯を沸かした鍋を動かしていたのかと思いきや、突然、母親を殺害。ベンの涙は後悔というより純粋(イノセント)ゆえなのか。
  • 自分を馬鹿にした中高生1を、離れた場所から骨折させる
  • 自分を馬鹿にした中高生2を、団地内の別の人物の意識を乗っ取って殺害
  • そしてアイシャを…。

映画を観ていてとび上がってしまったシーンが2つあり、一つは、アイシャが母親から刺されてしまうシーン。もう一つは、ベンに意識を乗っ取られたイーダが、手元の大蛇に驚くシーン。
これらが次々と登場する終盤はあっという間で、イーダがベンを殺そうとして失敗してからの流れは、まさにサスペンス。絶対に勝てない相手に手を出してしまったのだから。


そしてクライマックス。
ここまで行くと話は『童夢』的な収束に向かい、もう「1秒先がわからない映画」ではないのだが、ここに来て「団地」が効果を発揮しだす。
公園の池をまたいだ2人の対決、そして、家を飛び出してアナに協力する(「力」に目覚めた)イーダ、さらに、団地の窓から顔を出して協力するたくさんの少年少女たち。
まさに団地環境が立体的な方向からアナに力を貸し、ベンを無力化させる。
最高の団地映画じゃないですか!

まとめ

全体を通して、親の手を借りずに、しかも知恵や言葉を駆使するのではなく、単純に「力」で「本能」で子どもが解決する、という映画になっていた。
つまり、イノセンツ(純真無垢)というタイトル通り、論理(や倫理)による展開ではない方法(力)ですべてを解決する話であり、罪を犯した者が罰せられる完全懲悪の話とは少し違うところが興味深い。
イーダが歩道橋からベンを落とすシーンがその象徴。彼女はこれからも「意地悪をしてくる子」への対処として、暴力に頼ることになるかもしれない。それも含めてイノセンツを描いた映画なのだと理解した。
このあたりは、同様に友だちと思っていた相手に命を狙われることになる『ミーガン』の終わらせ方に不満を感じていたのとは対照的だ。
これまで観た映画で印象が近いのは『ボーダー』だが、どちらも「ホラー」ではなく、「一秒先に何が起きるのか分からない作品」という部分が共通している。ただ、そのキーワードでは同じ括りの作品になる『君たちはどう生きるか』が自分に合わなかったのは、扱う世界や設定が多過ぎたからだと思う。その意味で、『君どう』は上級者向けなので、もう少し修行を積んでからトライしたい作品だ。


なお、ノルウェーの団地は、『童夢』で描かれた日本の団地のように、「均一」「多数」「連続」というイメージは無かったが、建物から見下ろす公園のイメージは日本と同じ。また、すぐ近くの裏山に森が生い茂る感じも、場所によっては日本と変わらない。それよりも母親から「もう夕飯だから帰る」と言われる時間が夕焼けとセットでないことへの違和感が大きかった。(白夜の国だから夏休みは夜が少ない)
それにしてもヤバ…。(また思い出してしまった)

次に見る

やっぱり『童夢』を読み返したいけど、今は手元にないので、昨年出た全集仕様のものを買うしかないか。


映画で超能力×少年といえば、この映画なのでしょうか。


韓国映画の『WITCH』は痛快アクションで楽しかったので、先日公開された続編も観たい。

*1:人によって力の発現の仕方が違う、というのは、最近読み始めた『僕の地球を守って』を思い起こさせた