Yondaful Days!

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三浦透子の横顔が印象に残る~玉田真也監督『そばかす』

前向きになれる映画だった。
事前情報としては、主人公がアセクシュアルであるということ以外は、アトロクの年末映画特集(放課後ポッドキャスト)で名前が挙がったことくらいしか知らず、その意味では色んな映画に出ずっぱり*1三浦透子を見るのが一番の目的だった。

三浦透子

『ドライブ・マイ・カー』を見てないこともあり、自分にとって 三浦透子はドラマ『エルピス』に出ていた人。ただ、存在感が大きい人であるということは感じていた。
実際、この映画も、煙草をくわえる彼女のポスターのビジュアルにはずっと惹きつけられるものがあった。企画・原作・脚本のアサダアツシさんが、パンフレットで彼女について次のように書いているのも納得だ。

佇まいで語れる方なので、セリフがなくても佳純の思いが伝わるだろうと思いました。ポスターでも使われていますが、無言でタバコを吸っているだけであれだけいろんな思いが伝わってくるのがすごいです。


ということで、まず三浦透子が演じる佳純(蘇畑佳純)*2の印象について書くと、とにかく横顔の多い映画だと感じた。
お見合いのシーンも向き合った横顔だったが、海辺でたばこを吸うシーンなど、一人で考え事をするシーンが多いことが一番の理由かもしれない。蘇畑さんは、観客に問いかけない。どうせ分からないだろう、と諦めているようにも見える。そう考えると、走る彼女を正面から撮るラストシーンは、横顔とは対照的で、まさに「前向き」なのかもしれない。
これについては、パンフレットで玉田真也監督インタビューを読み「基本的にワンシーン・ワンカットのアプローチ」で撮っている映画だということがわかった。確かに、カットが少ないと、必然的に正面からの映像が少なくなるというのはあるのだろう。

佳純のセクシュアリティの描き方

『ケイコ 目を澄ませて』が、障害について強く感じさせない映画だったのと同様に、この映画も、セクシュアリティについては、「考えさせる」映画というよりは「時々思い出す」タイプの映画。代わりに強く感じたのは「居心地のいい/居心地の悪い」という感覚だ。
ちょっとした会話だが、一番良かったのは、保育園の職場を紹介してくれた同級生の八代が、「オレ、ゲイなんだよね」と突然言い出すシーン。東京に出て教師をしていた彼は、職場で居心地の悪い思いをしていたらしい。「蘇畑には気にせずに話せる」という彼の表情は、見ていてこちらまでホッとするようなものだった。(ただ、一方で彼は「恋愛は生きている以上避けられない」という言い方をしたため、佳純は彼に対しても最初はカミングアウトできなかった)
ラーメン屋でチャーシューをおまけされたり(その後、彼とはお見合いで意気投合するが)、静岡に戻ってきた真帆(前田敦子)に、会ってすぐにキャンプに誘われる場面からもわかるが、佳純には、周囲の人間を安心させる力がある。


職場でも合コンに誘いやすい相手ということになるが、合コンの場面は、彼女の「居心地の悪さ」がよく表れている。そして、それが最大になるのは、ラーメン屋に勤める木暮君との千葉旅行の夜、彼に迫られるシーン。
ここは、彼に同情する。彼としては慎重に(脳内)審議を重ねた上でOKを出したのだろう、ということもよくわかる。ただ、彼には「相手の言うことを受けとめる」ための知識や経験が欠けていたということなのかもしれない。


だから、真帆への信頼が特別なのは、何よりもカミングアウトに対して「へーそうなんだ」と特に細かく説明することなく受け入れてくれたことが大きいのだろう。その後、真帆の行動力に応援され、影響され、佳純は、シンデレラのデジタル紙芝居から同居計画まで積極的に行動できるようになる。このあたりは見ていて楽しかった部分だ。


一方、最も生活をともにしている家族には、理解されない(しつこく結婚について言われる)/レズビアンと誤解される等の描写を見るにつけ、「なかなか信じてもらえない」というアセクシュアルの人を悩ませる「あるある」がよくわかった。
一方で、「こういうタイプの人たちはこういう悩み」と知った気になって類型化する理解にも問題がある。そのあたりに対する監督の繊細な感覚が、この映画が優しく感じられる要因なのかな、とパンフレットを読んで改めて思った。

社会としては、問題とされるものを可視化して、理解して、偏見をなくしていくことは重要ではあるけれど、人と人との付き合いという視点で考えると、理解するというよりも、一緒にいる空気が居心地がいいと思えればいいんじゃないかなと思うんです。例えば、この映画みたいにお父さんがうつ病で苦しんでいるとして、症状について学んで、「こういう言葉は使わないようにしよう」とか「理解をしよう」と意識することは、一般的な対処法としてあるとは思いますが、他の人の頭の中が本当にどうなっているかなんて、家族であってもわからないですから。ご飯を食べたり、遊びに行ったり、別に何にもしなくてもいいけど、気負わずにいれることのほうが、生活に根差していてより建設的というか、気楽でいいんじゃないかなと改めて思いましたね。


なお、映画内では、佳純の口から「アセクシュアル」という言葉は使われない。パンフレットのインタビューや寄稿を読むと、三浦透子は「アセクシュアル」、玉田監督と脚本のアサダアツシさんは「アロマンティック・アセクシュアル」、映画執筆家の児玉美月さんは「AロマンティックやAセクシュアル」、映画ライターの細谷美香さんは「アロマンティック・アセクシュアル」と表記が揺れる。
自分は、パンフレットを読むまで「アセクシュアル」という言葉は知っていたし、映画を観て、「こういう人」だと理解した気がしたが、「アロマンティック」は言葉自体知らなかった。
調べてみると、NHKドラマ『恋せぬふたり』(見たいなあと思っていたのに未見)に絡めてのNHKの記事が出てくる。

www3.nhk.or.jp

端的な説明は以下の通りで、アロマンティックとアセクシュアルは異なる内容。

  • “他者に恋愛感情を抱かない“(アロマンティック)
  • “性的に他者に惹かれない”(アセクシュアル

これは言葉としては理解できる。
しかし、「他者に恋愛感情はあるが、性的に惹かれない」というタイプの人が存在することは、自分にとって感覚的には理解が難しく、かなり衝撃的な区分で驚いた。今回、特に突っ込まないが、これも色々と知りたい。『恋せぬふたり』は見ておくべきだった…。

そのほか

そのほか、メモ的に書き残しておきたい内容は以下。

  • 映画の中では、佳純が何度も『宇宙戦争』のトム・クルーズの話をするので、見ておかないとな、という気になった。
  • 俳優陣では、真帆を演じた前田敦子が良かった。元AV女優という設定だけど、気負うことなく自然体で生き生きとして見えた。あとは最後に出てくる北村匠海は、佳純に安心感を与える重要な役回りだけど、それを体現する信頼感+後輩感が良かった。
  • 映画を見た新宿武蔵野館では、予告編が始まる前に、三浦透子自身が歌う主題歌『風になれ』が繰り返し流れていて、これは自分の好きなタイプの曲!…だけど、これはどこかで聴いたことがある曲…と思っていた。作詞・作曲が羊文学の塩塚モエカと知り、アニメ平家物語の主題歌『光るとき』にそっくりだと気がついた。同じ人が作っているからとはいえ、第一印象的にはかなり似ているのでは…。(しっかりとは未検証だが、歌詞の内容含めて)

なお、『そばかす』は、メーテレが企画している「(not)HEROINE movies」というプロジェクトの第三弾だという。
今後も、少し気にしてみてみたいプロジェクトだし、第一弾作品『わたし達はおとな』、第二弾『よだかの片思い』も見てみたい。
notheroinemovies.com

*1:漢字で書くと「出突っ張り」なので、「でづっぱり」が正しい気もするが、一般的には「でずっぱり」表記のようだ。「地面」を「じめん」と表記するのと同じという理解。

*2:そばたかすみなので「そばかす」だが、作中での呼称は「そばたさん」「かすみちゃん」。脚本ノアサダアツシさんがパンフレットのインタビューで「佳純という名前は、主人公はこんな雰囲気の人だろうとイメージしていた、某アスリートから取っています」と書いているが、石川佳純