Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

スガシカオの方程式(10)〜バナナの国の戦争と平和

1歳になった夏ちゃんがバナナ好き。しかし、ここ最近はバナナが品切れで困っている。奥さんによれば、残っていても高いものしか無いそうで、買えない。聞けば、バナナダイエットなるものが流行っているかららしい。
ブームに対して、あれこれ言うつもりはないが、「被害者」としては、やっぱり、あれだけ納豆のときに(以下略)という気持ちになってしまう。
自分の知らないところで起きているブームだからという僻みもあるのかもしれませんが・・・。

FUNKAHOLiC(初回生産限定盤)(DVD付)

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というわけで、今回俎上に上げるのは、スガシカオの傑作アルバム『FUNKAHOLiC』のオープニング曲「バナナの国の黄色い戦争」。
Amazon評でもあったが、Tower Of Powerなんかを彷彿とさせるという意味で、(FUNKAHOLiCというアルバムタイトル通り)これぞファンクというダメ押し曲。ライヴでは相当盛り上がること間違いなしで、、聴いていると心は既にライヴ会場に行ってしまう。ところが、(繰り返すが)タイトルが「バナナの国の黄色い戦争」という、意味不明度の高いもの。歌詞もパッと聴いた感じではすぐに飲み込めない内容だが、その意味するところを探るべく突っ走ってみる。

バナナといえば・・・

まず、バナナにはどんなイメージがあるか。
子どもの歌では、タイトルそのままの「とんでったバナナ」「バナナの親子」のほか「ぞうさん」や「さっちゃん」など昔からの童謡にも登場しており、バナナには親しみやすいイメージがある。
謡曲でいえば、うしろ指さされ組の『バナナの涙』なんていうのもあり、あれも全然意味不明な歌詞だった。が、どう考えても、バナナが持つ「エロ」のイメージを前提に、アイドルに際どい歌詞を歌わせようという意図があったのだろう。*1
つまり、バナナには、「親しみやすい」+「エロ」という、相反するものが混在したイメージがある*2ので、「子ども」と「大人」の中間に位置する中学生男子的な感性を刺激する。
そういう中学生男子的な期待にストレートに応える歌詞を入れ込んでしまうのが、スガシカオの凄いところ。

あいつのバナナ黒いって さっきも自慢してたけど
あいつのバナナかぶってて どーせグニャグニャだって

こんな歌詞をかっこよく歌えるのは梅宮辰夫*3スガシカオくらいじゃないか。


ただし、そういう意図は、いわば「つかみ」の部分であって、実際には、自身は、日本においてKING OF FUNKといわれるようになったが、所詮、日本人のFUNKでしょ、という自虐的な意味を込めて、日本人の蔑称でもあるバナナ*4を使っているのではないかと想像する。

バナナの国の戦争とは・・・

それでは、バナナの国の戦争とは何か?
歌詞の中では、歯磨き粉の味としてバナナが登場する*5のだが、「毎朝 起きては磨いて 毎晩 ユメはイエロー」と歌われるように、これは、日常生活の象徴でもあるのだろう。
そう考えると次のような歌詞も比較的解釈しやすい。

誰かがウソをついたのが バナナの国の戦争
そいつはとっくに死んじまって 今でもしてる戦争

誰かがウソをついて起きる戦争というのは、個人の心の中での怒りや屈辱感のことだと思う。相手が目の前からいなくなったとしても、その火はなかなか消えない。
これは、「ドキドキしちゃう」から変わらないスガシカオの歌詞の核の部分だ。ドラマのような出来事ではなく、何でもない日常のふとした一言が心に刺さり、インクの染みのように広がっていく。そういう細かい心の動きを切り捨てない感性が、スガシカオの歌詞の一番好きな部分だ。

ぼくらが確かに 今いい大人になったからって
全ての事を 許したとでも思っているのかい
あの時のイタミ あの言葉の意味
今でも ドキドキしちゃう
(3rdシングル「ドキドキしちゃう」(1997))

そういう意味では、「バナナの国の黄色い戦争」は、自信作の一曲目にふさわしい「シカオワールドにようこそ!」というような意味も含んでいるのではないだろうか。

バナナの国の平和な世界

それでは、スガシカオが心に描く「平和」はどのようなものだろうか?
先行シングルのカップリング曲「楽園」が、まさにそれをテーマにしている。

世界中の人が全部 もし ぼくだったら
世界中の神が全部 もし ぼくだったら
そんな素晴らしいことって ちょっとない気しない?
争いも差別も騙しあいもない世界
(略)
どこか南の島に ぼくみたいなイイ人だけを集めて
どこか南の島に “楽園”をつくってみたらどうかな?

この曲は、スガシカオが得意とする、「もしも」シリーズの作品だ。しかし、こんな妄想を進めていった結果、2番のサビでは、ちょっと違うことを言い出す。

遠い南の島に楽園を もしぼくがつくるとしたら
大嫌いなあいつとか連れて行ったほうがいいのかもね…

つまり、ふとした一言で始まる心の葛藤・怒り・失望などの負の感情=「バナナの国の戦争」は、人が生きるためのエネルギーであり、それがなければ世界は味気ない・退屈なものになる。いわば必要悪の部分なのだ。
だから、オープニング曲としての「バナナの国の黄色い戦争」も、よーし、いっちょやったるで!的な気合いの入ったものになる。僕らはそれと向き合って生きていかなくてはならないのだ。

誤解

と、一連の内容を考え終えてから、改めてオフィシャルを見ると・・・。

曲は去年のツアー中くらいにラフアレンジ程度のデモで作っておいたのですが、その年(2007年)の12月、突然歌詞が閃いて瞬間的に歌詞を書いて出来上がりました。歌詞を書く数ヶ月前に、パレスチナ問題やら911テロや第二次大戦の特集番組を沢山見ていたからなのか、戦争へとつながっていく人間の愚かさみたいなものと、バナナ味の歯磨き粉とが頭の中でつながってしまったようです。

実際の戦争もイメージしている作品だとは全く気付かなかった。
というか、今回、このエントリを書くために歌詞カードを読むまで、2番のサビを勘違いしていた。

  • 誰かが神を笑ったのが バナナの国の戦争(正)
  • 誰かが髪を洗ったのが バナナの国の戦争(誤)

後者だと、相当難解な歌詞になるのだが、8曲目「潔癖」で、付きあっている相手の一挙手一投足を全て否定するような歌詞があるので、髪の洗い方にも好みがあるのか(笑)と強引に理解していたのだった。
もしかして、わざと、こういう聞き違いが生じるような歌詞にしたのかも?(自分だけ?)

シリーズ全体の目次

こちらを参照のこと。

*1:よく考えてみると、おにゃん子クラブは、グループ名とデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」に顕著だが、エロ要素が、タイトルや歌詞に散りばめられている曲が多いことに今さらながら気づく。

*2:ちょっとひねったところでいうと、イニシャルトークが懐かしい「もぎたてバナナ大使」は・・・山田邦子アゴのかたちから来ていたんだと思った。

*3:梅宮辰夫の「シンボルロック」はこちら→http://jp.youtube.com/watch?v=wfQx8uOhRUo

*4:外は黄色(黄色人種)だが中身は白(白人)であるという意味

*5:なお、ようたの歯磨き粉はぶどう味。バナナ味の歯磨き粉があるかどうかは確認していない