Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

オリジナル・ラヴ「好運なツアー」個人的まとめ(5)〜final

「好運なツアー」のまとめも今回で最後。
8月も終わり、世の中ではAKB48*1旋風が吹き荒れる中、hiroharuさんが「パクられてないか?」との指摘をされていました。皆さん、どうでしょうか?自分には『ヘビーローテーション』の大島優子(真ん中の人:自分の中では未だ顔を憶えられない人)は、若き日の田島貴男にしか見えなくなってきています。
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さて、これからが本題。
前回は、ライヴで最も感動した二曲のうちの一曲目「心」について取り上げたので、二曲目です。
以降は、これまでの「ですます調」を改め、元に戻しました。(何となく)

つっかえ棒のMC

自分が感動した二つ目の曲は「夜の宙返り」。
そもそも、この曲は、渋谷AXでは「特等席」に置かれた曲だった。田島貴男が、演奏前に、過去の日記を引用した長いMCで、自ら“特別な歌”であることを述べたのだ。

たまに若い人の歌の中に、
「揺るぎない気持ちを手に入れたい」
というような表現をみつける。

気持ちが安定している時は、
心のつっかえ棒がうまく働いて、
まるでもとから安定しているかのように思えるものだが、
なにかのひょうしにそのつっかえ棒が外れたら、
心は途端にグラグラしてしまう。
そういうことは、
つっかえ棒が外れた経験を持つ大人なら、
誰でも知っている。
なんのつっかえ棒もないのに、
少しも揺るがない気持ちなどなくて、
心はいつだってグラグラ揺れ動く契機に満ちている。
人はいつのまにか心が揺るがないように、
つっかえ棒を一本、二本、三本と立てているのだ。
例えば家族っていうつっかえ棒とか、
バイクっていうつっかえ棒とか、
仕事っていうつっかえ棒とか、
願望っていうつっかえ棒とか、
経験というつっかえ棒とか、
知識っていうつっかえ棒とか、
お金っていうつっかえ棒とか、
恋愛っていうつっかえ棒とか、
憎しみっていうつっかえ棒とか、
神様っていうつっかえ棒とか、
野球っていうつっかえ棒とか、
ボクシングっていうつっかえ棒とか…。

でも多分なんだけど、
歌っていうのは、
そのつっかえ棒が外れたところにあるものなんじゃないか。
音楽をやる人、歌をうたう人は、
そういった危なっかしいところを歩いているんじゃないかって気が、
どこかしているんだよな。
歌っていうのは、
いつもどこかに矛盾を抱えて、
あるいは矛盾を飛び越えて、
在るものなんじゃないかって気がしてるんだよな。

そして、そういう「つっかえ棒が外れたところ」で出来た数少ない曲として「夜の宙返り」を紹介した。まるで、田島貴男にとって、現在、一番気に入っている曲というように・・・。
だから、当然のように、ファンの中には、自分と同様、ライヴ演奏曲のfavoriteに、この曲を挙げる人が多かったように思う。
また、それと同時に、この曲の持つ意味合いと「心」との共通点から、ある連想に至る人も多かったようで、ライヴ後に意気投合したはっぴいさんとも、その部分で意見が一致したのだった。が、それについては、もう少し後で述べる。

名曲を生んだ卵

8月末の葉山・池上本門寺の弾き語りライヴでも、アルバムの流れと同様に続けて演奏されたように、「夜の宙返り」はアルバム『街男 街女』のラストを飾る名曲「鍵、イリュージョン」とセットの曲であるように思う。もっと言えば、「夜の宙返り」という卵があったからこそ、「鍵、イリュージョン」の世界が拡がったのではないか。
実際、歌詞世界も地続きのようだ。例えば、

大切にしなければいけないものはなに
無くしちゃいけない気持ちはなに
(夜の宙返り)

に呼応するように、

誰にも渡しちゃいけないものが君の中にもあるんじゃないか
(鍵、イリュージョン)

が出てくる。
さらに「眠る」「眠れない」(夜の宙返り)→「寝覚め」(鍵、イリュージョン)というのは、連続して登場するかたちになるので、聴く方も無意識のうちに二曲を結び付けているのかもしれない。


一方で、「夜の宙返り」では、「光る」「灯り」などのキーワードが繰り返されるが、「鍵、イリュージョン」では「消える」「透明」などのキーワードが繰り返されるなど、対照的な部分もある。
「つっかえ棒」に戻るが、「鍵、イリュージョン」は、田島貴男の強いメッセージソングでもあり、自分を鼓舞する人間宣言でもある。故に、田島貴男自身が背負ったもの、例えば音楽のキャリアが長いこととか、子を持つ親であることとか、また恋愛だとかいう「つっかえ棒」に満ちた曲である。したがって、多くの人を感動させる「鍵、イリュージョン」の歌詞は、いわば自らが日記の文章で否定してみせた「揺るぎない気持ち」的な部分を持ち、「夜の宙返り」とは、曲の生まれ方が全く異なる。
岡本太郎の名前を出してその作品名を冠した「明日の神話」も同様に「つっかえ棒」に満ちた曲である。意識的に言葉を選び推敲を重ねて生まれたメッセージ性の強い歌詞を持つ「鍵、イリュージョン」「明日の神話」を、今回のツアーで演奏しなかったのは、「自分を変える」ことより「日々を生きる」ことが主題の「好運なツアー」を盛り上げる曲としては、相応しくない(仰々しい)という判断が働いたのではないかと思う。
つまり、不意に言葉が溢れ出て「好運にも」出来てしまった名曲こそが、ツアーの「特等席」に相応しいと感じていたのではないか。ライヴでの自分の感動を振り返ると、その選択は間違えていなかったし、ツアー全体の意味付けをさらに明確にしたように思う。

子どもがいてもいなくても

「夜の宙返り」で多くの人の耳に残るのは

君と離ればなれ ずっと会えないから
じっとしているのさ 遠い街(海)で

とサビで繰り返されたあとでブリッジ部で歌われる

ごめんね そばにいられなくなっちゃって

の部分であろう。まさにこの部分こそが、「つっかえ棒」無しに歌われた田島貴男の本心の部分なんだろうと感じられるからだ。
この部分の解釈について、敢えて自らが曲を聴いて感じていることをそのまま言葉にすれば「離婚したため、なかなか会うことが出来なくなった子ども」に向けて歌っている歌だといえる。そして、ファンであれば、そう捉えている人が多いようだ。当然、インタビュー記事などのオフィシャルな部分でこれについて直接的に触れている内容を見たことはないので実際どうなのかは知らない。
そこで思い出されるのが、14年前に息子の誕生を祝して作ったといわれる「心」だ。この二曲が演奏されたことから連想して、AXの二階席を見渡した人も多かったようだが、そこらへんも真相は知らない。


だがしかし、「夜の宙返り」は、そういう田島貴男のプライベートな部分に突っ込むことをせずとも、そして子どもがいるいないに関わらず、その世界に浸り共感することのできるパワーに満ちた曲なのだと思う。つまり、「夜の宙返り」の内容は非常に私的なことであっても、本心の部分が巧く表現できていることによって、多くの感動を得ることのできた、他と違った名曲なのではないか。「鍵、イリュージョン」が、もう少し最大公約数的な共感を呼ぶつくりとなっているのと比較すると、ここも対照的で、両方でバランスを取っているように思う。
なお「鍵、イリュージョン」では

子供達がおとなになった時に
好きになれる人がいるといいね

と歌われるが、僕らが次の世代に何かを伝える義務があり、何かを頼る必要があるのは、子どもの有無に関係ない。
そこらへんのことが、押しつけがましくなく、サラリと歌われているのが「夜の宙返り」〜「鍵、イリュージョン」なんだと思う。
『東京 飛行』は、良いアルバムだが、この2曲の流れに勝てる部分は無かった。

バランス感覚と新作への願い

ただ、最近のイベント等の選曲を見ていて思うのは、バランスがいいということ。田島貴男内ブームによる偏りが少なく、ファンの要望も分かった上で、田島自身が演奏したい曲もできていると思う。例えば、「好運なツアー」以降のフェス等では、「鍵、イリュージョン」も繰り返しやっているし、サプライズ的に過去の名曲も演奏している。抜粋するとこんな感じ。

  • メッセージソング:「鍵、イリュージョン」
  • 「つっかえ棒」のとれた曲:「夜の宙返り」
  • 田島貴男内ブーム?:加山雄三「海その愛」
  • 名作サプライズ(ファン要望):「サンシャインロマンス」
  • 怪作サプライズ:「女を探せ」

常に壊れたダンプカーのように激走を続けたオリジナル・ラヴ“らしからぬ”バランス感覚は、近年、かなり高いレベルがキープされているので、この感覚を忘れないまま新作リリースに向けて突っ走ってほしい。
新曲のストックも沢山あるので、セルフカバーも入れた2枚組で、ライヴ音源をボーナストラックとして入れる感じでお願いします。

オリジナル・ラヴ「好運なツアー」個人的まとめ これまでの目次

*1:夫婦間では板野友美が一番かわいいということになっていましたが、最近、篠田麻里子という人も覚えました。