Yondaful Days!

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誤って伝わるメッセージ〜手塚治虫『ブッダ』(4)

ブッダ 4 (潮漫画文庫)

ブッダ 4 (潮漫画文庫)

ブッダはカピラヴァストウを出て修行を始め、デーパやアッサジと出会うが、4巻で最もスポットライトが当たるのは、ダイバダッタ*1


国王になった勇士バンダカ(すぐにコーサラ軍に討たれてしまう)と、シャカ族の貴族の女性との間に出来たのがダイバダッタ。ダイバダッタは、父親の不人気もあり、苛められて育つが、ある日、同い年の子ども4人を殺してしまう。それをきっかけに人の手を離れ、狼に育てられるも、狼の家族とも死に別れ、出会ったのがナラダッタだった。
後の巻を読んでから読み返すと、ナラダッタの考えていることは、ブッダブラフマンより受けた教えに近い。

生きものは 生まれてから死ぬまで 自分ひとりだけの世界で生きているのではない
ほかの生きものと どうしてもつきあっていかなければ生きていけないのだ
生まれてから死ぬまでずうっとじゃ
花でも木でも虫でも魚でも みんなそれぞれどこかで結ばれ合って生きておる……
この「縁」は世界がつづくかぎり切れないのだ
P192

そういった教えを受けながらも、ダイバダッタの人生に最も強い影響を与えたメッセージは、以下の弱肉強食の教えだった。

強いものが勝ち よわいものが滅びる
それがしきたりだ
どんな生きものでも人間でも同じなのだ……

ナラダッタは、「縁」のあり方の一つとして、弱肉強食を説明したのだろうが、ダイバダッタは分かりやすいものだけを理解してしまった。
同じことは、デーパにも言える。

からだを苦しめれば それだけ心が清らかになるんだ
欲がはなれるからね(略)
私の見た最大の苦行は…自分を人間からけだものに落とすことだった
私の師匠のナラダッタというかたで
いつもよつんばいで歩き ものもいわず
目はふたつともつぶれ 汚水や虫やウジまでたべたんだ
こんなはげしい苦行がほかにあるだろうか?(略)
きみ!苦行そのものより それをやりとげる勇気が必要なのだっ
(p92)

デーパは、苦行の意味について説明するも、シッダルタを納得させることはできない。
そもそも、ナラダッタの苦行は、真理への追究というよりは自分に罰を与える目的の方が強かっただろう。また、デーパの世界の捉え方は、ナラダッタやブッダのように、自分以外の人間や生きもの、そして無生物も含めた世界を前提としておらず、完全に個人に閉じている。このあとデーパとブッダとの意見が合わなくなる部分だ。
したがって、ナラダッタは、シッダルタに深く関わるデーパとダイバダッタ二人に対して誤ったかたちで影響を与えたことになる。ナラダッタは仏典には存在しない架空の登場人物で、山に籠り切りで生涯を終えたという点で、死の間際まで人間に直接教えを説くことを続けたブッダとは対極に位置する。したがって、悟りの境地に至ったブッダが、その後、人との出会いを避けたなら、という、もう一人のブッダという位置づけで、手塚治虫が配置したのではないかと思う。二人の対比からは、どんなに真理に近付き、それを言葉で示しても、メッセージはいくらでも誤って伝わるということが分かる。だからブッダは旅を続けたのだろう。

*1:ダイバダッタに関連して、このようなYahoo知恵袋のやりとりがw…http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1118704176