Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

暗黒時代からの復活の芽〜手塚治虫『ダスト8』

ダスト8 (手塚治虫文庫全集)

ダスト8 (手塚治虫文庫全集)

わかりにくい作品、というのが第一印象で、ポイントを絞って読み返してもその気持ちは変わらない。
Wikipediaを引用すると、あらすじは以下の通り。

福岡行きの旅客機が見知らぬ島に墜落した。ほとんどの乗客が命を落とす中、10人だけは生き延びるが、それは旅客機が墜落する直前に「生命の山」に接触し、その破片の力で再び命を得たためであった。島を支配する黒い影(名前は設定されていない)は、その内の2人から石を取り返し、「生命の山」を護る「キキモラ」たちに残りの石を回収するよう命令する。2匹のキキモラは、石を手放した2人の体に入り込んで、元の生活に戻っていった残り8人の生存者の追跡を開始する。8人は自分たちが石の力で命を得ていることに直感的に気づき、ある者は石を守ろうとし、またある者は残された時間の中で生命を全うしようとする。

1972年に少年サンデーで連載されていた『ダスト8』(原型は『ダスト18』)は、ここで書かれるように、『火の鳥』と同じ「生命」というテーマを扱った作品ということになる。しかし、同時期に書かれた『火の鳥 乱世編』(1972)や『火の鳥 望郷編』(1971)と比べても、テーマを上手く消化できていない物語と感じられる。もちろん、長編と一話完結タイプでは種類が異なるが、1973年から連載開始となる『ブラックジャック』では、生命というテーマは非常にうまく作品に昇華させているので、テーマや手塚治虫の能力が短編向きではないということは当たらない。
それでは、何故、わかりにくい作品となってしまったのか。(実際、少年サンデーでの連載は低人気で打ち切りとなったようだ)
少し考えてみると、偶然与えられた不死の能力を、神が人間から奪い返すという、『火の鳥』と逆の設定は、『火の鳥』で繰り返し描かれたような「生への執着」を描くのには不向きだったといえるのではないか。
つまり、絶体絶命の大事故から「生命の石」によって生き長らえたと感じている生存者たちは、既に、生きる意味について一通り考えて達観している。彼らに対する「石を返してください。石がなくなると死にますが…」という死亡予告は、これまで死について考えたことがない人に対するそれと全く意味が異なり、そこに「生への執着」は生まれにくい。
「全国民から1000分の1の確率で選ばれた者が予告を受けてから24時間以内に死んでしまう」という間瀬元朗イキガミ*1が面白かったのは、死についての具体的なイメージを持たない者が、ある日突然、死亡予告を受け取るからである。SF設定が、限られた命、生への執着というテーマをさらに盛り上げる。
しかし、『ダスト8』は、SF設定こそがテーマを盛り下げてしまっている。カースタントショーのヒーローの話(ダストNo.4)については、オチまで含めてうまく出来ているとはいえ、Z国でスパイ容疑で死刑を宣告されたキムさんを助けようとするラジオパーソナリティの話(ダストNo.3)や、ミンダナオ島日本兵に育てられた現地人の話(ダストNo.6)は、設定がアダとなってよくわからない終わり方になってしまった。


なお、文庫版の二階堂黎人の解説でも触れられているように、『ダスト8』が連載された時代は手塚治虫史を語る中では欠かせない「暗黒時代」で、世の中では劇画が流行していた頃となる。web連載の「少年マガジンクロニクル」を読むと、当時の手塚治虫と劇画を巡る状況が分かる。

しかし、当時を知るベテラン編集者によると、「マガジン」「サンデー」が創刊された50年代末には、早くも「手塚のピークは過ぎていた」という。その後、皮肉にもみずから起こした「W3事件」がきっかけで、梶原一騎や劇画家たちが次々と少年マンガに進出。スポーツマンガや青年向けの劇画が主流となり、手塚は時代遅れな「過去の巨匠」になっていく。70年代に入ると、メジャーな少年週刊誌からほとんど声がかからなくなる。73(昭和48)年には虫プロも倒産――。まさに手塚治虫の暗黒時代であり、マンガ家人生最大の危機を迎えていた。


この記事の後半でも書かれているように、1973年から少年チャンピオンで連載が始まる『ブラックジャック』と、1974年から少年マガジンで連載が始まる『三つ目がとおる』で、手塚治虫は人気作家としてのカムバックを果たす。『ダスト8』は、生命とオカルトそのどちらの要素も含まれるという意味で、そして作品発表時期を見ても、暗黒時代の中での復活の芽にあたる作品ということが言えるのかもしれない。

*1:2000年代の漫画作品。映画化もされている