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もう外堀が埋まってしまっているのでは?〜新井紀子『ほんとうにいいの?デジタル教科書』

ほんとうにいいの? デジタル教科書 (岩波ブックレット)

ほんとうにいいの? デジタル教科書 (岩波ブックレット)

先日、デジタル教育について、それを推進する立場から、かなり強い口調で訴える記事を見た。

10の質問それぞれについて、納得できるところもあり、そうでないところもある。頭の整理のために、デジタル教科書について批判的な立場から論点をまとめたブックレット『ほんとうにいいの?デジタル教科書』を読み直した。


そもそも、デジタル教育についての議論が盛んになったのは、民主党政権が発足して3ヶ月の2009年暮れに発表された「原口ビジョン」がきっかけのようだ。このときに掲げられた、デジタル機器とネットワークを用いた「フューチャースクール」推進事業については、事業仕分けの影響で2年間で幕を閉じたが、今でも実証実験は続いており、取組みが消えたわけではない。
このとき掲げられたデジタル教育について、この本では、デジタル教科書、そして電子ノートやゲーム教材、そしてネットワークの問題を挙げて以下のように批判している。

  • 与えられたハードウェアに学びの形を合わせなければならないリスクがある(11)
  • ハードウェアが「無償配布」の対象となるかどうかは曖昧で保護者負担が重くなる可能性がある(12)
  • モニター画面という物理的な制約があり、教科書と地図帳など複数教材を広げて眺めるような一覧性や俯瞰性が損なわれる(15)
  • デジタル教科書のメリットであるハイパーリンクは、リンクに会うたびにクリックするかしないかの選択を迫られるため、むしろ理解を妨げる(31)
  • マルチウィンドウは、主たるタスクへの心理的没入を阻害する。(そしてインターネット上のツール・アプリは、人々の集中力を途切れさせ、消費に関心が向くように作られていることが多い)(36)
  • 電子ペンによる入力は鉛筆で文字を書くような「摩擦」がなく、画面上に現れるまでにワンテンポ遅れることが脳の認識遅れにつながる(21)
  • コンピュータによる文字認識は不十分であるため、ログを取るメリットは、ほとんど生かすことができず、むしろ教師側の負担が増える(医療機関では増えるばかりの画像データに手を焼いている)(24)
  • 即時フィードバックによるプログラム学習を組み込んだゲーム教材は短期的には効果があるが、思考力・判断力・表現力・問題解決能力の向上とは無関係で、それに期待するのは限界がある(42)
  • E-raterやJESSなどのレポートの自動採点システムが示すように、コンピュータは、キーワードの有無はチェックできても文章の内容を理解することはできない(50)
  • 教材のクラウド化はダウンロードに時間がかかり過ぎて実用的ではない(64)
  • デジタル化が必要なのは高校であり、むしろフェイストゥフェイスが大事にされるべき小中学校が優先されている既定路線がおかしい(56)
  • これは、デジタル教科書の出発点が、全国津々浦々に光回線を行き渡らせる「光の道」を前提としているところに問題がある(54)
  • デジタル教科書教材協議会が、教育のデジタル化を経済成長の「起爆剤に」としているが、教育を経済成長の手段とするようでは筋違い(66)


その他、目や精神への負担、デジタルメディアに対するディスレクシアなどの新たな学習障害も可能性として挙げられている。上記の批判のほとんどに対して、冒頭の引用記事で中村伊知哉さんが反論しているが、その意見は中村さんが強調するほど正しいものとは思えず、それぞれに言い分があることを理解するだけに終わった。
なお、新井さんの批判の中で、最も自分が共感したのは、高校生・大学生の方が先ではないか、という部分。直感的に、小さい子どもほど対人間での教育が重要視されるべきと考えるからだ。


さて、数日後、この分野に積極的に取り組んでいるシンガポールの教育事情について、テレビで特集があった。

シンガポールで今、ITや先端技術を授業に大胆に取り入れる教育プロジェクトが進められています。 パソコンやスマートフォンはもちろん、先生の代わりを務める人工知能まで活用。 21世紀の情報化社会を生き抜く優れた人材の育成を目指しています。

番組で特に目を引いたのは人工知能の「ニュートン」。

1人1人の生徒の関心や疑問に応じて、まるでベテランの教師のように答えてくれます。
例えば、生徒が重力についての質問をすると、ニュートンは…。

ニュートン “机の上にある本にどんな力が働いていますか?”

と、逆に質問。
すぐに答えを示すのではなく、対話を通じて生徒が理解を深めていけるように工夫されています。

ここら辺りの技術は、siriなどでも知っているものではあるが、学校で使われた場合、ごくごく狭い部分で役立つだけで、実際には人工知能の穴をつく質問探しで盛り上がる方が影響として大きいのではないかと思う。つまり、それほど教育への効果はない。
また、番組後半で取り上げられていたように教師たちのITスキル向上の問題は大きいようで、その育成に相当力を入れているようだ。教える側の先生の能力の問題はほとんどないと言い切る中村伊知哉さんの主張は通らないように思う。


番組では、まさにその中村さんがゲストとしてコメントしていたが、デジタル教育のメリットとして、子どもが勉強を好きになる、興味を持つというインセンティブの部分を強調していたように感じた。この視点から振り返ってみる。


うちの子には、二人ともチャレンジをさせているのだが、ここ数年を見ても、チャレンジの付録が徐々にデジタル化が進んでいることが分かる。これは、ベネッセがコストの面と効果の面でメリットがあると判断しているのと同時に、教育業界の仮想的(?)である玩具業界の、デジタル化の波が激しいからではないかと思う。
ジュエルポッドや戦隊ヒーローは勿論、プリキュアもスマートホン・タブレット型の玩具となっており、子どもたちの興味を引くには、タッチパネルが必須のようになっている。実際、教え方がどうこう言う以前の問題として、これほど多くのデジタル機器に囲まれてしまうと、教育方法自体を考え直す必要があると思う。
←年長向けのひらがな練習マシン。
←小学校3年生向けの一日一チャレマシン。


ということで、改めて両方の意見を見てみると、慎重な議論が求められるとは言っても、子どもに興味を持たせるという点からすれば、教育のデジタル化は必然的な流れであると思う。先に挙げた通り、小学生は対人間での教育が重要視されるべきとは思いつつも、もはや、昔ながらの方法で教えるという選択肢はないのではないだろうか。
とすれば、やるかやらないかの議論ではなく、どういった教材がより効果的か、誰がデジタル教材の費用を負担するか、という部分あたりが優先順位の高い論点になるのではないかと今は思っている。


子どもがこれから小中高でどのような教育を受けるのかという非常に関心度の高い問題なので、今後も少し議論を見ていきたい。

参考(過去に読んだ新井紀子さんの著作感想)

⇒算数の本ではなく「体質改善」の本です。「数学という科目は、公平なコミュニケーションができる、冷静でハッピーな大人になるための訓練のひとつ」という名言と「ハッピーで責任のとれるおとなになること」という、この本が目標に掲げていることは凄いことです。

⇒「算数」から「数学」になった続編です。豚と女の子と博士のやり取りが、前作よりも濃度を増し、より読みやすくなっています。
どちらの本も面白いですが、新井紀子さんの著作で一番印象に残っているのは『コンピュータが仕事を奪う』でした。今、日記を遡って読んだら、もともとは日経新聞日曜版の「半歩遅れの読書術」で、数学エッセイストの小島寛之さんがオススメされていたのがきっかけですね。

参考(その他の外部リンク)

⇒理系・文系という区分だけでなく、論理女子・刹那男子という区分が面白いです。その他、リサーチマップやネットコモンズの話題も興味を持ちました。