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マラソンに限らず闘魂注入に最適の一冊〜岩本能史『違う自分になれ!〜ウルトラマラソンの方程式』

違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式

違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式

違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式

違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式

人はなぜ苦しい思いまでして走るのでしょう。
健康、ダイエット、爽快感のため、限界への挑戦……。人それぞれ理由があると思いますが、僕は変身欲だと思っています。
今の自分ではないもっと違う自分に変わりたいという欲求は、生きている限り誰にでもあると思うのです。走れば体も変わり、気持ちも変わる、思考も変わる。自分の潜在能力が顕在化する喜び。まさか自分がフルマラソンを完走できるなんて。マラソン経験のある人は、初めて完走したときの震えるような感動をいつまでも鮮明に覚えているものです。p2

まえがきでこう書かれる通り、岩本能史さんは、自分のマラソンに懸ける情熱の源がよく分かっている。とともに、それはマラソンの本質なのかもしれない。多くの人にとって、マラソンは趣味のひとつであり、健康維持のために続けることでありながら、指摘されてみると、確かに変身願望が奥底にはあると感じる。


この本の中では、中学生時代から遡り、「挫折」と「変身」を続けた半生が書かれており、読みながら自己啓発的なカタルシスを得ることができるのだが、何といっても本の魅力はその「挫折」部分にある。

  • 有頂天だった中学時代を経て、陸上名門校に入学して挫折した高1時代(5章)
  • 100キロマラソンに慣れて何とかなると思ってしまったスパルタスロン(246キロ)初チャレンジでのリタイア(2000年:7章、8章)
  • プロになると決めて38歳無職からのスポンサー探しでの屈辱(2004年:11章)
  • スパルタスロンにも慣れ、舐めてかかったバッドウォーター・ウルトラマラソン(最高気温50度という悪条件の中3つの山脈を横断する217キロの大会)での惨敗(2011年:2章、3章)


これらの中でも、特に、スパルタスロン初チャレンジの途中リタイアしたときの印象が強く、岩本さん自身も、2度目の挑戦前の気持ちを以下のように綴っている。

もちろん不安だらけです。なかでも僕が最も怖かったのは、突然「価値観」が変化してしまうことでした。<ここまできたなから、もういいや>と、自分が変わってしまうことです。リタイアバスに乗ってから後悔することはわかっているのに、弱い気持ちに支配される瞬間がやってくるのがいちばん怖い。p130


そんなときに自分を奮い立たせるものは何かといえば、実際には精神力によるところが大きいのだろうが、岩本さんは、簡単に「精神力」という言葉では済ませず、精神力というのは何なのか?を別の言葉で表そうとする。

最後は気力だとか心の強さだとか、よく耳にします。「それはいったいどういうことなのかと中野先生やスパルタスロンを完走したランナーたちと会話することがあります。
きっとそれは、自分の本当の応援者は自分しかいない、ということを知っているかどうかだという意見で一致します。自分が自分を見捨てたら、誰も自分の味方にはなってくれないことを知っているかどうか。
一度しかない人生で、自分は唯一無二の主人公のはずです、それなのに、自分が自分を見限ってどうする。それでは自分があまりにもかわいそうではないか。他人に傷つけられたり裏切られたりするぶんには仕方ないけれど、自分が自分を裏切って、あきらめて、投げ出して、辱めてどうする。それは最悪のことだと知っているから、強くありたいと思うのだ、と僕は思います。p172

24時間走のことを精神力の闘いという人がいますが、僕の場合はそうではありません。このペースをキープしようと決めたことを守って走ればいいのです。決めたことをトレースしていくだけです。もちろん、それに耐えられるだけの準備と覚悟は必要ですが。p151

自分を信じること、自分を律すること、自分を主人公と思って、自分の信念に付き合うこと。そのための努力をすることが最後に重要になってくるもののようだ。


この本の中でマラソンというスポーツについて語られるとき「トレース」という言葉が多く使われる。
偶然に左右されるゲーム性がなく、敵は全世界共通のモノサシである距離と時間だけ(p70)だから、それに対して自分の持つ資源を配分・マネジメントしていく、それをトレースと言っているのだ。

イメージトレーニングという言葉がありますが、それをもっと厳格化したものです。完全な計画図を描き、それを丹念にトレースしていくことがすべてです。p151

今回のレースのテーマは、グーグルアースのように、俯瞰から自分が今どこを走っているのかを眺めていこうというものでした。
結果、217キロを実に簡単に走ることができました。ぼくはただ、GPS内臓の腕時計が、衛星から送られてくる信号をキャッチして文字盤に映し出すペースやデータを信じて進んだだけでした。うまくいくときはだいたいそうで、あっけないほどすんなりいってしまうものです。p49(2011年のバッド・ウォーター再チャレンジのときの記述)

勿論マラソン以外のこと、日常の仕事でもトレースしていくことが重要な場面がたくさんあり、そのためには自分の実力を伸ばし、また正確に測ることが必要ということがよく分かる。これはドラッカーなどのビジネス書の定番の内容とも一致する。


この本のもう一つの魅力は、市民ランナーの指導。
岩本さんが、陸上競技から離れていたサラリーマン時代に最初にホノルルマラソンに挑戦したときのタイムは3時間ちょっとなので、その意味では、全く市民ランナーの気持ちは分からないはずだが、ズブの素人である妻の里奈さんを指導する中ででさまざまなことを知る。
1993年に里奈さんと一緒にホノルルマラソンを6時間かけて走り、ここで初めて「2時間台で走る人のマラソンと5時間で走る人のマラソンは同じマラソンでも別の種目だ」(p208)と気づいて、市民ランナーの練習方法について考えるようになる。里奈さんはすぐには速くならなかったのだが、逆に、里奈さんの成長が非常にゆっくりで、しかし少しずつ記録を伸ばしていくタイプだったので、研究に熱心になれたのだという。

里奈は真面目に練習しているにもかかわらず、フルマラソンで5時間を切るのに5年もかかっています。4時間を切るまでには、さらに5年かかりました。その後、走り初めて18年目で3時間17分まで伸びているのです。3時間17分で走れる女性のなかで、おそらく最も歩みの遅いランナーではないでしょうか。里奈は伸びるのに本当に時間がかかりました。p212

里奈さんは2003年にチャレンジ富士五湖の100キロを10時間40分で完走、2004に同レースでサブ10達成(9時間50分で1位!)、2004年のスパルタスロンで初のリタイアも、2005年に完走、しかも2006年に女子の6位となるなど、輝かしい成果を収めている。
ここまで行ってしまうとついていけないとも思うが、喜国雅彦さんやたかぎなおこさんが「マラソンは誰にもできる」を裏付けてあまりある事実で、ゆっくりでも「なりたい自分」に近づくことができることを教えてくれる。


そして、もう一つスゴイのが、ここで培った市民ランナー育成理論を実証した12章「70日間で未経験者がフルマラソンを3時間30分で完走」。ここでは女性誌FRaU」とCW-Xのタイアップ企画で、女性読者を4人集めて7月〜9月までの70日間の練習でマウイマラソンに挑戦させるという企画の一部始終が書かれている。実際には200人の応募者から書類選考と最終面接で、やる気、体形・骨格と動きを見て絞り込んでいるので、「素質のありそうな4人」ということになるが、それでもスゴイ。
宿題は各自に任せた上で、集まって峠走(岩本流トレーニングで必須の練習法で足柄峠の坂道往復26キロを走る)の練習をした時点で編集部からハード過ぎるとストップがかかるというのが面白い。
そしてレース結果は、3時間半、3時間半、3時間45分、4時間15分という、ものすごい結果で、市民ランナーがサブ4を目指して何年も頑張っているのは一体何なのだ!と思ってしまうほど。案の定、雑誌『ランナーズ』では緊急特別企画が組まれ、ランニング指導の話が多数来るようになったという。


マウイマラソンの4人については、勿論素質もあるが、岩本さんが彼女たちの「変身欲」をうまく引き出し火を点けたところが大きいのだと思う。その意味で、この本はタイトルそのままのメッセージが込められている。
全編を通して、岩本流は、自分も他人も、変身したいという意志の強さと、それに対して嘘をつかないことを何より大切にする。自分に厳しいのは、達成欲・変身欲、そして自分を裏切ったときの後悔の念が人一倍強いからだ。
なお、これに関連して、直後に読んだ為末大さんの文章も、(こちらは自分を「主人公」と思わない人に焦点を当てているが)とても参考になった。

当事者になるつもりがある人と、ない人がいる。何が違うかというと前者は目的を達成する担当は自分だと思っていて、後者は担当は自分だと思っていない。前者は目的を成し遂げること以外は手段だと思っているからあらゆる手を尽くすが、後者は目的を成し遂げる担当は自分ではないから、手段や仲間や面子にこだわり、うまくいかなかった時は誰かのせいにする。(中略)
当事者になるということは起きていることの結果を引き受けるということで、引き受けると決めていれば当然先読みして戦略を考えだす。うまくいかなければ原因を考え改善し、またトライする。なにしろ当事者にとってはそれをやり遂げる人は自分だと思っているから、他の誰でもない自分の頭で考え自分の責任で実行し、結果を自分で受け止める。

効率的な練習や、レース運びなどの技術的部分は勿論あるが、そういった精神的な部分を、いわば闘魂を注入することができたという意味で、フルマラソンを2カ月後に控えた自分にとって、とても心に響く一冊となった。