これは読み返したい本。
帯では「新感覚同僚小説」と謳っているが、とある県の税事務所を舞台として、そこで働く4人の女性のそれぞれを主人公とした連作短編となっている。各短編の時系列は重なっており、同じ出来事もそれぞれの視点から語り直される。
4人はそれぞれ以下の通り。
- 中沢環:第一章「キラキラは二十歳まで」の主人公。25歳。染川さんと同期。できるタイプ。
- 染川裕未:第二章「バナナココアにうってつけの日」の主人公。25歳。同期の中沢さんが少し苦手。
- 田邊陽子:第三章「きみはだれかのどうでもいい人」の主人公。50歳。堀さんと同期。出産を機に退職し、10年ほど前に職場復帰。25歳の娘とのコミュニケーションで苦労。
- 堀主任:第四章「Forget,but never forgive.」の主人公。50歳。未婚。陰でケルベロスなどと呼ばれる。英会話教室に通う。
面白いのは、4人は、2世代の同期のペア2組にもかかわらず、それぞれが疎まれたり、恐れられたり、と、互いをよく思っておらず、決して仲が良いわけではないこと。
また、ヒーロー的な主人公もおらず、すべてをポジティブに受け止めて前向きに仕事に向き合える人など皆無で、日々の悩みや鬱憤となんとか折り合いをつけながら生きている人ばかり。
そして、物語の核は、実は4人ではなく、4人の話に共通して出てくる新人アルバイト女性の須藤さん(38歳)。彼女は、全てにおいて容量が悪く、おどおどしており、卑屈なタイプ。「三十代も半ばを過ぎているのに小学生みたいな雰囲気」という染川さん評(p94)にすべてが表れているが、彼女が起こすミスも小学生的で、ギスギスした職場の空気を考えると、読んでいて胃が痛くなってくる。
「できるタイプ」の中沢さんは、「できないタイプ」の須藤さん、染川さんとは気が合わない。
それを踏まえて、「染川さんに優しくしてほしい」という須藤さんのお願いを聞いている中沢さんの心の声は辛らつだ。
否定されることを恐れてあらかじめ自己卑下で心を閉ざして、自分こそが被害者だっていう顔で、そうされる相手の迷惑なんか考えもしない、そのくせ自分自身の面倒さえろくに見られない、そんなあなたがどうして人を庇えると思ったんですか?(略)
傷つきやすくて、繊細で、病んでしまった者同士だから、人の気持ちがわかる。そうでしょうね。美しいですね、生きることに挫折させられた者同士で。わかりやすい病名ひとつもらっただけで、この世で自分たちにしか、傷つく権利はないって顔をして。p63
ある意味同類である染川さんも須藤さんには苛々している。
38歳にもなって、この人はどうしてこんなにイノセントなんだろう。
たしか彼女の履歴書には、職歴の記載がほとんどなかった。書くほどの仕事をしてこなかったのかもしれない。きっともともと性格のいい人が、まったく世間の波に揉まれずにこの歳まで生きるとこうなるんだ。そう考えるとあたしは、須藤さんのふっくらした頬に爪を立てて思いっきり引っ掻きたい衝動に駆られた。p111
田邊さんは隣で働いている中沢さんを称賛する一方で、「できないタイプ」の染川さんや須藤さんには苛々する。結局この話は、4人が4人とも「いじめてくん」*1要素が満載の須藤さんに怒りを爆発させてしまうのだが、田邊さんは、染川さんを庇う須藤さんに対してこう言ってしまう。
「かわいそうで大変なのは自分と自分の好きな人だけ、って、まあ普通、そう思いたいもんだけどさ。わたしだけは例外、みんな大好きです、みたいな顔しておいていきなり手のひら返すなんて、そういうのってずるくない?たまには、そうねたとえば、だーれも労ってくれないかわいそうなおばちゃんにも親切にしてよぉ」p196
そして、地獄の番犬ケルベロスの異名を持つ堀主任は決定的な一言を言ってしまう。「あなたは、邪魔」と。
人には、だれでもその人らしく生きる権利がある。
あの若い人事課職員はそう言った。そのとおりだ。弱い人間、集団になじめない人間、みんな等しくその人らしく、自由に生きるべきだ。でも、それが「こちらに迷惑をかけなければ」「目の届かない場所にいてくれるぶんには」という留保つきであるという事実からはだれもが目を逸らしている。水面下で押し付け合いのロシアンルーレットは続き、銃弾が放たれたが最後、たまたまそれを手にしていた者が犠牲にならざるを得ない。
-そうですね。あなたは、邪魔です。
我ながら不気味なほど、優しい口調だった。p270
堀さん、田邊さんが須藤さんを目の敵にするのは、同期の女性で若い頃に自殺に追い込まれてしまった人がいて、彼女を犠牲にしてしまったという後ろめたさがあるからのようだ。*2
それにしても4人が揃いも揃って手厳しいコメントをしていることに驚く。
実際には、それぞれが抱えているのは職場だけでなく、同期の女性間での対比や、家庭での問題も小さくないのだが、そうしたモヤモヤを、須藤さんという触媒を得て爆発させてしまう、というのが、この本の基本的な筋。
もちろん、中沢さんが鋭く指摘するように須藤さんにも悪いところはある。
ただ、それだけが罵倒に近い言葉の浴びせかけの理由でないことも明確だ。
むしろ、激しい怒りが正当な理由によらないものだからこそ、読む側は、この話にリアリティを感じてしまうのだと思った。
さて、最初に「読み直したい」と書いたのは、困ったことに、この物語自体を、しっかりと消化しきれていないからだ。少なくとも教訓が得られるような話ではなかった。「同期」という要素も最初からしっかり追って読めていない気がする。
ただ、「こういう気持ちはわかる」もしくは「こう思われているかもしれない」という、どこの職場にも流れる微妙な空気が言語化されている、という意味では、とても読み応えがあった。読んだ人は誰もが、登場人物そのものというよりは、いずれかの登場人物の思考に共感しながら本を読み進めることになるだろう。
自分は決して「中沢さん」タイプの人間ではなく、むしろ「須藤さん」気質を持っているので、「須藤さん」に同族嫌悪を抱く「染川さん」にどちらかといえば共感しながら読んだが、結局、須藤さんを好きになれないのと同じ理由で染川さんも好きになれない(笑)。4人の登場人物の誰もに共感できないということ自体、この種の職場の緊張感を表しているようで得難い読書体験だった。
ただ、繰り返しになるが、もう少し深く読める本である気がしているので、伊藤朱里さんのその他の著作に当たってから、改めてこの本に戻ってきたい。