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アニメも見返してみたい!〜藤子・F・不二雄大全集『エスパー魔美』(1)

エスパー魔美 1 (藤子・F・不二雄大全集)

エスパー魔美 1 (藤子・F・不二雄大全集)

巻末の「あとがきにかえて」で藤子・F・不二雄先生は、エスパー魔美の設定を考える上で、以下のように、これまでのギャグ漫画とは目先を変えたということを書いています。

  • 主人公を女の子にする。
  • 超能力を持たせる。ただし、ごくささやかな力に限定する。
  • 活躍の場を大人の世界にする。そのため主人公の年齢を中学生に引き上げる。
  • 主人公の性格、生活環境を、なるべく平凡なものにする。

また、「超能力」を扱う物語を単なる空想物語ではなく、なるべく現実感のある作品にするために、“信じない人”の視点から書きおこし、魔美の超能力も並はずれたパワーにまでエスカレートさせないようにしたそうです。
この1巻を読むと、そのバランス感覚の巧さに感動します。
序盤のエピソードは初めて知りましたが、高畑さんが、自分がエスパーなのかもしれないと勘違いしている第1話〜4話、そして、実は超能力があるのは魔美の方なのだと分かり、絶望する第五話は、なかなかスリリングな内容になっています。それ以降も、魔美が、高畑さんと協力しながら超能力を少しでも人の役に立つことに使おうとするあたりは、オカルト漫画にありがちな、妙な緊張感もなく、微笑ましく読める内容になっています。
自分は、中高生の頃つのだじろうが大好きで『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』(ともに1973〜1976)を古本屋で買ってきて、兄弟で競うように読んだのですが、どうしてもそれらと比較してしまします。
エスパー魔美』は1977年からの連載ということで、若干なりとも影響は受けているとは思うのですが、超常現象に対して、一通り解説(基本的に高畑さんの役回り)があってから、物語に入るあたりは、つのだじろう作品を思い出しました。一方で全く異なるのは、死人が出ないこと。つのだじろう作品は基本的に死人が出るので、主人公達は真剣にならざるを得ません。超能力を得たキャラクターは正義のため、ということで悪人を次々と裁き始めたりします。(『デスノート』のように)
エスパー魔美は、死人が出ないのは当然ですが、性善説をベースに話が展開するので、半ば都合よく事件が解決しても、それほど違和感がありません。結果として、恐怖ではなく笑いが生じます。だからと言ってご都合主義ではなく、現実から離れ過ぎないという意味で、バランスが非常に取れている作品だと思うのです。


なお、解説は、くれよんしんちゃんのオトナ帝国や、河童のクゥ、カラフルなどで知られる原恵一監督が、28歳で若くしてアニメ『エスパー魔美』のチーフディレクターになったときの苦労話を書かれています。ここでも『エスパー魔美』の原作の凄さについてべた褒めされていますが、その熱のこもり方に、アニメも改めて見返したくなりました。