Yondaful Days!

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2024年ベスト「落差」&ベスト純文学作品~砂川文次『ブラックボックス』


令和6年最大の「落差」が観測された。
ちょうど、先日聴いていた荻上チキsessionで、今年上半期の芥川賞受賞作家である松永K三蔵(受賞作は『パリ山行』)が、純文学の魅力を「何でもあり」と語っていたが、同じく芥川賞受賞作である『ブラックボックス』の「落差」も「何でもあり」の純文学だったからこそ、という感じがする。

読み始めから「落差」まで

背表紙の「あらすじ」との付き合い方は、本読みの永遠の課題だが、今回自分は間違えた…と思っていた。
自転車メッセンジャーの職業小説なのかと思って読み始めたときに、何となく背表紙が目に入り「パートナーの妊娠をきっかけに転職活動を…」という今後の展開を知ってしまったのだ。


186ページで終わる物語で、同居女性の円佳が初めて登場するのが91ページ。
でも、あらすじを読んで知った先の展開からすると、このあと妊娠が発覚して一悶着あってから、主人公サクマは不本意に就職活動を始めるのだろう。
前半では、事故の危険性など自転車メッセンジャーという仕事の不安定な側面に目が向き、徐々に「生きづらさ」というテーマが浮かび上がってきている。
それなのに、ここから、また主人公が苛々を積み重ねながら物語が進むと考えるというのは少しうんざりするなあ、と感じていた。


ところが円佳登場から6ページ後の97ページで、突如登場するのは、男6人1部屋での生活の様子。
いきなり場面は刑務所に。
意味が分からない。
「予告」されていた「妊娠の発覚」もまだなのに…

経験談なのか…?

そこから後半の舞台はずっと「塀の中」だ。
外での出来事を思い返すことはあっても、外に出ることはない。
前半から独白が多いサクマだったが、自由に移動できない後半はサクマの脳内描写で物語が進んでいく。
思えば前半は、ロードバイクの専門用語が駆使される内容が(自転車乗りの端くれとして)嬉しく、自転車メッセンジャーの仕事そのものへの興味もあって、楽しく読める部分の多い小説だった。主人公サクマが(作者と同じ)自衛隊出身であるという設定に、砂川文次は、自衛官を辞めたあと、この仕事を経験していたに違いない。そう思って読み進めた。
後半は、そういった視覚的な情報や蘊蓄による気晴らしはなく、ひたすらに気持ちが内側に落ち込んでいく。前半部を「経験談」として読んだ自分は、むしろ前半よりも力が込められて詳し過ぎる刑務所の描写に、これも「経験談」なのか!と驚愕する。


しかし、当然なのだが、調べてみると経験談ではなかった。
ちょうど「小説は経験で書くもの?」と題されたインタビュー(鴻池留衣*1による連載記事「純文学のナゾを解け」のゲスト)で、『ブラックボックス』の刑務所シーンへの言及があった。

砂川 経験したことしか書けないこともあるかもしれないけれど、その経験に似ていることは書けるんです。「ブラックボックス」で刑務所のシーンがリアルと言ってくださる読者の方がいたんですけど、もちろん刑務所にぶち込まれたことはない(笑)。それも、自衛隊に入った1年目に小さい部屋に大勢の人間がいる環境にいたから、その感覚を思い出しながら書いたんです。細部のことは知らなくても、自分の経験をもとにそれを拡大しながら書いているんです。
第4回 小説は経験で書くもの?(ゲスト/砂川文次) | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

やはりそうだったか…と安心しつつも、小説家とはすごい職業だなと改めて感心した。


話を小説の内容に戻すが、後半は本当に読んでいて辛かった。時間軸も行ったり来たりする中でひたすらに脳内思考が続く文章を辛い辛いと思っている間に読み終えてしまった。
何だかわからずに終わってしまったので、文庫解説が無ければ、読み返さなかったかもしれない。

素晴らしい文庫解説

書評家として名前はよく知っている倉本さおりさんは、実際の文章にはこれまであまり触れて来ず、文化系トークラジオLifeでその声を聴くことの方が多かったので、陽気な女性という印象だ。
ところが、『ブラックボックス』の文庫解説がとても分析的で驚いた。(「ちゃんとしていない世界の地図で」というタイトルも素晴らしい)
そもそも、自分はこの小説をかなり誤読していた。
サクマは、実際には、いつ閾値を超えるかわからない暴力衝動を胸に秘めた人物だが、前半を読んでいるときは、ぶっきらぼうだが前向きな青年をイメージしていた。*2だからこその「落差」という部分はある。
しかし、倉本さんが、引用するように、冒頭のシーンから、サクマの暴力衝動は顔を出していた。
そして、確かに「落差」のせいで、物語途中に断絶があるような気がしていたが、読み返してみると、サクマの問題意識は一貫している。
つまり「ちゃんとした」ものに、もしくは「ずっと行きたかった遠く」に辿り着く道が見えない(=ブラックボックス)ということが、サクマの不安の根っこにある。このあたり、倉本さんの解説がとても良く、考えながら読み直すきっかけを与えてくれた。

かといってコンクリ造りのオフィスの中にいる勤め人に転じる未来も想像できない。彼らの「ちゃんとした」姿は、帰り道に住宅街のどこからともなく漂ってくるカレーや煮物の匂いにも似ていてサクマの胸をいやおうなく掻きたてるのに、彼らが実際に何をしているのか具体的に何をどうすれば「ちゃんとした」ものに手が届くのか、サクマには見当もつかないのだ。

ブラックボックスだ。昼間走る街並みやそこかしこにあるであろうオフィスや倉庫、夜の生活の営み、どれもこれもが明け透けに見えているようでいて見えない。張りぼての向こう側に広がっているかもしれない実相に触れることはできない。(p.64)

見えているようで見えない。作中に登場するそのフレーズは、タイトルの謂いであり、私たちが生きる社会のありようを示すものだろう。
(略)
そして、突然家までやってきた税務署の調査官が唱える言葉の意味がサクマにはさっぱり理解できないように、スーツ姿で歩道の上を歩いてきた彼らの目にもまた、サクマの生活の実態は見えていない。物語の中盤、なんの説明もなく景色が一変するとき、読者は突然振り落とされたような感覚を味わうはずだ。けれどそのときに生じる混乱や困惑は、過度に複雑化した社会のしくみやルールに対し、限られた視野しか持ち得ない人びとがずっと抱いてきたものでもある。
見えているようで見えない――互いの生の実相に触れることができない社会が向かう先とはどんなものか。

このあと中編「小隊」の解説が入るので、それに寄せているのだろうが、ここで、「見えない」を相互的なものとして論じているのは『ブラックボックス』単品で言えば違う気がする。
この小説でタイトルにされている「ブラックボックス」は、あくまでサクマの立場から見たもので、その正体もラストに具体的に書かれているように思う。

自分はずっと遠くに行きたかった。今もそのように思っている。ここで感じる不快感と安心感は両立している。この先どうなるかということ―つまりは刑期が満了したら外に出られるということがここでは担保されており、その保証が安心と不快を伴っていたのだ。今まで気が付かなかったのが不思議なくらいだ。十年先、二十年先、自分が死ぬその瞬間までが全て決められていたら不愉快に決まっている。安心だが不愉快だ。こういうのが許されるのは刑務所だからだ。刑務所は制度だ。制度だけが未来を確たるものとして示すことができる。

つまり、これまで見えなかったのは、そして忌避していたのは、就職、結婚、社会保障などの「制度」だった。「制度」は未来の担保になり得るから「見えない」「わからない」を減じることが出来る。ケイデンス(自転車の回転数)をいくら上げても、「見えない」「わからない」は増大するばかりだ。いや、反対に、世の中は「見えない」「わからない」に満ちていて、繰り返しではないから楽しいのだ。
そのことに気がついたラストは、サクマにとっては希望だが、「制度」からこぼれ落ちる人が増えていないか、という社会への警鐘にもなっている。そういえば、映画『ラストマイル』も、最後は「制度」が頼みの綱だったし、ドラマ『虎に翼』も法制度の話だ。
自分自身も、「制度」の話は苦手で、会社や奥さんに任せきたまま、むしろいろいろなことから目を背けている。その点では、サクマに共感するし、自分がサクマの立場だったとしたらと思うとゾッとする。

だから刑務所に入ってからでないと、何かを悟れないような、何かを学べないような、そんな「ブラックボックス」が幅を利かせている世の中であれば、改善されるべきだろう。突っ込んでいくと、(小説の中でも少し話があった)正規、非正規の話や雇用全体の問題が大きいということになるのだろうか。もちろん普段働いていても色々と考えることはあるが、現在行われている自民党総裁選でなぜか話題に取り上げられていることも含め、もう少し基礎を勉強して考えてみたいテーマだ。


ということで、先日読んだ『しをかくうま』からあまり日を置かずに純文学を読みましたが、これは今年ベストの純文学作品かもしれません。読み直しのヒントを与えてくれた倉本さおりさんの解説も良かったです。
芥川賞受賞作はページ数も多くないし、自分には合っているということを改めて感じました。これからもたくさん読んでいこうと思います。
次は、当然この作品か…。ずっと読みたかったこっちか…。


*1:今回初めて知りましたが『ナイス・エイジ』はSFっぽい純文学なのでしょうか。気になります。

*2:暴力衝動を抱える主人公の小説を読むのが久しぶりだったから気がつかなかったのだと思う。花村萬月の小説を好き好んで読んでいたときは、大体そんなタイプの主人公だった。