Yondaful Days!

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傑作かどうかは俺が決める!~北沢陶『をんごく』×押山清高監督『ルックバック』


映画『ルックバック』は、傑作と評価が高い。
実際に見てみると、確かに、よく挙げられるスキップのシーンも含めて、原作以上の表現、アニメならではの印象的な表現も多かったのは素人目にも歴然としていて、原作から加点要素こそあれ、減点要素がほとんどないように思えた。(音楽による演出が若干過剰に感じられるのが唯一のマイナスだろうか)
しかし、やはり原作漫画を読んだときの感情の高ぶりと比べると、アニメ化による加点要素は自分にとってはそれほど大きく感じられなかった。*1
結局、多くの人にとっての傑作が自分にとって傑作となるかどうかは分からない。


『をんごく』の読後感も少し『ルックバック』に似ている。
そもそも、6人の選考委員(綾辻行人有栖川有栖黒川博行辻村深月道尾秀介米澤穂信)による絶賛評の並ぶ帯は見たことのないレベルだ。
実際に読んでみれば絶賛評の意味はよくわかる。確かに文章やキャラクター造形の巧さは素人目にもわかりやすい。
ただ、展開が進むほど、「自分にとってのホラー」は、こういうタイプの物語ではないという気持ちが強くなっていった。過去のホラー大賞を受賞した数々の傑作を読んだときの気持ちになりたかったのに…。


いやそもそも、本作が大正時代の大阪を舞台にしているという時点で、現代小説メインの自分が「怖さ」を感じるのは難しかったのだ。逆に、大正時代の話なのに、ここまで面白く読めた、というのはやはり作品のレベルの高さ故なのだろう。
したがって、「ホラー小説ではなく、時代小説を読むつもりだったのだ」と思い込めば 単純に面白い傑作を読めたと喜べる。これも先日の「阿Q理論」*2の応用だ。良かった部分に目を向けよう。


特に圧倒的に良かったと言えるのは、エリマキというキャラクターと、そのネーミング。辻村深月の選評から引用する。

受賞作「をんごく」は、作品全体に滴るようなホラーの色気がある傑作だった。文体、セリフに、作品の舞台となる大阪・船場に詳しくない私でも引き込まれるようなリズムの心地よさがあり、出てくる場面のひとつひとつがホラーとして小説として美しい。(「商売繁盛」の扇が部屋いっぱいに並ぶ様は鳥肌が立つほど壮観でした......) 
顔のないエリマキに、人が、自分が強い思い入れを持っている者の顔を見る、という設定がせつなく、また、その彼に息子の顔を見ている巫女の存在により、エリマキに残酷さとかわいらしさの両方が感じられる。そのエリマキの「ほんとうの顔」を見ることがクライマックスにフックとして効いている構成も見事。この「ほんとうの顔」という言葉ひとつ取って見ても、それが特別な奥行きを持つ言葉に思えてくるのは、この世界を描く著者の筆の力があってこそだ。この作品を受賞作として送り出せる選考に立ち会えたことを幸せに思う。

エリマキの命名の由来は、最初に出会ったときに、主人公から顔は見えなかったが「赤黒い鱗のようなものに覆われた襟巻」が目立ったから、ということになるが、主人公が絵描きであることも影響しているのか、ビジュアルのイメージが強い。キャラクターの一番の特徴を考えれば「のっぺらぼう」でも良い気がするが、「エリマキ」と名付けられているせいで最後まで「赤黒い鱗」のイメージが脳内に残った。
そのエリマキと主人公が、漫画『うしおととら』のメイン2人(人と、人を食べる妖)と同様の関係性でバディを組むのは、それだけで物語を読み進める駆動力を生む。
ビジュアルという意味では、先ほどの辻村深月評と重なるが、義兄の隠し部屋が本当に鮮やかだった。

私も続こうとしたとき、中からエリマキの「ああ」という、絶望とも怯えともつかない声が聞こえてきた。

慌てて私も入り込むと、カンテラの光を受けて、エリマキが呆然と立ち尽くしているのが見えた。赤黒い布がうぞうぞと、警戒する蛇のようにのたくる。
五十を超えるであろう扇が、三方の壁を埋めるほどに掲げられていた。赤、黄丹(おうに)、薄緑、青紫の地、鷺(さぎ)に紅葉に流水紋、様々な色や模様が、ふたつのカンテラに照らされ、金箔は異様に光り、壁には濃い影が揺らめいている。影が揺れているのは、私たちのカンテラを持つ手が震えているからだと、しばらくしてようやく気付いた。
壁に近づいて、カンテラを掲げてみる。扇の意匠はどれも違うが、ひとつだけ共通したものがあった。筆で「商売繁盛」という文字が、様々な筆跡で書かれている。

というように、文章も物語も「一級」と感じられる作品だったのだが、話を元に戻すと、問題は、自分が「一級の読み物」ではなく「一級のホラー小説」を読みたいと思っていたことだった。


角川のホラー大賞*3と言えば、貴志祐介『黒い家』(第4回-1997年)、恒川光太郎『夜市』(第12回-2005年)、直近では、澤村伊智『ぼぎわんが来る』(第22回-2015年)が受賞している伝統的かつ、面白さがお墨付きの賞。大賞は該当作なしの年も多い中で、他を圧倒して大賞受賞というのは、ただごとではない。
よく「甘いものを食べる口になっていた(のに、辛い物が出てきた)」などと言われるように、今回は「貴志祐介、澤村伊智の口になっていた」とでも言え、「多分、読む前から読後感を決めてかかっていたのが敗因と言えるかもしれない。


そうすると、「この方向で感動するだろう」と予想した通りに質が高かった(が故に「意外性」の点数が伸びなかった)『ルックバック』と、「この方向で怖いだろう」という予想とは異なるベクトルで質が高かった(が故に満足度が低かった)『をんごく』は、ともにハイレベルなのに、それぞれ受け取り手の理由で不満を感じてしまっていることになる。
結局、その人にとって傑作かどうかは、受け取り手次第ということだろう。
だから他人の評価を当てにし過ぎて一喜一憂するよりも、自分の感性を信じて読んだり観たりするようにした方が健全なのかもしれない。
ただ、傑作と名高い作品に触れて、素直に楽しめなかった場合、むしろそこに「自分」を発見したりするので、それも面白いことだと思う。
どちらにしても、やっぱり多くの作品に触れていきたい。

*1:特に、原作漫画発表時に大きく話題になったように、物語が実在の事件(京アニ事件)をベースにしていることについては、いろいろと考えさせられた。(当時は、表現の差し替え等があった)。これについて、アニメ側で何かの言及があるのかもしれない、と少し期待していたところが空振りに終わってしまった点は、アニメ製作陣には無関係な雑音かもしれないが、残念に感じてしまったところだった。

*2:すべては捉え方次第で幸せにも不幸せにもなる、という『阿Q正伝』主人公の阿Qの考え方。綿矢りさ『パッキパキ北京』で知った。→阿Q伝承の精神勝利法に衝撃~綿矢りさ『パッキパキ北京』 - Yondaful Days!

*3:知らなかったのだが、かつでの角川の『日本ホラー小説大賞』は第25回(2018年)までで、2019年からは横溝正史賞とまとめて「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」に統合されたのだという。2つも賞を抱える余裕がなくなってしまったのだろうか。