Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

どんな向かい風も一歩なら歩き出せる~山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』

選んだ孤独はよい孤独

選んだ孤独はよい孤独

深夜のファミレスで飽きずに話してたことは
ぼくらが手に入れるはずだったちっぽけな未来

それは宝物 だってぼくらはもう手にできない
グズグズと悔やむばかり

どんな悲しみも ぼくらは光にできる
借りたままの君の好きな歌が いつもそう歌うよ
まるで君の口癖みたい
スガシカオ「黄昏ギター」

誰もがみな、自分の将来に対する希望と絶望、過去の思い出と後悔の中で生きていると思う。
むしろ、それらの「せめぎ合い」の中にこそ、人が生きる喜びが生まれるように思う。
スガシカオの「黄昏ギター」では、その「せめぎ合い」のバランスが絶妙だ。
ぼくらが手に入れるはずだった宝物は「もう手にできない」。そんな絶望に溢れている。
一方で、そこにある「どんな悲しみも ぼくらは光にできる」という僅かな希望を、「君」の言葉ではなく「君の好きな歌」の言葉として引用する。「まるで君の口癖みたい」に。
この時点では、この歌詞は希望と絶望で言えば、完全に絶望に偏っている。
実際、大袈裟ではなく、辛さばかり感じて生きる人生もあるだろう。
それでも最後にこの歌は、「借りたままのギターで 僕は歌を歌うよ」と、借り物の言葉でも、自分の思いとして、自分の希望として「どんな向かい風も 一歩なら歩き出せる」と宣言する。
一歩しか歩けないのではなく、「一歩なら歩き出せる」。
単なる言葉遊びに過ぎないが、それでもこの一歩は大きい。


こんな風にして、もう取り戻せないもののことを考えたり、人に嫉妬したりしながら、それでも生きて行かなくちゃいけない。
そんな小説を集めた作品集がこの本だと思う。
帯には“誰もが逃れられない「生きづらさ」に寄り添う、人生の切なさとおかしみと共感に満ちた19編”“「女のリアル」の最高の描き手・山内マリコが「男の生きづらさ」をすくいあげた新たなる傑作!”、また、“忽ち重版!男性から共感&震撼の声続々”とあり、著名人の感想が並ぶ。

  • 「人生の正解」を求めてもがく男たちの絶体絶命っぷりに痺れました。---穂村弘歌人
  • 微笑みながらジャブを打たれ、気づけばノックアウトに持ち込まれる、そういう作品集です。---武田砂鉄(ライター)
  • めちゃくちゃ身につまされる!男の描き方に違和感が一切ない。これってすごいことですよ!---海猫沢めろん(作家)


実際、「この感じ」は、今まで生きる中で経験してきたけれど、それほど多くは書かれていない部分かもしれない。
いや、書かれていたけれど、それは「トホホ」という(聞いたことのない)笑い混じりの嘆息とともに、斜めから通常描かれるものだったのだ。真正面から「生きづらさ」のみをピックアップしていくような作品集は無かっただろう。


自分が最も共感したのは、「あるカップルの別れの理由」の鈍感な主人公。自分を見ているようで怖くなる。

彼女は腕組みして言った。
「たまにはさぁ、自分で洗濯機回してくれない?」
ああっ!そっち!?
その瞬間、彼ははじめて気づく。
一緒に住みはじめてから、自分で一度も洗濯していないことを。洗濯機を回すのは、いつも彼女だった。
「そっかぁ、ごめん。悪気はないんだけど、気がつかなかった」
「あなたのその鈍感さに、なんか蝕まれていく感じがする」
彼女は吐き捨てるように言った。p69


他の作品でも男性キャラクターはこういうタイプの人が多く、悪気はないけれど、旧来のジェンダー観に囚われている。自分もそういうタイプだし、周りにも多いからよく分かる。
たとえば、超短編「子供についての話し合い」で一方的に責め立てられるだけの主人公もそうだ。(この小説は、これで全編)

「あなたが昭和の専業主婦みたいに、文句も言わず家事も育児も全部やってくれるんだったら、子供産んでもいいよ。でも、そうでないなら、産みたくない。これに関してはあたし、一切譲歩する気はないから」

その他、

  • 小学校の同級生との腐れ縁が今も続き、地元に住み続けて、職も結婚も自分で決断しない 一編目「男子は街から出ない」の主人公
  • 「さよなら国立競技場」の、サッカー部の上の学年が好成績を収め過ぎたせいで厭世的になってしまった谷間世代のキャプテン

など、本当にこれまで近くにいた人が悩みながら生きる様を見ているようで痛い。人間性というのは、結局「人の間」に生きて出てくるものだよな、ということを改めて感じさせてくれる。


『選んだ孤独はよい孤独』というタイトルは、19編の小説の題名の中にはないが、読み直してみると、最後の一編「眠るまえの、ひそかな習慣」とリンクしているようだ。

この小説の中で、自己啓発本が大好きな主人公は、手帳に書き写した言葉の中のひとつ―――「ナースが聞いた、死ぬ前に語られる後悔TOP5」 ―――を眠る前に唱える習慣がある。老いぼれて余命僅かな自分をイメージしながら…

「ああ、もっと自分自身に忠実に、自分らしく生きればよかった。
あんなに一生懸命働かなくてもよかった、
もっと家族と過ごせばよかった。
世間の目を気にせず、自分を出す勇気を持てばよかった。
自分の気持を押し込めすぎた。
そう、私は、あんなに人生に怯えなくてもよかったのだ。
自分の手で、幸福を選んでもよかったのだ。
いつだって、幸福は、選べたのだ」

山内マリコは、この主人公を、ダメなタイプの「意識高い系」として描いている。残念なタイプとして描いている。
主人公は眠る前に上の文句を唱えて「出会ったすべての人に、彼はもう一度会いたかった」と感じ、「どうせまた会えると思いながら、二度と会えなかった大勢の人たちを」思い出すシミュレーションをしている。が、だからと言って、彼は行動に移さないのだろう。
そして、彼は孤独のまま死んでいくのだろう。
それでも、彼が「選んだ幸福」は、「選んだ孤独」は、きっと「よい孤独」なので、あまり気にする必要はないのだ…


という皮肉なタイトルのついた作品集だが、それでも、最後の一編がこれで終わることに、少しのメッセージが含まれている気がする。
スガシカオ「黄昏ギター」で歌われるように、 「どんな向かい風も 一歩なら歩き出せる」のではないだろうか。
自己啓発本から持ってきた借り物の言葉で進める「一歩」もあるのではないだろうか。
古くからの友人と無理につるむ必要はないし、しがらみから自由になるのなら「よい孤独」もたくさんあるだろう。
しかし、自分を押し込めて、自分を出せないままで、獲得した「よい孤独」は、「幸福」から離れてしまっているのではないだろうか。
ダメ人間の「眠る前の、ひそかな習慣」を本の中で眺めることで、読者は、自分を客観視して、きっと少しだけ前に進むことが出来るようになる。
そんなメッセージが籠められた作品集になっていると感じた。


ところで、この本、ジャケがとてもカッコいいですが、長谷川潾二郎さんという画家の「アイスクリーム」という作品のようです。