Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(4)AIジョーのブルース

bless You! (通常盤)

bless You! (通常盤)

今回は、アルバム3曲目の「AIジョーのブルース」について取り上げます。

一発録り

話題にするべき「アクロバットたちよ」の時にはあまりしっかり書きませんでしたが、インタビューで、田島貴男は、これまで以上に「一発録り」を強調しています。代表曲として基本的に「アクロバットたちよ」について取り上げるのですが、毎回付け足しのように付け加える一曲が、あまり「一発録り」に似つかわしくない「 AIジョーのブルース」。

やっぱり人間のインスピレーションとか気合いって、すごく大事だなと思いました。「これ直さないよ」ってメンバーに言うと、みんな全力で演奏するんです(笑)。オリンピックの競技に参加する選手みたいなもんで、一発勝負だからプレッシャーが全然違う。で、そうやって録音したサウンドって何年経っても古くならないんです。何度聴いても飽きない。確実に何かが違うんですよ。どういう理由かはわからないんだけど。ちなみに3曲目の「AIジョーのブルース」も一発録りです。
ORIGINAL LOVE「bless You!」インタビュー|逆行し続ける男がたどり着いた新境地 (2/5) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

〈アクロバットたちよ〉と〈AIジョーのブルース〉は去年の〈Wake Up Challenge Tour〉で披露していたんですけど、前者はリハーサルでバンド形式で作っていった曲で、だから編曲にバンド・メンバー全員のクレジットが載ってるんです。後者はある程度デモでできていたものをバンドで仕上げていって。〈ゼロセット〉も2年前にそのメンバーでレコーディングしたんで、その3曲に関しては本チャンのレコーディングも一発でした」
――ライヴ・レコーディングみたいな。
 「〈アクロバットたちよ〉は完全に一発録りで、歌も直してないです。ギターを弾きながら歌ったし、ダビングも一切してないし。リズム録りのときにオケ完になったわけです(笑)。で、〈AIジョーのブルース〉は歌詞のテーマが機械なんで、それを生でやろうということで、あれもダビングはしてないですね。リズムは多少エディットしましたけど。でもそれ以外の曲に関しては一切してないです。いまはみんなエディットしますけど、僕はあんまり好きじゃなくて、アナログみたいな録り方をしてます。
インタビュー:“生命のありさま”みたいなもの――ORIGINAL LOVE『bless You!』 - CDJournal CDJ PUSH

元々自分は、ライヴではなく何度も聴くCDというパッケージで売るのに一発録りは必要ないのではないかと思っていたクチなのですが、今回の「アクロバットたちよ」を聴いて、その考えを改めつつあります。それを後押しする言葉を二つ引用します。
まず、ちょうど昨日、地上波で初オンエアされた映画『カメラを止めるな』評で、納得感のあるものがありました。

カメラを止めるな、ワンカットの前半の方が「リアル」で、ドラマパートの後半は何回もリテイクしたり編集で繋ぎまくった嘘だらけの「虚構」なんだけど、観てる方は逆に感じてしまうんですよね。この辺が本当に映画のマジックで、この映画って映画の魔法を可視化してくれるんですよね。だから面白いんだ
https://twitter.com/BoyWithTheThorn/status/1104012696700149767

あの『カメラを止めるな』のワンカット部分は、確かに粗がありますが、スリリングでドキドキして、だからこそ全体が引き締まります。つまり、あの映画は、ただ脚本がいいだけでなく、前半40分の「肉体」的な部分とセットだからこそ仕掛けが引き立つ話になっているというわけです。


ただ、それでは、「アクロバットたちよ」や「AIジョーのブルース」は、聴く側が、これは一発録りなんだ!と意識して聴かなければ楽しめないのか、というと、そういうわけでもありません。
先日読んだ小路幸也『東京公園』は、写真家を目指す主人公の大学生・圭司が、写真について以下のように述べる場面があります。

被写体との間の空気感というものを僕は、いやカメラマンだったら感じ取れる。わかると思うんだ。
撮る人間と撮られる人間の間にはかならず何かが、空気感としかいいようのないものが流れている。(略)
だから、写真集なんかを観ると、そのカメラマンと被写体との関係を勝手に感じてしまうこともある。その写真に含まれている、映し出されている空気管というものを濃密に感じることがある。ほとんどの場合そういう写真集は素晴らしいものになっている。

今回のアルバムが写真集とセットということもあり、カメラと音楽の親和性を今まで以上に感じますが、どちらもデジタルが普及してアナログの良さに立ち戻っているジャンルということが言えるかもしれません。そして、そのアナログの良さというのは、ここで書かれているような「空気感」みたいなもので、カメラと音楽に共通する、この空気感に田島は惹かれているのかなあと思います。
実際、ライブで聴く「AIジョーのブルース」も、メンバー揃っての振付も含めて、あそこにしかない「空気感」が詰まった曲なのです。

歌詞の中で扱う「AI」

AIと言えば、昨年のKIRINJIのアルバム『愛をあるだけ、すべて 』に収録の名曲「AIの逃避行」があり、まさに今の時代にマッチするテーマなので歌詞にも当然期待します。最初に、自分の考えるAIをテーマにした場合の「正解」を書きます。


先日のNHKクローズアップ現代+」は、スティーヴン・ホーキング博士(2018年3月没)の遺作『ビッグ・クエスチョン―〈人類の難問〉に答えよう』を取り上げ、博士のAIへの関心の深さについて紹介していました。

内容は、人類が抱える大きな疑問に答えるというもの。その疑問とは何か。例えば「神は存在するのか」「宇宙には人間の他にも知的生命体は存在するのか」「人間は地球で生きていくべきなのか」、どれも壮大な難問ばかりです。そして、中でも博士が力を入れて書いたテーマの一つが「人工知能=AIは人間より賢くなるのか」。博士は晩年、ビル・ゲイツ氏やイーロン・マスク氏などの世界的起業家に、AIが社会に及ぼす影響を考えようと呼びかけたり、研究機関を立ち上げたりするなど、AIと人類の関係に深い関心と懸念を持っていました。
車いすの天才ホーキング博士の遺言 - NHK クローズアップ現代+

このように、AIがニュースで取り上げられる場合には、 いわゆるシンギュラリティ*1の問題など、 バラ色の未来よりも、それと隣り合わせの「AIが人間の仕事を奪う未来」に重きを置かれることがほとんどのように思います。(もしくは、シンギュラリティなど来ないがAIの能力向上とは対照的に人間の能力が下がっていることを危険視する『AIvs教科書が読めない子どもたち』の路線)
KIRINJI「AIの逃避行」は、そういった不安を背景に、恋愛においても人間と機械の境目が曖昧になっていくという虚無的な感覚をうまく表しているように感じます。*2


と・こ・ろ・が。


何故か「AIジョーのブルース」は、そのような悲哀、不安が、曲調にも歌詞にも感じられない作品となっています。
確かに以下の部分など、携帯電話やスマホの登場で生活が便利になった反面、監視の目が強くなり、むしろ不自由になっている一面を良く表していると思います。

画面をタッチするほどに1年が短くなっていく
早回しの映画のような人生は忘却の物語
星の時点早めました
便利な暮らしのために
豊かになった Ah My Master
なぜ青ざめてまた急いで

ただ、これは「AI」というテーマからは大きく離れた内容だと思うのです。
コンピュータやロボット導入によって、人間は楽になると思っていたのは間違いだった…というのは一時代前の悩みであって、AI時代で問題とされているのは、忙しさではなく、人間自体が機械よりも「使えない」「不要な」存在に落ちてしまうのではないかという部分です。つまり、より本質的な「人間性」の問題が問われていて「AIの逃避行」なんかはまさにそのような作品になっていました。
歌詞で「コンピュータワールド」という言葉が使われていますが、まさに語るに落ちる(笑)、というべきか、この言葉は今、ほとんど聞くことはありません。オマージュ*3なのかどうか不明ですが、クラフトワークのアルバム『コンピューターワールド』が発売されたのは 1981年ということを考えると、ここで歌われているコンピュータへの問題意識は、AIのシンギュラリティを前提としたものではなく、30~40年くらい前まで一気に戻っているような気がします。なお、「コンピューターおばあちゃん」(みんなのうた)も1981年で、「AIジョーのブルース」は、牧歌的な、古き良き時代のコンピュータ観に満ちていて、平成も終わる頃になって昭和を思い出させる牧歌的な歌詞となっています。(結局、AIは曲タイトルの駄洒落のためなのか…と思わせるところまで含めて牧歌的)
念のため、この曲についての田島自身の言葉をインタビューから引用すると…。

──3曲目の「AIジョーのブルース」は冒頭の2曲から一転してエディットを駆使した曲になっています。

曲のテーマがAIの時代におけるブルースということだったので、エレクトロニクスやSNSとか、そういうものに制御される人間というイメージを曲に落とし込んだんです。なので、アルバム中この曲だけ歌も含めて一発録りした演奏を極端にエディットしました。無機質なビートの中に、生身の人間が演奏したリズムをエディットして入れて。非常に変な感じのリズムになりましたね。

──頭の中が混沌としていく感じがします(笑)。

ヒップホップの人がこういうリズムで曲を作ったりしてますよね。

──その手法でブルースをやるという。

そう。そこは誰もやってないんで。今回のアルバムは、自分が今感じてることが要所要所で歌とか曲になってるんですよね。「空気-抵抗」とか「逆行」って曲もそうなんですけど、今自分が感じてる苛立ちや歪み、不気味さとか、それをストレートに書いているんです。

ということで、 「空気-抵抗」「逆行」 という傑作2曲と並べて、「 苛立ちや歪み、不気味さ」をストレートに書いている、とのことですが、特にあの2曲と並べてしまうと苛立ちは伝わりにくいです…。(むしろ過去曲で言うと「Hey Space Baby!」に通じる能天気さを感じます)


と、悪く書きましたが、オリジナル・ラブの楽曲の中でも打ち込み推し、変拍子推しの自分からしてみれば、この曲は大好きです。A面は、「アクロバットたちよ」~「ゼロセット」と来て、3曲目に、この「AIジョーのブルース」。そしてこのあとに「グッディガール」ということで、全く隙なし。アルバムのメインテーマ「人生賛歌」というところから3曲目、4曲目が少し離れる感じがしますが、そこら辺のバランスも絶妙ですね。

参考

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

東京公園

東京公園

コンピューター・ワールド

コンピューター・ワールド

愛をあるだけ、すべて(通常盤)

愛をあるだけ、すべて(通常盤)

*1:AIが人知を超える転換点。具体的な年を挙げ、2045年問題と呼ばれることも

*2:映画『her 世界でひとつの彼女』が、まさにこのテーマど真ん中の作品でした。

*3:コンピューターワールドで検索すると、電光超人グリッドマンが引っかかります。昨年アニメがありましたが、原作の実写特撮作品は1993年の作品のようです。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(3)疑問符


まず、アルバムの曲順を再度確認します。

  1. クロバットたちよ
  2. ゼロセット
  3. AIジョーのブルース
  4. グッディガール feat. PUNPEE
  5. ハッピーバースデイソング
  6. 疑問符
  7. 空気-抵抗
  8. bless You!
  9. いつも手をふり
  10. 逆行


オリジナル・ラブのアルバムは基本的にA面B面を意識して製作されていることは、ファンはよく御存知かと思いますが、今回も全10曲の前半5曲、後半5曲でA面B面が分かれます。
そして、『bless You!』のB面は、また凄い曲が揃っています。
いわずもがなの名曲「bless You!」。アルバムのテーマ的には 「bless You!」と双璧をなす「いつも手をふり」。そして、本作の中でのいわば“地獄兄弟”「空気-抵抗」「逆行」*1
その中で、少し浮いた存在がB面1曲目の「疑問符」です。
ところで、これまでのアルバムでB面1曲目にはどのような曲があったか復習してみます。

  • LOVE VISTA(LOVE! LOVE! & LOVE! )
  • フレンズ(結晶)
  • Wall Flower(EYES)
  • 心 ~ANGEL HEART風の歌を聴け
  • 夏着の女達へ(RAINBOW RACE )
  • Words of Love(Desire)
  • ローラー・ブレイド・レース(ELEVEN GRAFFITI )
  • 大車輪(L)
  • ダブルバーガー(ビッグクランチ
  • 守護天使ムーンストーン
  • のすたるぢや(踊る太陽)
  • 13号室からの眺め(東京 飛行)
  • ひとりぼっちのアイツ (街男 街女)
  • ハイビスカス (白熱)
  • きらめきヤングマン(エレクトリックセクシー)
  • クレイジアバウチュ(ラヴァーマン)

書いてみて、曲の並びが面白くて、独りで盛り上がっています。*2
また、やや自分の意図と異なる曲が並んで驚いています。
自分の中の、これぞ"B面1曲目”という曲は「ローラー・ブレイド・レース」や「ダブルバーガー」などの攻撃的な楽曲。もしくは「ひとりぼっちのアイツ」や「クレイジアバウチュ」などのヒットチューンなのですが、「のすたるぢや」や「守護天使」など、ゆっくりした曲もあるのですね。
田島貴男自身は、この「疑問符」についてインタビューで次のように答えています。

これはもう、絵に描いたようなソウルバラードですよね。オーディオを一新して、The Stylisticsの1stアルバムを聴いたら、あまりにも素晴らしくて椅子から転げ落ちるぐらいのショックを受けて。演奏もコーラスも、とにかくすごくて。 (略)
それぐらい完璧すぎるアルバムで感動しちゃって。自分でもそういう曲を作りたいなと思ったんです。ただ、弦を入れるつもりはなかったんで、シンプルなスウィートソウルをこの曲で追及しようと思って。今までだったら、もっとゴテゴテな感じにしたと思うんだけど、最小限のメロディ展開で“なんかいい曲”っていうのを作りたかったんですよ。
──本当に音数を絞りに絞った“いい曲”ですよね。
そういうふうに作りたかったんです。この曲は真夏に作ったんだけど、真夏っていうのは創作に向かないですね(笑)。冬のほうが圧倒的に曲のイメージが浮かぶ。大変だったけど、パッとイメージが浮かんで急いで書いたんですよ。
音楽ナタリーインタビュー

──「疑問符」はオーセンティックなソウルバラードですね。
田島:うん、これはソウルバラードを作ろうと思って作りました。3年くらい前にオーディオセットを揃えて、1970年代初頭あたりのソウルばっかり聴いてた時期があったんですけど、その頃のバラードってシンプルでいいんだよね。「疑問符」みたいな曲も、以前だったらもっと展開を考えたり、装飾したんだろうけど、今回はなるべくシンプルにしたくて。曲も短くしかったんだよね。

──3分半くらいですね、「疑問符」は。
田島:そう。昔のソウルバラードって、AメロとBメロしかなくて2分くらいで終わったりするんだけど、短くするのもテクニックが必要で創作が洗練されてないとダメなんです。そういうものを目指したんですよね、「疑問符」は。
RealSoundインタビュー

こうしてインタビュー記事を読んでみると、シンプルな楽曲を目指したチャレンジが、実際に成功していることを実感できて、またアルバムを聴くのが楽しくなります。
なお、音楽評論家・小倉エージさんの曲ごと解説は以下の通りでした。

「疑問符」は、シンプルなスイート・ソウル。ニール・セダカの「雨に微笑みを」風のポップなメロディー。ファルセットによる歌はスタイリスティックスを意識したのかも。(オリジナル・ラブの金字塔!? 新作は傑作だ!-AERAdot


さて、歌詞の面から考えると、特にB面はアルバムのテーマである「人生賛歌」、そして裏テーマの「逆行、抵抗、心意気」(適当です笑)がてんこ盛りの中、かなり毛色の違う歌詞となっています。具体的には、「ハッピーバースデイソング」や「ゼロセット」なども含め、聴く側に向けたメッセージ性の強い曲が多く並ぶ中で、まさにそれらとは逆行した内省的な歌詞となっています。
しかも、この歌詞の主人公は、答えを出せずに迷っている。だけでなく、運命や偶然に頼ろうとするなど、考え方に「逃げ」が見られるのです。「ゼロセット」で「ためらってないでしっかり掴んで」「チャンスはRight Now!」と歌ったのとは全く別のタイプの男です。
しかし、B面1曲目にこの曲があることで、このアルバムのメッセージ性、説得力はさらに強まるように、自分は考えます。
今回のアルバムはテーマが「人生賛歌」で、メッセージソングが多いため、ともすると「上から目線」のアルバムになってしまいます。例えば(また改めて書きますが)「ゼロセット」は良い曲ですが、あまりにも歌詞の内容が田島貴男本人のこと(継続して努力できる資質)を指し示すようで、自己評価の低い自分には、純粋な応援ソングとして受け取るのは難しいです。
また、ここで「大事なことに気づかない」と書かれているからこそ、気がついた大事なことを歌いたい、という気持ちが表れている「bless You!」のメッセージ性が際立ちます。つまり、人生は、何かひとつ大切なことを手に入れたら、別の何かを忘れている、その繰り返しだということだと思います。
「疑問符」があることは、悪いところはたしなめつつも弱い心も肯定してくれるような曲で、自分にとっては、仲良くしたい、贔屓にしたい友達のような存在です。
そういう面が同じ田島貴男の中にあるのだろうと思うと、アルバム全体のメッセージがより真実味を帯びてくるように感じます。


先日、川崎市にある岡本太郎美術館で「重労働」という油絵を見ました。
1949年の作品で、工業化が進み、生活がよりよくなる一方で、環境破壊やエネルギー危機などの問題が進行することに対する不安を表現した作品で、岡本太郎の好む原色が多く使われながらも、画面全体としては暗い作品です。
検索するとどのような絵かすぐにわかるので是非見ていただきたいのですが、この絵の中には中央左側に唐突に長ネギが描かれています。*3自分は今回の美術館で初めて見たので、とても驚きましたが、このユーモラスにも見える長ネギがあることで、不安一辺倒でもないということもわかり、一方で、不安感も増すのです。いわゆるスイカに塩理論です。
「疑問符」は、まさにそのような楽曲で、名盤『bless You!』のB面1曲目として、過去のB面1曲目の名曲群と比べても遜色ない名曲だと思います。

*1:一応、解説しますが、仮面ライダーカブトに出てくるやさぐれた仮面ライダー2人キックホッパーとパンチホッパーを指します。とにかくやさぐれています。

*2:これはかなり良くないですか!新旧含め、微妙にライブでは演奏されることの少ない佳曲も多く、裏ベスト的なセットとして十分に勝負できます!

*3: この長ネギは岡本太郎の提唱した“対極主義”を具体化したものとのことです。岡本太郎美術館の紹介も含めてこちらのサイトが分かりやすいです。→TONTONclub

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(2)アクロバットたちよ


さて、2月に発売したオリジナル・ラブの最新アルバム『 bless You! 』の1曲目が、今回取り上げる「アクロバットたちよ」です。
前作『ラヴァーマン』の1曲目は、先行シングル「ラヴァーマン」でした。
『ラヴァーマン』 は大好きなアルバムなのですが、アルバムを聴いてまず最初にかかる曲で驚きたい。そう考えている自分にとっては、ややスリルに欠けるアルバムとなりました。

今回はその意味では期待大の1曲目です。一応、ライブでは聴いていて、印象も良かったので尚更です。


ただ、自分にとっての1曲目はアルバムの顔として期待度が上がり過ぎているので、苦手曲が来た場合に一気にアルバム全体が苦手になる可能性のある、いわば「鬼門」です。
勿論、気持ちの振れ幅はありますが、一曲目が苦手な『エレクトリックセクシー』(1曲目は「スーパースター」)、『東京 飛行』(1曲目は「ジェンダー」)は、どちらも聴き直すハードルが高いアルバムとなっています。


さて、実際に聴いてみると、思いのほか静かな立ち上がり。
「紫の靄」という歌詞からは、「淡い紫の夜明けの空」から始まる、同じくアルバム1曲目の 「Hum a Tune」(1996年発売の『Desire』)を思い出します。脱線しますが、『枕草子』も冒頭に同様に夜明けの頃を表す言葉として紫が出てきますね。( 紫だちたる雲の細くたなびきたる。)
そんな紫で始まった曲は、曲調が一変し、すぐに特徴的なギターリフで持ってかれます。
それでも、この曲の第一印象は、その他の目立ち過ぎる曲に比べれば「普通」でした。


しかし、何回か聴いているうちに、この曲の面白さに気づいてきます。
それほどでもなかった第一印象ですが、最初から好きなフレーズがありました。この部分です。

Offence Defence 立ち向かって怯んで

バスケットボールの試合をしているみたいで楽しいので気に入っています。
ところが、このフレーズは通常の曲で言うと、何処にあたるのかは上手く説明できません。サビではない気がします。


少し考えてみると、この曲が好きだと言う人も、細かく見ると、いくつかの派閥に分かれるように思います。
具体的には、(1)紫の靄立ち込める~の導入部のギターのコードチェンジに心揺れる人、(2)アンバランス持ちこたえて~のギターリフパートが好きな人(3)さあアクロバットたちよ~の靄が晴れて虹が架かると思いきや、やっぱり曇り空のお天気パートが好きな人、そして、(4)Shooting Dodging~の部分が好きなドッジ弾平派、(5) Offence Defence~の部分の好きなダッシュ勝平派くらいに派閥が分かれるのではないでしょうか。((4)と(5)はドッヂボールとバスケットボールで分けましたが実質的に1つです…。マイケルジャクソン派(Human Nature)もいるのかな…。)
ということで、王道的なAメロ、Bメロ、サビを2度繰り返してブリッジからサビという流れを踏まない構成が魅力です。自分は、一曲なのに、境目がはっきりした4つのメロディで構成されていることから「アクロバットたちよ」には「ひし餅」と渾名をつけています。(ひし餅は通常は3色だそうですが)


ナタリーのインタビューで本人も語っているように、音楽的なチャレンジを常に続ける、まさに ORIGINAL LOVEオンリーのサウンドが、楽曲構成ひとつとってみても実現しているように感じます。


みんなが聴いてくれるような状況になったっていう。前作の「ラヴァーマン」を出した頃とは明らかに状況が変わっていて。今は音楽的なクオリティを追及している若いバンドがいっぱい出てきて、自分のやってきた音楽がすごくやりやすくなった気がするんです。そういう状況だからこそ今回は、「ORIGINAL LOVEがやらなきゃ誰がやる?」というようなサウンドを突き詰めていこうと思って。それが結果的に今の時代のムードとシンクロして若々しく響いているのであれば、自分にとってすごくラッキーなことだと思いますね。
音楽ナタリーインタビュー記事



さて、次に「アクロバットたちよ」というタイトルについてです。
今回のアルバムは、(表題作含め)ラブソング多めだった前作から打って変わって、ラブソングを抑え目にして、メッセージソング、ファンに語り掛けるような歌詞が多いように思います。「ゼロセット」しかり、「空気-抵抗」や「逆行」そして「bless You!」もそうです。
アルバムを語る際に、田島貴男本人も「人生賛歌」という言葉を何度も口にしますが、それよりも、「You!」に向かって語り掛けるアルバムになっていることが最大の特徴であるように思います。そこが「I'm a Lover Man」と歌っていた前作との一番の違いです。

ということで、タイトルそのものが語り掛けの形を取っている「アクロバットたちよ」は、現代社会に生きるすべての人の人生を、アンバランスなロープの上を危うく進むアクロバット(曲芸師)に喩えた、まさにアルバムの顔となる名曲だと思います。
変なタイトルですが、自分は好きです。ひし餅も好きです。
あと、重要なことを忘れていましたが、「逆行」のあとに聴く「アクロバットたちよ」がまたいいのです。引き際を見つけられない危険なアルバムです。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(1)ハッピーバースデイソング

オリジナル・ラブの新作 『bless You!』が2/13に遂に発売となりました。
オリジナル・ラブについては、それこそ『街男 街女』の頃からアルバムが出るたびに、色々と駄文を連ねていたこのブログとしては、今回もとても楽しみにしていたのです。
が、アルバム発売直前になって、思いもよらない不幸な出来事が(自業自得的に)自身を襲ったことは、このあと、自然と触れていくことになるでしょう。*1

『ラヴァーマン』から 『bless You!』へ

さて、最初に取り上げるのは「ハッピーバースデイソング」です。
前作『ラヴァーマン』は2015年6月発売だから、それから4年近く経っています。『白熱』が2011年7月、『エレクトリックセクシー』が2014年6月なので、白~エレがほぼ3年、エレ~ラヴァーがほぼ1年、そこからするとかなり間が空きました。
その間のオリジナル・ラブといえば、ライヴ活動自体は休みなくこなす間に、リリースとしては、2016年に25周年記念シングル「ゴールデンタイム」を発売。そして2018年4月(自身の誕生日4/24)に「ハッピーバースデーソング」をVictorから発売。この段階で、オリジナル・ラブのメジャー復帰が明確になり、今回のアルバムへと繋がっています。

2曲のシングルと第一印象

2016年、2018年に発売された2枚のシングルで比べると、(今となっては)インディーズ時代最後のシングル「ゴールデンタイム」に圧倒された自分からすると、「ハッピーバースデーソング」には物足りなさを感じました。というのも「ゴールデンタイム」は、アルバム『ラヴァーマン』と完全に地続きで、「これこそが最新型のオリジナル・ラブだぜ!コラーッ!」と、世の中に物申したいほど感動していたのですが、それと比べると、「ハッピーバースデーソング」は、『ラヴァーマン』にも「ゴールデンタイム」にも繋がらない、所在ない感じがしたのです。
なお、ゴールデンタイムの公式Youtube動画はこちら↓。カッコ良過ぎる!*2

ORIGINAL LOVE ゴールデンタイム


話を「ハッピーバースデイソング」に戻しますが、確かにテーマは良いです。
「優しい人も冷たい人も」「友達も知らない人も」誰もが平等にひとりに一日与えられている誕生日を題材にしたこの歌は、オリジナル・ラブのファンではない人にまで射程を向けた歌です。自分は、まさにこういうのを 田島貴男に 歌って欲しかったのです。
しかし、そこからの自分の思考は、他の人がついてこられないかもしれません。
自分はこう考えました。
とても良いテーマなんだけど、同じテーマを歌ったゴダイゴ『ビューティフル・ネーム』と比べると、弱い。

【超絶かっこいい】Godiego / ゴダイゴ - ビューティフルネーム(Beautiful Name)


何か色々と間違っている気がしますが、そんなこんなで、「ハッピーバースデイソング」は、ケータイに入っていても何度も繰り返し聴くタイプの曲にはならなかったのです。

『bless You!』の中での「ハッピーバースデイソング」

ところが、このアルバム『bless You!』で「グッディガール」の後にかかる「ハッピーバースデイソング」の、完成している感じ、これ以外にはあり得ない感じに、驚いたのです。MUSICAのアルバム評でカジヒデキが以下のように書いています。やっぱり、ここでしょ。そうだよね!と心の中でカジヒデキとハイタッチしました。

アルバム全体は超音楽マニアの田島さんらしく、ソウルもロックもファンクもSSWやポップスも全てが見事に溶け合っていて、そのスリリングさと心地よさに完全にやられます。特にM4からSSW系*3の名曲M5への流れの凄さ、これは田島さんじゃなければ出来ない!新しい物を取り入れる情熱と攻め方にも脱帽。絶品です!

そして、このアルバムが最高である理由は、最初に言ってしまうと表題作「 bless You!」にある*4わけですが、この曲との歌詞の内容の親和性の良さが際立っています。
CDJournalの記事を読むと、アルバムの中では「 bless You!」「ゼロセット」「ハッピーバースデイソング」の3曲がアルバムの中では先に形になったということなので、シングルで聴いたときには、既に 「bless You!」という大ネタを隠し持っていたということでしょうか。それはそれで凄い気がします。(注:のちに他のインタビュー記事なども読むと、「bless You!」自体は、一番最後に出来た曲のようです。CDJournalの記事は曲作りではなく、アルバムレコーディングのことについて語ったもののようです)
なお、 「ハッピーバースデイソング」 はほぼ一人なのですが、ソロ演奏は手伝ってもらっているようです。

―「ハッピーバースデイソング」のソロを弾いている岡安芳明さんは、田島さんのジャズ・ギターの先生ですよね。
「あれも素晴らしかったです。〈ハッピーバースデイソング〉はスティーヴィー・ワンダーみたいな曲だと思うんですけど、全部打ち込みなので、ソロはジャズ・ギターを入れたくて、3~4年前から教えていただいている先生にお願いしたんです。すっごく岡安さんらしいソロですね。ジョージ・ベンソンケニー・バレルのフレーバーを感じさせます」
“生命のありさまみたいなもの”---ORIGINAL LOVE『bless You!』

おー!この方がジャズ・ギターの先生なのですね。
客演も素晴らしいアルバムですが、「 ハッピーバースデイソング」にもそれが表れています。


という感じで、今後も続きます。
昨年4月の人見記念講堂のライヴ(個人的には、最初に「ゼロセット」等のアルバム曲を最初に聴いたライヴ)の感想を読んでいたら、カシオの腕時計「OCEANUS」の田島貴男インタビューへのリンクがありました。ちょっと、恰好が凄すぎて、ロバート秋山の「クリエイターズファイル」を彷彿とさせますね。何で当時そう思わなかったのか不思議です。
oceanus.casio.jp


参考

MUSICAのインタビュー記事は鹿野淳の熱が強いです。この人がワンオクロックの人(森進一と森昌子の長男)なのですね…

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]


人見記念講堂のライヴを聴いたときは、もしかして新作は『エレクトリックセクシー』寄りなのか…?と思ったことを思い出しました。
pocari.hatenablog.com

*1:ぼやかして言うと、何がしかのネットの不具合により、田島貴男氏のツイッターが読めなくなってしまった…笑

*2:なお、MUSICAのインタビューなどを読むと「ゼロセット」はアルバムの中で最も早く、3年近く前に出来ていたそうです。歌詞は書き直し等あったようですが、再スタートという着眼点が「ゴールデンタイム」と似ています。

*3:SSWってどんな音楽ジャンルなんだろう?と思ってググったらSinger Song Writerの略だとか。知りませんでした…

*4:私見ですが、ほとんどの人がそう思っているのでは…?

またトトロを観たくなる!~木原浩勝『ふたりのトトロ』

ふたりのトトロ -宮崎駿と『となりのトトロ』の時代-

ふたりのトトロ -宮崎駿と『となりのトトロ』の時代-

本を読んだきっかけ

最近TBSラジオのデイキャッチ!終了のニュースに驚いているが、podcastやラジオ(いPhoneアプリのラジオクラウド)はもはや生活の一部。
その中でも、やっぱりこの人は話が上手いなあ、よくここまでの情報量を詰め込んで話せるなあと思うのが、岡田斗司夫。(過去に騒動もあり、この人の悪い面も色々と見えましたが、話はやっぱり面白い)
中でも金曜ロードショーでの放送に合わせたジブリ作品の解説が異常に充実していて、それほどジブリを知らない自分も楽しく聴いている。


ただし、実際に、自分が見たことのあるジブリ作品はラピュタとトトロと千と千尋、そしてポニョくらい。 恥ずかしくて人前では言えないが 、ナウシカは見たかどうか微妙で、『火垂るの墓』を観ていない。
この前、小5の娘に聴いてみたら、ポニョ以外は観たことがないというので、近くにあるジブリ美術館に行く日はまだ遠いか…。

トトロ制作時の宮崎駿を一番近くで見た人による裏話

閑話休題
岡田斗司夫podcastの影響から、ジブリの蘊蓄本を読んでみたいと思った自分が手に取ったのは、トトロを扱ったこの本。
表紙にも書かれているよう、「元スタジオジブリ制作デスク」である木原浩勝さんによる制作裏話で、タイトルは、トトロという作品が宮崎駿の以下のような声掛けから始まったことが理由。

木原君、2人で『トトロ』を始めます

当時、まだ新人の範疇(26歳)だった木原さんが制作デスクに指名されて、そこから『トトロ』が始まったという。だから、宮崎駿のことを一番近くで見てきた人によるトトロということになるだろう。


細かい内容は割愛するが、意外だったのは、この本にほとんど文章だけで構成されていること。ポスターの構図や具体的なカットの説明も出ているのに、実際にその画面や絵コンテが登場しないのは、やはり著作権が理由なのだろう。
しかし、読み進めると、何回か見ている作品ということもあり、頭の中で補いながら読むのに慣れ、むしろそちらの方が、アニメ映画制作のドキュメンタリー映画を見せられているようで面白い。
特に、アニメ制作の場において、動画スタッフと原画スタッフの仕事の進め方がフロー図(p97)も付して説明されていた部分は、とても勉強になった。(トトロは原画スタッフによる動画チェックを頻繁に行った点が、過去作とは異なっていたとのこと。)

吉祥寺、秋川渓谷聖蹟桜ヶ丘

木原さんも最後に振り返っているように、現場は毎日笑いが絶えず、いい雰囲気の中でつくられた映画だということで、制作裏話といっても楽しい話の割合が多いと思う。
中でも制作が中盤に差し掛かり、スタッフ内に疲れが溜まっていた9月の時期に、宮崎駿が「強化キャンプ」と称して、秋川渓谷に日帰りでキャンプに行こうと持ち掛けた話が好きだ。そもそもスタジオは吉祥寺にあったこともあって東京の多摩地区(23区以外)の話が多く、そこが好きなところでもあるが、秋川渓谷の大岳キャンプ場は聖地巡礼的な意味でも行ってみたい。
また、トトロ制作の初期には、一部スタッフが聖蹟桜ヶ丘にロケハンに行ったことも触れられているが、これは桜ケ岡公園のことなのだろうか。最近よく行くマラソンコースなので、これも嬉しい。

トトロの解釈や高畑勲作品について

トトロについてほとんど触れなかったが、あとがきに、いわゆるトトロにまつわる都市伝説(物語後半でメイの影がなくなっているのは、既に命を落としたあとであることを示している等)について、製作側の意見が示されているのも興味深い。
また、当然、かなりの時間をかけて作られたシーンも今回分かったので、改めてトトロを見直してみたい。できれば家族みんなで観てみたい。


なお、この本の執筆中に高畑勲監督が亡くなったということで、それについてもあとがきで触れられている。『となりのトトロ』と同時上映だった『火垂るの墓』、そして『かぐや姫の物語』など、高畑勲監督の作品についてもちゃんと観ておきたい。
なお、木原さんの、この本の一つ前の作品となるこちらもすぐに読んでみようと思う。(なお、木原さんは怪談で有名な方だとか。そちらの方も気になります)

「恋愛スピリッツ」こそが作品最大の魅力~『ダーリン・イン・ザ・フランキス』

人類は荒廃した大地に、移動要塞都市“プランテーション”を建設し文明を謳歌していた。その中に作られたパイロット居住施設“ミストルティン”、通称“鳥かご”。コドモたちは、そこで暮らしている。外の世界を知らず。自由な空を知らず。教えられた使命は、ただ、戦うことだけだった。敵は、すべてが謎に包まれた巨大生命体“叫竜”。まだ見ぬ敵に立ち向かうため、コドモたちは“フランクス”と呼ばれるロボットを駆る。それに乗ることが、自らの存在を証明するのだと信じて。かつて神童と呼ばれた少年がいた。コードナンバーは016。名をヒロ。けれど今は落ちこぼれ。必要とされない存在。フランクスに乗れなければ、居ないのと同じだというのに。そんなヒロの前に、ある日、ゼロツーと呼ばれる謎の少女が現れる。彼女の額からは、艶めかしい二本のツノが生えていた。「――見つけたよ、ボクのダーリン」

ダーリン・イン・ザ・フランキス、略して「ダリフラ」。
あっという間の全24話でした。
昨年放映時から気にはなっていたものの、昨年末くらいのタイミングで Amazon見放題に入ったのを機に観てみることに。


もう一つ偶々の流れがあって、ちょうど昨年の秋アニメとして全話観た『SSSSグリッドマン』。これが、円谷の実写作品をアニメ化した内容と聞いて想像するのとは違い、エヴァンゲリオンを彷彿とさせる好みの内容で何より絵が綺麗。
しかし、13話(1クール)では全く話が終わらずとても残念だったのです。
特に、自分の好きなタイプのキャラクターであるアンチ君(主人公の敵役だったはずなのに、対立関係を保ちながら主人公を助ける役回りとなる。例.ガイバーのアプトム)が今からもっと活躍を!というところで残り話数が僅かになってしまったのがとても心残りでした。


そんなときに観始めたダリフラ
グリッドマンと同じくトリガー製作ということもあるのか、これも、かなりエヴァンゲリオンの世界観のままの物語。
才能のある少年少女がロボットを操縦する、という基本事項だけでなく、使徒もいるし、NERVもゼーレもある、当然、人類補完計画もある(笑)。
でも、これを観て、やっぱり自分はエヴァが好きなのだなと思った。大歓迎です笑

男女2人乗りで操縦するロボット「フランクス」

色んなところがエヴァそっくりなダリフラですが、彼らが乗るロボット「フランクス」には、エヴァとは異なる大きな特徴があります。
それは、男女2人乗りで操縦するロボットであること。*1
勿論、パシフィック・リムと同じく2人の気持ちが一つにならなければ操縦できないというのは当然ですが、問題は、 初めて見たとき「ええええ!!」と思った コクピットの形状。(未見の方はググってください…)
ただし、全話を見終えてみると、この形状は、実際にはそれほど実用的な意味があるわけでなく、単なる視聴者へのほのめかし(笑)だったのでした。


つまり、主人公たちは10歳くらいで、14歳だったエヴァパイロットたちよりもかなり年下なのですが、4体のロボット(フランクス)に乗る8人の少年少女が、いわゆる思春期を過ごす中で、性的な部分に興味関心を持って行くというのが、ダリフラのひとつの大きな魅力でした。


自分が大好きなエピソードは11話のパートナー・シャッフル。
主人公ヒロとそれに思いを寄せるイチゴ。また、そのイチゴを好きであることを意識し始めたゴロー。10話までの物語が彼らにスポットライトを当てていたので、その部分をシャッフルすると思いきや、ミツルとイクノという8人の中ではあまり目立たない2人の心の内を見せます。
ここでのミツルの感じは、とてもよく分かります。ミツルがヒロとフランクスに乗りたい(男→男)と思っていたのは、ゲイだとかバイセクシャルだとかそういうことではなく、このくらいの年頃だったらあることのように思うのです。一方でフランクスに一緒に乗る相手としてイチゴを指名したイクノは「本気」(女→女)だったことが、この11話だけでなく後半の話でも分かります。あとでも触れますが、後半の物語上の失速は、この「嫉妬」要素が不足していたからだと思います。

嫉妬と諦め、そして「相手」への嫌悪が「恋愛スピリッツ」

さて、この物語は、終盤の展開に不満を抱いている人が多くいるのですが、その理由は、話自体が大きく不連続になるタイミングが2度あるからだと考えています。
まず、ダリフラを薦めてくれた方が、実質最終回と言っていた15話。
ダリフラの一つのポイントは、ヒロインであるゼロツーが暴力的で、そもそも人ではなく、過去にパートナーの少年を何人も(実質的に)殺してきたというところがあります。
それでも、彼女を好きになるヒロ。
そして、幼少時からヒロのことを想い続けるイチゴ。
さらに、イチゴへの気持ちに気がついたゴロー。
このドミノ倒し的片思い連鎖こそが、15話までのダリフラの魅力だったわけです。
自分の大好きな歌に、チャットモンチーの「恋愛スピリッツ」があります。

あの人をかぶせないで
あの人を着せないで
あの人を見ないで私を見てね
あの人がそばに来たら
あなたのそばにもし来たら
私を捨ててあの人捕まえるの?
あの人がそばにいない
あの人のそばに今いない
だからあなたはわたしを手放せない

この感じです。
仲が悪いわけではない。相手からの好意がゼロではない。でも一番じゃない。
特に、実質的に第2の主人公であるイチゴの「恋愛スピリッツ」(嫉妬と諦め。そして「あの人」への嫌悪)が溢れていたからこそのダーリンインザフランキスでした。


それが16話以降はなくなります。
ゼロツ―が「いい子」になってしまったため、ドミノが止まって、イチゴの気持ちが落ち着いてしまったのです。
16話以降で「恋愛スピリッツ」を出したのは、18話のイクノくらいで、15話以前とはかなりトーンの違う作品になってしまいました。

ナインズの活躍がもっと描かれることを期待した20話以降

ということで、15話までと16話以降では物語が断絶しているのですが、それ以降で物語の断絶があるのは、やはり20話「新しい世界」です。ここでは、19話まで伏せられていた物語の核心部分が突如明らかにされます。
16話以降、18話のミツルとココロの結婚式や、その後のココロの妊娠など、自分はドキドキしながら見ていました。(ミツルの髪型変更も良かったです)
一方で、2人の記憶を奪ったAPE(エヴァでいうゼーレ)に対する憎しみを深め、さらに、APEからの指示にひたすら従うナインズの優等生たちも憎々しく思っていました。
本当ならば、最終回に入る前に、ナインズ達と13部隊の対決がきちんと描かれるべきだったと思います。
しかし、20話で、人類の本当の敵は叫竜ではなく、別にいた(VIRM)ことが分かると、ナインズ達は、急速に後退してしまいます。これは本当に残念です。
最終話を改めて振り返ると、ゼロツ―の正体や、APEの目的など、伏線回収はかなりしっかりやりつつ、「戦い」が終わったあとの、登場人物の生活にも目を向けたラストになっていて、ある意味では行き届いた作品になっていたのでした。
その一方で、15話まで見ていて高まった期待にも、19話まで見ていて高まった期待にも応えず、さらに新しい方向に向かってしまったのが、20話以降のように思います。あと、フランクス博士は「ただのマッドサイエンティスト」ではなく、もう少し感情移入できて「可哀想な博士」と思わせてくれた方が良かったように思います(笑)。


ただ、(グリッドマンもそうですが)技術的なところはよく分かりませんが、絵の綺麗さはピカイチでした。重要な場面で現れる桜もそうですが、ゼロツ―の髪の色は本当に画面に映えていて、美しいピンク色が印象的な作品でした。
グリッドマンを見て13話では足りない、と思った自分ですが、ダーリンインザフランキスを見ると、24話やってある程度の伏線回収まで済ませたとしても、まだモヤモヤとした気持ちは残ってしまうのだなあ、と思いました。ダリフラは物語の断絶部分があるから、そこで置いていかれると(気持ちが前の物語に引きずられると)不満は特に大きくなります。
ただ、そこらあたりの不満は分かった上で、ストーリーも一部変更しながら漫画版が進行しているというので、ちょっと漫画版にも期待したいです。そして次に観るアニメは、このダリフラエヴァとスタッフが重なるというグレンラガンかな…。

ダーリン・イン・ザ・フランキス 1 (ジャンプコミックス)

ダーリン・イン・ザ・フランキス 1 (ジャンプコミックス)

*1:男女2人と聞くと、ウルトラマンエースを思い出す人もいるようですが、自分の中では、ダントツに桂正和の『超機動員ヴァンダー』です。コミックスは2巻で終わってしまったけど、もっと続いてほしかった…

新年の一冊〜デヴィッド・フォスター・ウォレス『これは水です』

これは水です

これは水です

卒業式スピーチとしては、2005年にスティーブ・ジョブズスタンフォード大学で行なったもの(「ハングリーであれ、愚直であれ」)が有名だが、同じ年にケニオン大学で負けず劣らぬ名スピーチをしたデヴィッド・フォスター・ウォレスという作家がいた。
本書はそのスピーチ「これは水です」の完訳版である。
「考える方法を学ぶ」ことが人生にとってどれほど重要かを、平明かつしなやかな言葉で語った本スピーチは、時代を超えて読む者の心に深く残る。(Amazonあらすじより抜粋)

書評などを見て「これはいいかも」と思ったタイミングと、実際に本を読み始めるタイミングには、かなりのタイムラグがあることが多々あり、その場合、なぜ「これはいい」と思ったのかが分からないまま最初のページをめくることになります。
この本はまさにそれで、普段、自己啓発書の類に全く興味のない自分が、卒業式スピーチの本をなぜ選んだのか、頭を捻りながら読み進めた本です。
魚にとっての「水」のような、ありふれているが一番大切な現実というものは、口で語るのが難しい、という話から始まるこのスピーチ。
ふむふむ、リベラル・アーツは重要だねと思いながら終わりまで読み進めたあとで、巻末の訳者解説で(普通は読む前に知っておくべき)驚きの事実を知りました。


このスピーチを行った デヴィッド・フォスター・ウォレスは、このスピーチの3年後(2008年)に46歳で自ら命を絶っているのです。


しかし、まさにそのスピーチの中では、自殺について次のように語られています。

銃で自殺する大人のほとんどが撃ち抜くのは、頭部なのですが、少しもこれは偶然ではない。
こうして自殺する人の大半は、じつは引き金を引く前から、とうに死んでいるのです。
あなたがたの受けたリベラル・アーツの教育に、リアルでのっぴきならぬ価値が
あるはずだとすれば、ここだと思います。

確かに、このスピーチは変わっていて、卒業生に対して「可能性は開かれている」「人生は希望に満ちている」という話をしません。
スピーチの中では、アメリカの社会人の暮らしの大部分をなすもの(そして、それは卒業式のスピーチで誰も言おうとはしないもの)として「日常」について繰り返し書かれています。

  • 卒業していくみなさんがその意味を知らない「来る日も来る日も」
  • そこにあるのは、退屈、決まりきった日常、ささいな苛立ち
  • 無意味としか思えない日常
  • あくる日も、あくる週も、あくる月も、あくる年も、延々とつづく日常

ここで説明されるのは、そうした「日々のタコツボ」の中で、考え方の初期設定(デフォルト)を、継続的に調整していくことの重要さについてです。
無意識のままに嵌り込んでしまう考え方や価値観(典型的には、自己中心主義)は、絶えずせきたてられ、不安に駆られるような感覚をもたらし、そこから自由にならなければ、「銃で自分の頭を撃ち抜きたいと思うようになる」とさえ、ウォレスは、スピーチの中で説明しています。
正直に言えば、このスピーチ自体は、自分に直接響く言葉は無かったし、多くの人の熱狂を生むような強度の強いフレーズは無いように思います。
しかし、46歳でこの世を去ったウォレスが43歳のときに行ったスピーチであることを考えると、そして、それが「退屈な日常との向き合い方」という、自分にとっても逃れられないテーマであることを考えると、おざなりには扱えないように感じられてくるのです。
ちょうど、この本を読んだのが2019年の始まりということもあり、 少しでも視野を広げ、自己をブラッシュアップしていけるよう、日々、触れる情報や、自分の行動選択に対して意識的であるようにしたいと思いました。

ほんとうに大切な自由というものは、よく目を光らせ、しっかり自意識を保ち
規律をまもり、努力を怠らず、真に他人を思いやることができて
そのために一身を投げうち、飽かず積み重ね
無数のとるにたりない、ささやかな行いを
色気とはほど遠いところで
毎日つづけることです。p129