Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

食糧自給率は低いほうがよい*1

野口悠紀雄の文章は実に論理的でわかりやすい。
食糧自給率について、輸出入との関連で、心配不要を説く声は聞いたことがあったが、心配無用というよりも、「むしろプラスだ」という考え方があるとは思わなかった。

アメリカでのBSE牛海綿状脳症狂牛病)やアジアでの鳥インフルエンザの発生など、食生活の安全を脅かしかねないニュースが相次いでいる。
こうしたニュースを聞いてつくづく思うのは、日本が食料を外国に依存し、供給源を分散しているのは有り難いということだ。

勿論、一国がすべての産業に手を出そうとするのは、効率が悪くなるのは当然で不得手なものからは手を引くべきだ。ものの本によると日本の産業の問題点は、その労働生産性の低さにあるそうだ。

おのおのの国は、必要なすべての物資を自給しようとするのでなく、より得意な分野に特化する。そして貿易をする。それによってお互いがよくなる。われわれは農業国として生きる道を捨て、工業国の道を選択した。もし日本が農業国にとどまっていたなら、大部分の日本人は、いまでも低い生活水準にあえいでいたことだろう。日本は農産物の自給率低下を通じて豊かさを手にいれたのであり、その選択は正しかった。

非常に説得力がある。理屈として正しいのはわかる。
しかし、違和感を感じる。どうしても不安に思ってしまうのは、これまで30年間ずっと煽られ続けて育ってきたせいだろうか?
野口悠紀雄は、こうも言う。

自給率が低いから心配」というのは、国内供給者の論理なのである。われわれは、そうした議論に惑わされることなく、消費者の立場から問題の本質を見きわめなければならない。
もちろん、供給者の論理は、政治的にはきわめて強い。実際、われわれは、そうした圧力に押されて、これまで農業に多大の補助金を注ぎ込み、高くてまずい国内農業産品の消費を強制されてきた。その典型は米である。

違和感の原因は、ここまで「消費者の立場」と割り切れない感情を多くの日本人が持っているからではないかなあと思う。そして、それはそれで正しいような気がする。カリフォルニア米の方がうまいかどうかは知らないが、日本のお百姓さんが一粒一粒丹誠を込めてつくったお米の方がありがたいに決まっているじゃないか。と思ってしまう。
また、環境面から言っても、日本の国土保全の一翼を担ってきたのが、まさに農林業ではないかという思いもある。
そして農業というのは、日本人にとって土台となる部分であり、日本の歴史・文化の軸となる部分なのではないか。*1「農業のない風景」を思い浮かべてみると、それはやっぱり日本じゃない。
そういう意味では鉄腕DASH糸井重里などの農業を盛り上げていく仕組みの方に僕は目を向けてしまう。*2

*1:と書いていて、随分右翼っぽい自分もいるのだなあと感じてしまう。農業の問題は反グローバリズムの問題でもあるのだろう。

*2:しかし、一連のWTO農業交渉のニュースで、コメの関税が490%などというのを聞くと、「おいおい」とも思うのだ。難しい。