Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

斎藤孝『三色ボールペン情報活用術』★★★★★

三色ボールペン情報活用術 (角川oneテーマ21 (B-43))
斎藤孝『読書力』を読んで以降、三色ボールペンの虜になっている。うまく使えているかは別として、小説以外の本を読むときは基本的に三色ボールペン*1を手にしている。そこで、この方法により親しむために、『三色ボールペン情報活用術』なる本を買ってきた。
「何を今さら」の感もあるが、斎藤孝の提唱する三色方式とは何かといえば、情報を読む(書く)ときに、以下の三色を使って色分けを行う、というものだ。

  • 赤:客観的に見て、最も重要な箇所
  • 青:客観的に見て、まあ重要な箇所
  • 緑:主観的に見て、自分がおもしろいと感じたり、興味を抱いたりした箇所

この方法の優れているところは、主観と客観の区分に意識的になれること、物事の優先順位をすぐに付ける癖がつくこと、そして何より、三色ボールペン一本で足りることだろう。
まず一点目の主観と客観についてだが、斎藤孝曰く「日本では主観と客観をきちんと分けて話すことのできる人が意外に少ない(P58)」。先日読んだ中島義道『<対話>のない社会』での日本社会の問題点も、三色で言えば、以下のような説明になるだろうか。

発言する側の表現は「赤、青」(立て前)が優先され、「緑」(本音)は極力少なくすることが好まれる。一方で、受け取る側は、表面上の「赤、青」よりも、言外の意味としての「緑」をくみ取る必要がある。
日本社会には、こういったダブルスタンダードが染みついており、結果として、言葉が軽視される傾向にある。

本文中でも繰り返されるように、赤、青、緑のバランス感覚が必要なのだが、小中高大を通して、意識してバランス感覚を育てるような機会はほとんどなかった。
二点目の優先順位について。資料を読む際に、常に「赤」「青」「色無し」の三段階に分ける癖をつけることで、緩急を付けて読むことが可能になるし、表現する際にもまたしかり、ということだ。また、実際に作業する段階で、赤(最も重要)の印はつけにくいから、青(まあ重要)があることにより、資料を読む際にどこに線を引こうかと考え込むことが無くなる。
三点目は、この方法の最も優れている点だと思う。例えば、三色ボールペンだけでなく、さらに付箋が必要な方式であれば、(付箋は手元にない/なくすことが多いから)きっと長続きしない。文具店で400円も出せばすぐに始められる、非常に取っつきやすい方法である。この点、野口悠紀夫の「超」整理法も、始めるための道具は少ないという共通点はあるが、あれは、なかなかコペルニクス的転回が必要な方法で、道具は少なくて済むが、かなりの勇気を必要とする。そう言う意味では、心理的な抵抗感も無く、するっと始めることの出来る素晴らしい方法だと思う。
少し話がずれるが、斎藤孝の本全般に感じられる「優しさ」は、こういった本によくある「成功−失敗」という殺伐とした要素がほとんどなく、全世代に可能な生涯学習の要素が強く出ているからだと思う。
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さて、斎藤孝はアイデアの源は「緑」であるとし、異なる要素を「緑」(感性)で統合する作業として、引用を推奨する。

複数の本から引用したい文章というものを何種類かもってきて、パソコンに打ち込む。そして、それを繋いでいく地の文章を作る。まさに「三題噺」的な編み出し方をよくやるのである。(P179)

これこそまさしく、このブログを更新する際に、考えていることだ。読書感想*2は別として、特に時事問題を取り上げるときは、なるべく、異種の話題を何とかしてくっつけてやろうと目論んでいることが多い。僕は、いつも以下のようなエントリにはならないように気を付けている。

  • ニュースサイトのリンクとコメントのみ(緑のみ):言いっぱなしで説得力がない。
  • ニュースのまとめで自分の意見がない(赤・青のみ):時間がかかる割に、あとで読んでも、その頃の自分が何を考えていたかわからない。

と、格好付けて書いているけど、実際には、自分の意見に自信がない、というのが、一番だろう。先日の靖国問題のやつもそうだが、複数の文章を引用すれば、それほど偏った意見にならないという安心感がある。本当は、基礎的素養(赤・青)を積み重ねてこそ、骨格がしっかりとした文章になるのだろうが、そこら辺はもう少し修行が必要だ。三色ボールペン片手に鍛えることにします。

*1:実際には黒色を含む4色ペンを使っている。赤青緑のペンはあまり無い。

*2:読書感想で「要旨」をあまり書かないのは、時間がかかる地味な作業だから。ホントは筋トレ代わりに必要かもしれないとも思っている。ただ、amazonに行けばあらかたのことはわかるので気にしない。