Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

矢作弘『大型店とまちづくり』★★★★☆

大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))
随分前に読んだ本だが、ちょうど先日、与党の「まちづくり3法」改正案が明らかになり、これに関するR30さんのエントリが素晴らしく素晴らしかったので、乗っかって感想を書いておこう。
この本で中心的に述べられていることは、あとがきの冒頭の文に短く示されている。

まちづくりで問われていることは、この十余年、大型店問題に関して日本は、世界の先進諸国・都市が目指してきた方向とは、ひたすら逆に疾走してきたという事実である。その認識からスタートしなければ、効果的なまちづくりははじまらない。

日本には、かつて、大型店の厳しい立地規制をしていた「大店法」があったが、米国からの批判もあり、徐々に緩やかに改正され、2000年に廃止、代わりに大店立地法を含む「まちづくり3法」が制定され、大型店の出店は原則的に自由となった。
しかし、欧米先進国・都市は、それと逆行するように1990年代以降、大型店の立地を厳しく規制し、その開発を中心市街地に誘導する政策を強化してきたというのである。(P18)
特に、米国では、ウォルマートに代表される大型店舗への反対は大きく、各都市で、さまざまな規制(面積による出店規制や、出店影響調査の義務づけ、閉鎖店舗の解体費用を事前に取り置く預託金制度など)が行われている。それぞれの事例についての詳しい解説が、この本の主な内容である。
これまで、地方自治体が大型店を積極的に受け入れてきたのには、固定資産税等の税収増への期待があったが、長期的な視点で見れば、社会的・経済的コストの負担が多く、釣り合わないことが多い、というのが、米国等では一般的な見方になっているようだ。(P110)そのことは、本書で何度も登場する「焼畑商業」という言葉に端的に示されている。つまり、こういった大型店は、儲かる間は商売を続けるが、ひとたび店舗効率が悪化すればたちまち閉店し、ほかに新しい店を出す、そういう経営を前提に、短期的利益を追求した安普請の店舗を増やしている、というのである。
 
さて、そういう点から言えば、今回の改正案(下)は正しい方向ではないか?

大型店の郊外出店を制限、1万平方メートル以上対象・政府案
 政府・与党が検討している都市計画法の改正案が20日、明らかになった。延べ床面積1万平方メートル超の小売店など大型商業施設が建てられる地域を中心部の商業地域などに限定する。郊外への店舗進出に歯止めをかけ、停滞する中心市街地の活性化を促す狙いだ。ただ、大手スーパーなどの自由な出店を抑えることになり、積極的な郊外出店を進めてきた各社が戦略見直しを迫られる。

いや、そうではない、というのが、R30さんのエントリだったわけだ。
 

自治体、住民、商店主たちの自治への自覚が必要

翌日の日経の社説が、ほとんどR30さんのエントリの内容に沿った主旨のものだったが、ここから引用すれば、

 だが、中心市街地衰退の責任を大型店に押しつけるこの規制強化には大きな問題がある。前提となる事実を見誤っているからだ。中心市街地がさびれたのは、地方都市が車社会となり住宅も郊外に広がった結果である。消費者にとって最も便利な商業施設である幹線道路沿いの郊外型大型店が発展したのは当然だった。
(中略)
 言われるまでもなく地方都市の荒廃は放置できない状態になっている。郊外地域が無秩序に開発された結果、お年寄りには住みにくく景観上も醜い街になってしまった。
 しかし、それは大型店出店規制のような経済規制をいくら強化しても止められるものではない。この惨状を招いた本当の原因は、自治体を筆頭に住民、さらには商店主たち自身がまちづくりや自治への自覚を欠いていたことなのである。
 今回の「まちづくり3法」改正の柱は都市計画法の改正である。にもかかわらず、そこでは日本の都市計画への反省や将来ビジョン、住民参加や情報開示のあり方など原点に戻った議論は全く行われず、中小商店街団体の政治要求だけが目立った。
 大型店規制に頼るみせかけだけの都市計画では中心市街地の復活が望めないばかりか、地方都市全体が衰えていくおそれもきわめて大きい。政府・与党の再考を強く求めたい。

つまり、今回の改正案は、大型店に中心市街地衰退の原因を押しつけるもので、根本的な問題に触れられていない、ということ。
R30さんのエントリは、さらに突っ込んで、やる気のない商店街の店主達こそ「退場」すべき、というもの。まさに正論。

 今市街地活性化のために本当に必要なのは、郊外の出店規制を再び強化することよりも、実は中心市街地にはびこる既得権益を取り除き、市街地での競争を激化させることのほうだと思う。「負け組の退出障壁」を下げないくせに、いくら郊外のプレーヤーを市街地に追い込もうとしても、誰もそんなお誘いには乗らないと思うんだが、どうなんだろね。

さて、『大型店とまちづくり』にも、自治についての話は、全編を通じて何度も繰り返して出ている。事例として取り上げられる90年代以降の規制強化の動きも、ほぼ全てが住民運動に端を発するものであり、こういった米国の地方自治の動きについて「地域デモクラシー」という言葉を使って終章にまとめがある。地域デモクラシーに必要なのは、地域に対する愛着であり、帰属意識である、というのだが、日本に真似が出来るのだろうか。
 
これについては、4章で国内の自治体の規制強化の動きがまとめられている。
章末では「商店街は、相互互助の商店街組織を卒業し、住民や企業を含めた地域全体の組織へ脱皮するべき」という考え方に対して、以下のように述べている。

しかし、疲弊した地方都市にあるシャッター通り化した商店街では、そうした志向性を望み難い。店主が高齢化し商売継続に意欲を欠き、後継者は東京や大阪で就職していて実家の商売や不動産価値に関心がない、という商店が多い。商機を窺う店主と、商売っ気を失った店主の間の溝が深く、そこに共通の利益を見つけだすことは不可能に近い。結局、黒壁運動が示したように、網羅的な商店街組織とは別の、意欲のある商店のみを結集する市民資本として商店街株式会社を設立することが必要となる。(P186)

やる気のないのに陣取っている商店の問題がここでも上がっており、米国のような層の厚い自治の動きは難しいと考えているようだ。
ちなみに黒壁は滋賀県長浜市にあり、中心市街地活性化の成功事例として取り上げられることが多い。今年、海洋堂のフィギュアミュージアムができたということもあり、是非一度行ってみたいなあ。
http://www.ryuyukan.net/
 

美しい景観とは?

少し、話題が飛ぶが、「美しい景観を創る会」というところが「悪い景観100景」というのを発表してはてなブックマークでも話題になった。
http://www.utsukushii-keikan.net/10_worst100/worst.html
はてブhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.utsukushii-keikan.net/10_worst100/worst.html
はてブのコメント欄は、ほとんどがこの企画への否定的な意見で占められたが、その気持ちはわかる。価値観の押しつけ的な雰囲気を強く感じるし、写真に添えられたコメントも短く的確ではなく、言いがかり的だ。しかも、100ある中には、都市景観だけでなく、ダム景観などもあるのに、全く分類されておらず、ページ自体がとても見やすいとは言えない。
しかし、こういった問いかけ自体には価値があると思うし、僕自身、事例に挙げられているような景観が「良い」とはとても思えない。特に、都市・郊外問わず、雑多な看板はどうにかならんかと思う。*1隣よりも目立つように目立つようにと競争した結果誰も見なくなる、という「合成の誤謬」が生じている。
一方で、こういった景観に対して無関心を通してきた自分、というのは、それこそアメリカ人と比べて、地元への愛着や帰属意識というものが薄いのだろうと思う。
『大型店とまちづくり』では、大型店だけでなく、ファストフード等のチェーン店へなフォーマット化された店舗を多店舗展開する「フォーミュラビジネス」への米国での反対運動についても取り上げられている。そういった「均質化店舗」によって街景観が金太郎飴化することを危惧する声が出て、そういった店舗の出店規制をしている都市もあるというのだ。(P83)
こういった発想自体が、日本では出て来にくいと思う。一方で、例えば、はてブのコメント欄で、「別に悪いと思わない」という人も、ヨーロッパの古い街に行けば、「やっぱり景観的にいいよね」と理屈ではなく単純な感想を抱くのではないか?僕もそうだが、それじゃあ自分の住んでいる場所はどうか?という発想にならない。だからどうしろという話は僕には出来ないが、こういった地元への愛着、帰属意識の問題は、日本において、非常に大きい問題だなあと改めて思う。
 
ここまでダラダラ書いたあとで、再度、大型店の出店規制をメインとしたまちづくり3法の改革案は、やはり片手落ちどころか、責任逃れ的な色が強いもののように感じる。「政府・与党の再考を強く求めたい」と日経社説の通り言ってみたくなる。

*1:ちなみに、感覚的には、パチンコ屋と消費者金融の看板+店舗の規制強化を行えば、それだけでもかなり変わると思うが、だめなんでしょうか?