Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

宇多田ヒカル『Keep Tryin'』★★★★

Keep Tryin’
宇多田ヒカルのニューシングルを聴いた。
最近のシングルは街で耳にすることがあっても聴こうとは思わなかったのだが、LISMOのCMで流れるサビ部分のメロディが印象的(というか変)だったので、だいぶ遅れたが木村カエラ*1のシングルと一緒に、レンタル屋でかごに入れる。
 

『Keep Tryin'』は応援歌か?

で、帰って聴くと歌詞が強烈。
僕には衝撃的だった「Traveling」の「ドアに注意」なんていう歌詞が思い出される。
宇多田ヒカルの、そういう何だかよくわからない歌詞は唐突に出てくるので、スガシカオのように「今まで誰も歌詞に書いてないことを書いてやろう」などという邪心(笑)*2ではなく、半ば天然で書いているのかと思っていた。
が、そうではなかったらしい。

「タイムイズマネー」
将来、国家公務員だなんて言うな
夢がないなあ

なんていう歌詞が、うまくメロディに乗って出てくるというのは、宇多田ヒカルにも「邪心」はあった、ということだろう。
 
さて、ブログ流行りの昨今の時勢に倣い、このシングル発売に合わせてブログが開設されている。

『Keep Tryin’』 Blog by DUOBLOG"
宇多田ヒカルがあなたの情熱を"応援"
誰もがこのうたの主人公。みんながみんなをがんばろうよ。あなたの挑戦し続けていること教えてください。

これを見ると、この曲は「応援歌」のようである。amazon評を見ても「前向き」な曲と受け取っている人が多い。しかし、頑張っても報われないことが多い世の中、ひたすら「頑張れ」と尻を叩く歌が前向きな歌なんだろうか、と僕は勘繰ってしまう。
歌詞の中では

ダーリンががサラリーマンだっていいじゃん
愛があれば

どんな時でも
価値が変わらないのはただあなた

というように「愛」に帰結させるような言い方もしているが、「結局報われないこと」の言い訳に聴こえてしまう。
一つの解釈としては、これはミスチル「CENTER OF UNIVERSE」のように、宇多田ヒカルの「やさぐれ期」のシングルで、「がんばれ」という投げやりなメッセージの背後には、本人の混迷が横たわっているのだと思う。

桜井和寿は、どんどん変わっていく日本社会に不安を覚え、ミスチルの2000年発表の9枚目『Q』収録の「CENTER OF UNIVERSE」で次のように歌っている。

誰かが予想しとくべきだった展開
ほら一気に加速してゆく
ステレオタイプ ただ僕ら 新しい物に飲み込まれてゆく
一切合切捨て去ったらどうだい?
裸の自分で挑んでく
ヒューマンライフ より良い暮らし そこにはきっとあるような気もする
(中略)
あぁ世界は薔薇色
総ては とらえ方次第だ
ここはそう CENTER OF UNIVERSE

この曲は、ジェットコースターのような疾走感のある歌なのだが、歌詞からは、桜井和寿の「やさぐれ」感が伝わってくる、ミスチル混沌期を象徴する曲だと思う。

 

『Keep Tryin'』のPVと「与えられた役割を果たす社会」

このシングルのPVは、めまぐるしく変わる宇多田ヒカルのコスプレが見られるちょっと変わったもの*3だが、これを日本の現代社会と重ねて分析する面白いエントリがあった。*4

この中でNINEさんは、さまざまな職業のステレオタイプな「モデル」が宇多田のコスプレに現れていることを取り上げ、まとめの方で以下のように述べている。

感情のパーツを引き出しから出し入れして「クール」に演じたり「無難」にやりすごすひとは、自らがコントロールできない感情をことばや行動で表に出すことを控えるようになります。それはホリエモン流に言えば「想定外の感情」であり、それに振り回されるよりも効率よく合理的な振る舞いを優先しなければいけないという得体の知れない圧力を感じてしまいます。

その結果他者と衝突する機会は減り、競争社会と相互不信の時代に負の感情だけが自分の内側で溜まっていきます。表面上は(それこそファーストフードの接客のように)おだやかに物事が進みながら、水面下で爆発しそうなほどの葛藤、苦悩、怒りがふくれあがっていると思います。
こうして感情が分裂したまま、「4」でのべた「人格に付加価値をつける競争」に巻き込まれていきます。いったい「自分」とは何なのかが分からないまま、空っぽの容器に水を注ぐように人格のプラスパーツで輝いたりマイナスパーツで自虐することがいつでも求められます。そして終わりのないレースの中で表面化しないままこころも身体もすり切れていく。 私たちは、パーツの組み合わせによる他者理解と競争に、いつしか「自分自身」の人格も巻き込まれていったのではないでしょうか。

NINEさんが当初感じた違和感の通り「個々の人格や仕事の差異、辛く悲しい部分を無視してマニュアルの最も無難な部分のみを演じているにも関わらず、それがあたかも現代の様々な人たちに届ける人生応援ソングの体裁を取っている」という奇妙さは、つまり、宇多田ヒカル『Keep Tryin'』は、人生応援ソングではないことを示しているのだということだろう。
 
これについて、「現代社会」という問題意識ではなく、「日本社会」というところに重点を置いた文章を、最近読んだ服部雄一『ひきこもりと家族トラウマ』*5の「自由を否定する日本社会」から引用する。

アメリカは建国以来、個人の自由を大切にする社会です。
(中略)
これに対して日本は与えられた役割を果たす社会です。
(中略)
与えられた役割は、よい成績をとること、文句を言わずに残業をすること、出世すること、期待された良い嫁になるなど、限りなくあります。日本人の生活はこうした隠然としたルールに縛られており、その役割を一つでも果たさないと世間の冷たい目によって肩身の狭い思いをさせられます。だからこそ、日本人はやる気や根性や我慢を強調して、世間から批判されないように生きるのです。
多くの日本人は、嫌なことをするのが人生だと思っています。忍耐と努力は日本人が好むテーマです。(P111)

服部雄一は、日本における、ひきこもり治療が「社会に戻すこと」「集団に働くこと」にフォーカスを置きすぎていることに違和感を持ち、そういう治療法の典型例をビデオで見せたところ、外国の心理学者から以下のような指摘を受ける。

  • 「彼らにどんな過去があるのか、彼らがどんな感情を抱いているのか、誰も関心を払っていない。こうした考え方が一般的だとすれば、ひきこもりは個人を否定する文化と関係している」
  • 「ひきこもりの背後には自己表現をゆるさない文化がある」

この本では、ひきこもりを引き合いに、日本社会の独自性が語られるが、宇多田の『Keep Tryin'』は、まさにそういった日本社会に根差したものだ。日米をまたにかける活動を行う宇多田ヒカルだからこそ書ける内容なのかもしれない。
つまり、敢えて応援ソングのかたちをとりながら、現代日本社会の問題点に焦点を当てたのが、今回のシングルのテーマなのではないだろうか。
 

下流社会から見た日本

結論じみたことを書いたあとで、内容がぶれるようだが、そういう解釈をしたとしても、僕としては解せない部分がこのシングルにはある。
歌詞でいえば以下の部分だ。

  • 挑戦者のみもらえるご褒美
  • 少年はいつまでも片思い

「いつかはチャンピオン」でも「思いは届く」でも無いのである。自分が挑戦者であることに甘んじ、思いが実らないことに諦めている、という構図は、決して明るいものではないと思う。
三浦展は、『下流社会』で「上昇する意欲と能力のない人間」を「下流」の典型として挙げているが、ここで描かれる主人公は、「下流」と似た思考を持っていると感じる。
こはちょっと嫌らしいなあ、と思うのだ。
ミスチルの「雨のち晴れ」やユニコーンの一連の作品など、世の中には「サラリーマンソング」という括りの歌が数多くある。これらは、実生活に基づいてつくられた歌ではないが、自らの思いを、知人や本で読んだサラリーマン像と重ねて歌っているものだと思うのでそれほど違和感は無い。したがって、『Keep Tryin'』の主人公と、宇多田ヒカルの境遇が異なるのは特に問題ない。
だが、『Keep Tryin'』で描かれる「諦め」は、宇多田ヒカルの実感に即したものなのだろうか?
端的に言えば「現時点ではそうではないかもしれないが、少なくとも過去に、“日本でもっとも有名な歌手”となり、幸せな結婚をした彼女が「負け犬の歌」を歌うのは嫌味ではないか”ということ。
カップリング曲の「WINGS」も「素直な言葉はまたおあずけ」の後ろで「あなただけが私の親友」というコーラスが流れる、非常に怖い(気持ち悪い)歌なのだが、これも宇多田ヒカル本人の感情というよりは、もっと下の世代の問題意識に近いと思う。というか、僕は佐世保の事件を思い出した。
そう考えると、宇多田ヒカルは、単純に、日本の将来への不安が強いだけでなく、他者への感情移入が激しい人なのかもしれない。自分の不安だけでなく、全く立場の異なる不安まで歌にして、しかも聴かせるというのは、「お節介」というよりも、やっぱり才能なのかもしれない。
まあ、下流社会以降の文章は自分でも穿ちすぎだと思う。
 
このシングルは非常に聴きがいがあるので、是非レンタル屋で借りてきてください。

*1:「木村化エラ」という誤変換にとまどう。どういう「エラ」だ!

*2:フジテレビ「僕らの音楽」での桜井和寿との対談で自らそう発言していた。

*3:特設ブログで視聴可能。

*4:ちょっと長いですが、全文読んでも非常に納得できる内容でした。というか、こういう風に文章書けたら楽しいだろうなあ

*5:ISBN:4140881550