Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

理性と感情のダンス、または、技術力と決断力のダンス

一流の人間の思考法から、自分は何を学び、どう努力していくかという話。一つ前が「省略」社会の問題点についての内容だったが、今回は「省略」思考の重要性から話を広げてみた。
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羽生善治は『決断力』の中で、知識を「知恵」に昇華させることによって、思考の過程を省略することが出来ると論じている。

経験を積んでくると、たくさん読むのではなく、パッと見て、「この手の展開は流れからいってダメだ」(略)とピントを合わせられるようになる。逆にいうと、余計な思考が省ける。優れた医者が患者を一目診て、病巣を「ここだ」と見抜く感じだ。ツボを押さえることによって、突然ジャンプして最後の答えに行き着ける可能性が出てくる。今まで一歩一歩しか進めなかったのが、近道を発見して一気に結論に到達できるのだ。
これは知識がどれだけあってもできない。知識を「知恵」に昇華させることで初めて可能になる。知識をうまく噛み砕いて栄養にする感覚である。(P29)

それは、経験を積んでいくことによって会得できるもののようである。

年代があがると、短時間で読む力は衰える。(略)その代わり、年齢を重ねると、ただ読むのではなく、思考の過程をできるだけ省略していく力が身につく。心臓が強くなるというか、経験をうまく生かしていくのだ。年配の棋士は技術だけでなくハートが強い。(P59)

その「ハート」の部分を詰めていくと「大局観」というものが重要な要素になっているようだ。

全体を判断する目とは、大局観である。ひとつの場面で、今はどういう状況で、これからどうしたらいいのか、そういう状況判断ができる力だ。本質を見抜く力といってもいい。(P68)

一方で、羽生は、経験を積むことが必ずしもいいことばかりとは限らず、考える材料が増え、失敗経験からのマイナス面のイメージが大きく膨らんで自分の思考を縛ることになる(P33)と戒める。
だからこそ、そういうマイナス面に打ち勝てる理性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていく必要がある、と述べている。さすが、分野のトップにふさわしい含蓄のある言葉だが、これも、やはり「ハート」の一部に含まれるのだろう。

さて、羽生義治が、将棋に絡めて述べてきた内容は、大きく分けて以下の二種類の思考法に分けることができる。

  • (若いときに得意な)緻密に先を読む力
  • (年齢を重ねて身につける)直観力、大局観、ハート

これらについて、少し掘り下げて研究がされている学問分野もある。友野典男行動経済学』によれば、二つの思考法はアルゴリズムヒューリスティクスという言葉で説明できる。

  • アルゴリズム:手順を踏めば厳密な解が得られる方法
  • ヒューリスティクス:問題を解決したり、不確実なことがらに対して判断を下す必要があるけれども、そのための明確な手がかりが無い場合に用いる便宜的あるいは発見的な方法。方略、簡便法、発見法、目の子算。近道。

常に合理的な行動を選択する「経済人」に疑問を呈する行動経済学では、人間が多く用いるヒューリスティクスの中に、バイアス(偏り)が生じやすいことに注目し、いくつかに分類されている。この本は、こういった人間が陥りやすい「非」経済人的な特徴についての話がものすごく面白い本です。
話は戻るが、アルゴリズムヒューリスティクスと似た関係にある内容として「二重プロセス理論」についても説明があった。すなわち、人間の情報処理プロセスは、直感的部分と分析的部分の二つから形成されているということであり、これら二つは「システムⅠ」「システムⅡ」と呼ばれる。

  • システムⅠ:直感的、連想的、迅速、自動的、感情的、並列処理、労力を要しない
  • システムⅡ:分析的、統制的、直列処理、規則支配的、労力を要する、人間固有のシステム

システムⅠとⅡは明確に分かれるのではなく、連続的に存在しており、優劣をつけられるものではない。また、処理はどちらか一方のシステムに固定的なものではない。

たとえば車の運転では、初心者のひとつずつ動作を確認しながら行うようにシステムⅡが常時働いているが、熟練すると多くの動作が無意識、自動的に行われるようになる。つまり、システムⅡからシステムⅠへと処理が受け渡されるのである。(P94)

この部分などは、『決断力』で書かれている内容と一致する。人間の思考法は、常時、システムⅠとシステムⅡがやりとりをしながらうまく回っているらしい。
さて、『行動経済学』は、第9章「理性と感情のダンス」で、脳科学から進化論まで出てきてしまい、もはや通常考えている経済学からは遠く離れたところにいってしまう。*1
この中で、脳腫瘍の手術で前頭葉を損傷した優秀な商社マンであるエリオットの話が興味深い。彼は、手術後、論理力、語学、数学などのテストは何の問題もなくパスし、知能指数も高いレベルを維持していたにも関わらず、仕事に復帰できないでいたのだった。
仕事に復帰できない理由は「自ら決定することができない」ということで、出勤することさえ、人の指示なしにはできなかったという。また、彼が「無感情」になっていたことから、研究者は「感情や情動の衰退が、決断力の欠如に関係しているのではないか」と推測している。*2

羽生義治『決断力』でも、決断力は、上で述べたハートや大局観と同類のものとイメージされているようである。これは、どんなに高い技術力を持っていたとしても補うことのできない種類のものであることが、エリオットの事例からわかる。
まとめに入るが、一流の人間は、「システムⅠ」(感情、直感、決断力)と「システムⅡ」(理性、理論)の双方の働きを十分に意識して、両方を向上させようと努力している。
オシムがよく指摘する日本人の欠点は、失敗しないために前者(システムⅡ=技術力)の部分について努力はするが、リスク覚悟で前に出る行動力の少ないという点で、後者(システムⅠ=大局観を備えた上での決断力)が不足しているということであろう。そういう意味では、いくらがむしゃらに努力しても、走っても、一流にはなり得ない。
ミュージシャンの場合、状況はだいぶ異なるはずだが、田島貴男の「若いときは、年齢とともに感受性は鈍化していくものかと思っていたが違った。年齢とともに、以前は感じなかった感情の種類が増えた。」なんていう発言は、作品をつくる上での上での回路に変化が生じている証拠なのだと思う。
そう思えば、年齢を重ねることは、いかに楽しみで、そして怖いことだろうか。常に「10年前の自分とは変わった」と思い続けることができるためには、日々、理性と感情の双方を磨くべく意識して努力していかなければならないなあ、と思った。

決断力 (角川oneテーマ21)

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行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

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*1:神経経済学などというSFみたいな学問が実際に存在するというのだから驚きだ。アイザック・アシモフファウンデーション』のハリ・セルダンは「人間精神を数学的に厳密な形で記述することで歴史を確率論的に記述する」心理歴史学を思い出した。ファウンデーションは、10年くらい前に途中まで読んだきり・・・。

*2:「指示待ち人間」で思い出すのは、ガンバ大阪の熟練助っ人DF。つまり、何が言いたいか、というと「シジクレイ」です。おあとがよろしいようで。