Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

大塚ひかり『歯医者が怖い。』

歯医者が怖い。 歯の痛みは心の痛み? (平凡社新書)

歯医者が怖い。 歯の痛みは心の痛み? (平凡社新書)

最近のこと。
なかなか治らない、二人の子の風邪を診てもらいに、土曜日に耳鼻科に行った。実は、水曜日に小児科で薬を処方してもらったのだが、症状が悪化し、見立てが悪いのでは?と思ったからだ。結果的に、小児科と同じことを言われた末、一日経って症状がかなり改善した。疑った小児科の先生には大変申し訳ない。
かように医者というものは、頼りにしているが故に、猜疑心にさいなまれることも多く、一つの症状で複数の病院を回ることも、何度か経験がある。(うちの場合、かかりつけ医がいない、と言う問題はあるのかもしれない。)
本書は、歯の噛み合わせの悪さを治すためということを発端にして、いくつもの病院を回る話。特に言及はないが、夏樹静子『椅子がこわい』に似た話である。夏樹静子は、腰痛の苦しみから逃れることを目的に、さまざまな治療を受け、最後に心療内科に辿り着き、それが心的ストレスからくるものであることを受け入れる。腰痛みたいな具体的な痛みの原因が心的ストレスにあった、という意外性が、フーダニットの推理小説のように話を盛り上げていた。
それに対し、この『歯医者が怖い。』は、早い段階で精神科へ相談に行く。しかし、状況は悪化してしまう。最終的に行き着いたのは医科歯科大学の口腔心療科(現・頭頸部心療科)であるが、作品の主旨は、フーダニット(何が原因か)というよりは、本文中は勿論、はじめに、おわりにでも繰り返される、以下の内容である。

昨今、「気軽に精神科に行こう」などという本をよく見かけるが、精神科に行って、かえって症状が悪くなることは、私や私の周囲の例を見ても少なくない。むしろ私は、
「安易な精神科頼みは危険だ」
とすら言いたい。(はじめに)

本書を読むと、作者・大塚ひかりの、そのメッセージは非常によく伝わってくる。この精神科医(そして初期の歯医者たち)、ひどい!そう思わせる内容である。
しかし、そこがメッセージのメインの部分であるからこそ、もっと執筆内容に慎重であってほしかった。

たった二人の精神科医から判断するのは危険だが、私が行った精神科・神経内科*1は二箇所なので、私にとっては二例中ニ例、100%の精神科医が、私の症状を快方に向かわせるどころか、悪化させる結果となった。
精神科医という仕事柄、社会的常識を逸脱するような患者をたくさん見ているせいだろうか、どうも他の医師以上に精神的な病を持った人を見下す傾向が強いように私には思えて仕方なかった。(P83)

このあと、柳澤桂子の本(『患者の孤独―心の通う医師を求めて』)の事例を追加しているものの、どうしても主観的な部分が目立ってしまう。メッセージは、全精神科医を対象にしているだけに、「言いがかりだ」と反論する精神科医がいてもおかしくない。感覚的には、一人くらい、精神科医で信頼できる先生を挙げてバランスを取るような配慮があると納得感が違ったと思う。
とはいえ、(直接患者と接することのある)医療関係者にとっては、自分の「言葉」がどのようにして患者に受け取られているかを知ることができる本だと思う。また、歯に関わらず、心身双方の症状に悩まされる人や、その友人・家族が読んでも、何らかの役に立つ本だと思う。
症状の治療についての作者の結論は、18章「あきらめが肝心」で書かれているよう、以下の通りである。

  • 治ると思ってはいけない。症状を抱えたままで生活の質を向上させることを目指すのが大事だ。
  • 要は「治そう」という思いをあきらめること。完ぺきを目指すのをやめることなのだ。
  • (歯の)違和感があったっていいじゃないか、と受け入れて、日々の必要なことを淡々とこなしていく。そういう生活態度が大事だ

(P157)

代表作『ブス論』の連載中だったことも影響し、ある日気づいた自分の顔のちょっとした左右非対称性から醜形恐怖にも陥った、というエピソードも挟まっており、自ら認めるよう、完璧主義の部分があるのだろう。
基本的に大雑把な自分の性格を考えると、あまり、そういった病気にならない気もするが、やはり身体的な健康のちょっとしたずれが大きくなると、精神的なマイナス面が顔を出すのかもしれない。いずれにしても、「病院選び」が、誰にとっても重要であることは間違いなく、興味は尽きない。本文中でも挙げられている類似のテーマの本も読んでみたいと思った。

*1:精神科・神経内科、二つの違いが、自分には明確には理解できていませんが・・・。