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森田浩之『スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉』

スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉(生活人新書)

スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉(生活人新書)

ひとことでいえば、メディアリテラシーの重要性を説く本。
スポーツニュースは「事実」よりも、それに付与した「物語」(ナラティブ)を伝えるために存在する。

ナラティブは「物語」という意味だが、フィクションではない。ニュースを物語のように語る手法のことだ。
(略)
ナラティブは起こったことをただ伝えるだけでなく、「起こったことがどう理解されるべきか」を伝える。この出来事はこう考えるべきだと言おうとすれば、さまざまな価値観がそこに入ってくる。社会的、共同体的存在としての私たちは「物語によってつくられる」というのは、フランスの歴史学者精神分析学者のミシェル・ド・セルトーの言葉だ。(P57)

こういった視点は特に珍しくもないように思えるが、具体的な事例が多く挙がっており、なるほどと思わされる。
特に女子選手のプライベートに触れたがる側面。そこに判を押したように「オフはパン作りを楽しむ女性らしい一面を持つ」など「女性らしい」という修飾語を忘れないところなど、言われてみればスポーツ報道は常にそうだということを改めて思い直した。結婚や育児に関して取り上げるまでもなく、スポーツニュースそのものが、古い考えの凝り固まった「オヤジ」である、という指摘は、非常に納得できるものだ。
また、面白かったのが、今年、先発からストッパーに転向した巨人・上原の話題。

<チームに迷惑を掛けた責任感から、固い決意で引き受けた守護神の座。恩返しはこれからたっぷりする>(日刊スポーツ07年5月1日) (P58)

責任感、恩返し、人事異動、オヤジ心をくすぐられる状況が満載、というのは言われてみればその通り、逆に、言われなければ自然と受け入れてしまう。。
スポーツニュースは、このように特定の価値観を物語の中に忍び込ませて報道されるが、スポーツ選手の方も、この流れに身を任せているように見える、と言う指摘も面白い。
つまり、試合後の勝利者インタビューで、自らの努力や創意工夫については一切語らず「応援してくれた皆さんのおかげです」等の、筋書き通りの言葉しか出てこないことがその証拠だ。だから記者は、「今日の試合は前半かなり苦戦したようですが・・・?」などという、全く質問になっていない質問でマイクを向けてオシムに馬鹿にされる。それは、記者のせいでもあるが、馴れ合いを許したスポーツ選手にも非があるのかもしれない。
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後半部では、特にサッカーのワールドカップを例に挙げ、スポーツニュースによって刷り込まれる「日本人像」が語られる。
前から気になっていたが、アフリカなど黒人主体のチームには必ず「身体能力が高い」*1という形容詞がつき、それに対して日本は「組織力で勝負」という構図になる。どちらも実際のチームの状況を把握して選んだ言葉では全くなく、何か固定的な日本人像に無理やり当てはめたような図式だ。本書では、6章でイギリスなど外国の例も挙げながら、スポーツニュースに「国民性」を語らせる構造について説明している。
ここら辺の部分は、参照資料の数も多く、非常に納得させられる文章だった。
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ところで、この本が指摘するような、スポーツニュースが放射する価値観や物語の「刷り込み」だが、最近は、その枠を外れる事例の方が増えてきているような気がする。亀田騒動は勿論、バレーボールも世界陸上もそうだが、「さりげない」<刷り込み>ではなく、物語を「あからさまに」押し付けられるようになってきているのだ。
テレビや新聞の視聴者・読者も、「それ」が煩わしいと思っているのに、そういう「あからさま」なやり方が増えてきているのは、僕らの集中力がなくなったからだ。いや、テレビや新聞へ興味を集中しなくてはならない動機がそもそもが少なくなったからだと思う。(たいがいのことはネットで済むし、日本国民としての統一的な話題を共有する必要性が薄れてきた)
だから、数(視聴率や部数)で勝負するメディアは、質の低下を承知で、とにかく興味を引くことを優先的にやっているのだろう。だから手のひら返しのバッシングもえげつない。局だけでなく一つの番組でさえ、一貫性の無い報道をしている。*2
しかし、囚人のジレンマではないが、各社が熱くなって亀田一家をバッシングしている間に、語るべき重要な話題は宙に浮き、視聴者もメディアもどんどん馬鹿になっていくという気はする。
本書のタイトルは「スポーツニュースは恐い」だが、本当に恐いのは、僕たちが、スポーツニュースにしか「ナラティブ」を見出せなくなっていることなのかもしれない。

*1:本文中でも言及があるが、頭が悪い、ということの裏返しとして聞こえるので、安易に使われると不快だ。

*2:初音ミク騒動もそうだが、こういうときに出てくるのが常にTBSというのもすごいと感じてしまう。