Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

本当は楽観的な日本人〜『地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本』

地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本 (講談社+α新書)

地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本 (講談社+α新書)

「王様の耳はロバの耳」の主役は誰?

図書館で借りてきたDVD「NHK世界人形劇場」に「王様の耳はロバの耳」があったのだが、物語の内容がなかなか興味深いものだった。
自分は、「王様の耳はロバの耳だということを知ってしまった理髪師が、それを皆に広めたくて仕方なくなる話」という程度に思っていたが、理髪師ではなく、むしろ、王様自身の「自分の本当の姿を隠そうとする姿勢」の方に焦点が当たる話となっていた。
公式サイトではないが、東京福袋さんのコンテンツに人形劇のあらすじが載っていたのでこれを引用する。

ある国の王様の耳はロバのような耳であった。王様はそれを恥じ、いつも帽子を被り窓を閉じて、国民には秘密にしていた。ある日バロスという理髪師が王室に呼ばれ、王の耳を見てしまうが、厳重に口止めされる。このことを話したくてしようがないバロスは道端の穴の中に「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ。すると野の木や草花や風がバロスの言葉を繰り返し、王様の耳にまで届いた。王はバロスにこのことを問いただしたが、バロスの言葉に、ありのままの自分を世間に晒すことを決意するのだった。

面白いことに、物語は、王様が決意するところで終わり、民衆に受け入れられるかどうかまで描かれていない。つまり、王様が心を変えることが物語の終着点になるという、ちょっとした自己啓発ストーリーになっていたのだった。

さらけ出した方が得

かなり遠回りしたが、本書『地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本』でも、似た話が何回か登場する。この本は、スウェーデン人の夫を持つ作者が、ヨーロッパと比較した日本の特徴(変なところ)について書かれたものだが、「自分をさらけ出す」ことについては、日本人は不得手だ。

ヨーロッパでは、例えば誰かと親しくなったとき、友達になりたいと思ったら日本人よりも早く自分をさらけ出す。ありのままの自分を相手に見せることによって、友達になっていく。(P56)

自分のすべてをさらけ出しながらつき合っていくのは、ヨーロッパの人のほうが上手だなと思う。隠したり無理をしたりしないから、つき合いだって一気に深くなるし、ホンネの話ができる。東京に住み始めたイギリス人の友人が最初のころ、「日本人って、いつも嘘ばっかり言っている」と私にこぼしていたことを思い出す。(P64)

たぶん私がヨーロッパに住んでいて楽しいのは、日本以上にいろいろな出会いがあって、いろいろな人とどんどん知り合っていけることだろう。(P193)

いくつかの例が挙げられていたが、なかなか本音を表に出さない日本人の特徴は、出会いの可能性を減らすだけでなく、外国人からは不審がられるという点でもデメリットが多いという。自分なんかは典型的な日本人なので、初対面の人は勿論、何年も付き合いのある人に対してすら猫を被ってしまう。それで損をしているなあ、と感じることもよくある。ここら辺は、バロスの「助け」を借りなくても、自分から、ロバの耳を出していかなければいけないなあ、と痛感。

「合理的<楽天的(運命論的)」な日本人

さて、さすがコピーライターだけあって、かなり誘引力のある本書のタイトルは、日本人独特の「楽観主義」を示したものだ。・・・と聞くと、自分なんかは、日本にはびこる閉塞感を見ると、日本人には、むしろ悲観的なタイプが多いのでは?と思ってしまうが、そうではないという。
著者の友人(ヨーロッパの人たち)は皆こう言うというのだ。

地震が起こる可能性があるんだったら、なぜそんな危ないところに人を住まわせるの?せめて海から離れたところに移転すればいいじゃない。(P21)

かくして、「日本人は超楽天的な民族だから、あんなに危ないところに超高層ビルを建てられるのだ」という認識になる。
これについての作者の説明は次の通り。
地震に対する恐れと「自然に対しては逆らえない」という無常観が重なった結果、さんざん災害の可能性に頭を巡らせたとしても、「こと」が起きたときは仕方ない、とスパッと割り切ってしまえる。むしろ「自分だけは助かるのではないか」という楽天的な考え方を持っている人が多い。
これらが自然を克服しようとしてきた民族と、自然と共存しようとしてきた(災害を受け入れてきた)民族の違いという指摘は当たっているかもしれない。

また、「地震に対する危機感」と「しょうがないという諦め」が繋がってしまうというのが、合理的な思考をよしとするヨーロッパ人には受け入れられないということもあり、日本人の発想そのものが特異と感じるヨーロッパ人が多いようだ。
実際、自分自身、合理的な思考、合理的な行動が苦手なので、自分が日本人なのを言い訳にしたいと思ってしまう・・・。

異文化交流の必要性

外国の人と付き合うことがほとんどないので、ときどき、本でこういった情報を仕入れると面白い。ただ、こういうことこそ「ネイティブ」の人に教えてもらいたい。直接的な人とのつながりの中で得られたものでなければ、ただの雑学に終わってしまいそうだ。
ところで、ひとつびっくりしたのは、スウェーデンでは「うがい」(がらがらうがい)の習慣がないため、作者は自身のうがいをかなり奇異の目で見られたというエピソード。そんなことで、来るべき新型インフルエンザのパンデミックに太刀打ちできるのだろうか。最近、ようたでさえもガラガラうがいをできるようになって、面白がってしょっちゅうやっているのだが・・・。