Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

前向きになれる本〜大胡田誠『全盲の僕が弁護士になった理由』

全盲の僕が弁護士になった理由

全盲の僕が弁護士になった理由

全盲の僕が弁護士になった理由

全盲の僕が弁護士になった理由

良い本だった。
今回はあらすじ重視で感想を。


大胡田さんは、1977年生まれ。先天性の緑内障で、いずれ視力を失うことを小さいころから聞かされていたが、半信半疑だったという。小学6年生のときに実際に目が見えなくなってしまうと絶望し、自分をどんどん孤独に追いやってしまう。
そんな中で、ターニングポイントになったのは、中学進学時に、地元の沼津盲学校ではなく、上京して筑波大学付属の盲学校に進学を決めたこと。目が見えていた頃の自分を知る街で暮らすのが辛かったという消極的な理由ではあったが、歩行訓練も十分できていない時期に、親元を離れて暮らす決心は大きなハードルだったろう。
そして合宿生活のような盲学校で、中学2年生のときに学校の図書館で出会った*1のが『ぶつかってぶつかって』という日本で初めて点字で司法試験に合格した全盲の弁護士の手記。このときの大胡田さんの感動はその後の弁護士としての活動にそのまま通じるものになっている。

それまでの僕は、これからは人の手助けを受けるばかりの人生だと思い込んでいた。しかし努力次第では、困っている人を助ける側の人間にもなれる。その事実は、視力を失ったことで小学校の友人たちとは別世界の住人になってしまったと感じていた僕にとっては、世界がひっくり返るような「発見」だった。
弁護士という目標は、全盲という障がいを負ってコンプレックスの塊になっていた僕にとって、再び誇りを取り戻すための大きな心の支えになっていった。
p104


大学受験時には、全盲の学生の受験を拒否する学校が相次ぎ、大学(慶応義塾大学法学部)に合格後も、探した下宿先に入居を断られる、大学でもある科目の履修を断られるなど、苦難は続く。そういった中、最前列で哲学の授業を受ける大胡田さんに対して、点字でノートをとる際の音がうるさいので教室の隅に席を移動するように講師から言われたというエピソードがある。この指示に反対した学生が多数おり、授業がそのまま討論会になったのだというが、そのときの気持ちが、これも弁護士としての大胡田さんの芯となる部分を形成している。

障がい者はどうしても社会から孤立してしまいやすい。誰かの悪意によって追いつめられるのではない。障がいの実情を知ろうとしなかったり、思い込みや偏見で判断したりする、ささいな無理解や無関心の積み重ねによって、居場所を失ってしまうのだ。
目が見えなくなってから、そういう苦い思い出がいくつもあった。周囲に理解されず独りぼっちになった人間は、どれほど峻烈な痛みを受けるものなのか、そして、そんなときに誰かから差し伸べられる手がどれほど温かいか、そうしたことを体で学んできた。
p116


大学を卒業してから沼津に戻って司法試験の勉強。試験を4度失敗してから司法試験制度の改正があり、ロースクール*2に通うことに。
在学中には、法律の知識よりも点字の読み書き能力に大きく左右される試験制度を改めるよう法務省にかけあったというエピソードもなかなかすごい。この結果、画面読み上げソフトを使った試験に、つまり「耳で受験」できる制度に変更されることになったという。


勿論周囲からの助けもありながら、8年の月日を経てやっと合格する。
これについて大胡田さんは次のように書く。ちょうど先日、田島貴男が書いていたように、努力の大半は実らない。しかし、何のために日々努力を続けるのか、その答えを大胡田さんは持っている。それが必要なことを確信している。

村上春樹がかつてこんなことを書いていた。

僕らはみんな(中略)自分の弱さを抱えて生きている。(中略)僕らにできるもっとも正しいことは、弱さが自分の中にあることを進んで認め、正面から向き合い、それをうまく自分の側に引き入れることだけだ。弱さに足をひっぱられることなく、逆に踏み台に組み立てなおして、自分をより高い場所へと持ち上げていくことだけだ。そうすることによって僕らは結果的に人間としての深みを得ることができる。
(『シドニー!』)

きちんと準備をしてきた人間にとっては、「もうだめだ」と思ったときが、限界の先にある自分に最も近付いた瞬間なのだと思う。それはとても怖い瞬間かも知れないが、見方を変えれば、古い殻を脱いでもう一回り大きくなるチャンスがすぐ手の届くところまで来ているということでもある。(略)
逃げずに、弱さを一度は受け止めて、そして自分を信じることだ。自分を信じる力は、それまで積み上げてきた努力の量に比例する。だから、最後の最後で自分に負けないための努力を日々しなければ、と思う。(p155)


盲学校時代から知っている女性と結婚し、全盲の夫婦の間には子どもが生まれる。
小さい頃は、うつぶせ寝による窒息、誤飲や刃物などの危険物におびえ、大きくなれば、公園での一人遊びに頭を悩ませる。見えないということは、子どもが危険な状態にないことを確認する方法が極端に少ないことを意味する。
しかし、ここでの気持ちの持ち方が、この本の中で一番心に響いた部分だ。

ハンディを乗り越えて生きていくためにそれ(「できない」と決めつけずに何でもやってみること)以上に重要なのは、「助けられ上手」になることだ。一人で何でもできる力を身につけるよりも、周りの人に「力を貸してやろう」と思ってもらえるような自分になろう、僕はどこかでそんな風に思ってきた。同じ努力なら、そちらの方が大きなことができる。
これは甘え上手とは違う。困難を言い訳にして他人に甘えるのではなく、逆境でも、諦めずに、前を向き、笑顔で、頑張る。そうやって明るく生きていれば、必ず誰かが見ていてくれる。そして実際に僕は、そんな風に人生を歩む何人もの人と、弁護士という仕事を通じて、あるいは障がい者同士として触れ合ってきた。


大胡田さんは、弁護士として自分が全盲であることについてのメリットを「目の見えない弁護士が、汗をかきながらドタバタと生きていること自体が、依頼者の心を変えることがある(p11)」と説明する。
これはまさに、村上春樹の言葉の通り、「自分の弱さを認め」「うまく自分の側に引き入れる」姿勢がそのまま表れている。
この本は、大胡田さんのように、自分の弱さを認め、自分の側に引き入れることができていない、大多数の人にとって、非常に参考になる本だと思う。
自分の弱いところを克服するというのではなく、弱いところについては他人を頼る「助けられ上手」という選択肢についても考えてみるという考え方は、特に、根性論的に前向きになることで自分を追い詰めてしまうようなタイプの人にはとても「効く」と思う。
そして、全体として多くの人の心に届く内容を持った本だと思います。


シドニー!

シドニー!

ぶつかって、ぶつかって。

ぶつかって、ぶつかって。

参考(過去日記)

視覚障害者の方の本や点字に着いての本はこれまでいくつか読んでいますが、どれも非常に面白いものばかりです。以下に挙げたうち、上の二つは全盲の方が書いた本。広瀬浩二郎さんの本は、先日、教科書に取り上げられることになったというニュースがありました。

全盲文化人類学者で、国立民族学博物館広瀬浩二郎准教授(47)が、小学生向けに執筆した文章『さわっておどろく』が、今年度の小学校4年の国語の教科書に採用された。自らの試行錯誤を踏まえ、ていねいに触ることで、眠っていた自分の力を発見する体験の大切さ、楽しさを紹介している。

 文章を掲載したのは、学校図書(東京都北区)発行の『みんなと学ぶ 小学校国語四年下』。同社編集部の担当者は「障害者の現状を訴えるだけでなく、障害がない人との双方向の関係をとらえる発想がおもしろい」と話す。

*1:読書感想文の本を探すために、背表紙の点字タイトルをなぞっていて見つけた本だという。図書館というもの自体の認識が晴眼者とは大きく異なることに気付かされる。

*2:年間100万ほどの学費は返還義務のない奨学金で賄い、生活費も返済を免除