Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

吉田修一・佐内正史『うりずん』

うりずん

うりずん

さあ、始動のとき!走れ。走れ!小説家と写真家がスポーツのある風景をテーマにした初めてのコラボレーション作品集

写真家は、100s『世界のフラワーロード』をデザインした佐内正史吉田修一の短編と同タイトルで数枚ずつの写真を撮っている。話とのリンクは、結びつきが強いものと、かなりイメージの異なるものとバラバラ。おそらく、事前の打ち合わせで、タイトルとキーワードのみを出し合ってから、お互い並行して作品に仕上げたのではないか?作品としての写真を観る機会はほとんど無いので、よくわからないが、結構好きな感じの写真が多かった。
さて、短編はどれも、ふとした瞬間に、主人公が過去の自分を振り返る話になっており、昔話は、何かのかたちでスポーツに関連している。5-6ページと非常に短いが、それぞれに味があり、吉田修一は巧いと改めて感じた。
特に最後を飾る「水底」が全てを総括するような内容で良かった。少し長いが、中高大と水泳部〜インストラクターのバイトで水に親しんでいた主人公が、社会人になってから、またプールに行くようになって感じたことを語るラストを引用。

泳ごうと思えばいくらでも泳げた17歳の自分ではない。もちろん、水を恐がっていた幼い自分でもなく、若者とつい競い合っていたころの自分でもない。
もう昔のように速く泳ぐことはできない。ただ、開場直後の、まだ誰もいないプールの波紋を、素直に美しいと感じられる。水底に映る自分の影と競い合うこともなく、ゆっくりと一緒に泳ぐこともできる。
水底は、幼いころ怯えていたほど深くはなかった。
水底は、若いころ怯えていたほど冷たくもない。
そして水底を強く蹴りさえすれば、いつだって日を浴びた明るい場所にいけることを、今の自分は知っているような気がする。

水底は、「大人になること」への暗喩なのだろう。
40歳前後と想定される主人公は、年齢が同じくらいの吉田修一自身なのだろう。


勿論、他の短編の全てが吉田修一を指しているわけではなく、年齢も20代後半〜40代前半くらいまでとやや幅はある。ただ、いずれもが、自身の「若い頃」を振り返りながら、「あの頃」に戻ることなく、過去をそのまま受け止めて生きている。必ずしもポジティブに捉えるというわけではないが、否定をしない。起こったこととして受け止める。そこに力強さを感じる。
若い頃にしかできないことがある。一方で、年をとらないと分からないこともある。時間軸の中で、それらを自由な順序で経験するわけには行かず、それぞれが、成功、失敗を重ねながら前に進む。
「成長」といった仰々しいものではなく、そういった意味で、自分も前に進んではいるのだろう。


図書館で借りて読んだが、文庫版もちょうど来週発売のようで、買ってもいいなあ。