Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

倉橋由美子『聖少女』〜20世紀最後の・・・ではありません

聖少女 (新潮文庫)

聖少女 (新潮文庫)

敬愛する書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で先日取り上げられ、その後のスゴ本オフでも紹介されていた倉橋由美子『聖少女』。期待度200%で臨んだものの、今回は失敗。コーラを飲もうと思ったら漢方だった、というような感じだ。これからは何を飲むかをもう少し意識してから本に当たらなくては・・・


倉橋由美子の作品は一冊だけ知っていた。

大人のための残酷童話 (新潮文庫)

大人のための残酷童話 (新潮文庫)

読んではいないが、タイトルからしても、有名な子ども向け童話を題材に、残酷エッセンスを加えて書き換えた短編集だろう。つまり、倉橋由美子は、ギミックが利いた小説を書く小説家という認識だった。
そこに来て、スゴ本dainさんのエントリの冒頭で、ちょっとした「仕掛け」のある本だと書かれており、現代的な感じの装丁にも惹かれて、久しぶりにビビビが来たのだった。そう、本との出会いはビビビが大事なのだ。ビビビなときには、極力情報収集をせずに現物に当たる。それが自分のやり方。ところが、これが裏目に出てしまったのだった・・・


読み始めてみると、未紀の日記と、僕の日記が入り混じる構成で、「仕掛け」に満ちていて自分向きかもと納得。
ところが、読み進めていくと、文体が固いし、安保だ左翼だと何かと古臭い。これも何かのギミックなのかと思っていたが、それはそれで延々と続く。さらに、あまり得意ではない、村上春樹的ゴテゴテ文体が、これでもかこれでもかというように倍々ゲームで増えていく。
想定通りの「仕掛け」も、爽快感のない展開につながり、自分の求めていたものとのずれが、終盤になるほど大きくなった。

一番の問題は、「愛」という哲学的な問題が、自分にとっては、あまり切実なテーマではないこと。
そして、その取り上げ方が、現代社会と地続きでないこと。特に「近親相姦」と真面目に向き合って愛を掘り下げるなどという展開は、完全に別世界の話で、Kにも未紀にも全く共感できない。たとえば、吉田修一『悪人』なんか*1における「愛」の取り上げ方が、しっくりくるのとは対照的だ。
自分が、吉田修一作品を好きなのは、作中の登場人物が、自分と同じように悩み、考え、生きていること。つまり、自分と作品世界が地続きであることが、通常、自分が小説に求める基本的な部分になる。哲学的な部分が走り過ぎた小説は、考えていない自分が馬鹿なのでは?と不安になるので、ちょっと嫌なのだ。
勿論、そういった小説も読まないわけではないが、良くも悪くも身構えて読む。そう、漢方をコーラを飲むようには口に入れないように。


さて、漢方をコーラと思って飛びついてしまった元凶は分かっている。実は、自分は、この小説が今から45年前、東京オリンピック直後の1965年の作品だとは知らなかったのだ。そんな基本的なことを、読了後に、桜庭一樹による解説を読む段になって初めて知ったのだった。
何となく1990年頃の作品だと思っていたのは、『大人のための残酷童話』が比較的新しかったことや、装丁があまり古臭くなかったこともあるが、よーく、自分の頭を調べてみると、誤解の原因は、倉橋由美子という名前のような気がする。

倉橋由美子 → 高橋由美子

ほら、一気に同世代になってきた。
20世紀最後の正統派アイドルと一文字違いの小説家が、よもや、自分の生まれる10年近く前の作品を書くとは思えなかったのだ。


というわけで、いまいち不完全燃焼。
ちなみに、エロの部分も、少し期待していたのですが、哲学的すぎて駄目でした。スゴ本dainさんの引用されている部分もそうですが、動物ではなく植物にたとえる部分が多用されています。恥ずかしいので引用しませんが、「作家」との一夜の部分なんかは植物「縛り」みたいに描かれています。(p187-)確かに、動物だと何だか色気が出ないし、そんなもんなのかなあ。

*1:『悪人』は、結局のところ、現代社会における純愛の困難(不可能性)について描かれている物語だと思う →参照:http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20090208